渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

そろそろお隠れ ~本当はホンダ好き~

2013年11月22日 | バイク・車



かみさんからのお下がりのおいらの足。
12年以上乗ったけど、そろそろ引退の様子なり。
三菱の車はあまり良くないね。ミッション弱し。
この車は出た時に新機軸が結構あったのでかみさん用に購入した
けど、結構渓流専用車のようになっていた。室内に竿ネット設置
してたし(笑
当時まだ普段はローバーミニに乗っていたからホントはこれはかみさん
専用だったのだけど。

(都内と違って、田舎は車は一人1台ないと移動がまったくできません)

ダイハツが良いよという車屋の友人のすすめもあって、先年ダイハツの
新車(ミラココア)を買ってかみさん用にしたけど、その時におさがりで
完全においらに
回って来たのがこれだった。
でも、そろそろオシャカのようです。

ダイハツはいいね~。エンジンが。
トヨタの子会社というのがとてつもなくイヤだが。
(私はトヨタの社長が大嫌い)

好き嫌いと性能の善し悪しは別なので移動手段ではしかたなく単なる
足としてダイハツでもトヨタでも乗るが、楽しみたい世界ではトヨタ系の
車など俺は絶対に買い求めない。豊田社長が嫌いだからだ。
2TGエンジン・ソレックスツインのGTは良かったけどね・・・。
でも、あれのエンジンはヤマハだ。ボンネット開けると、エンジンヘッドに
YAMAHAの浮き彫りが入っていた。
ヤマハもバイクは操安性がすばらしいが、どうしてトヨタ系列のメーカーは
上から目線であんなに偉そうなのかと思う。ヤマハもかなり偉そうだしね。
ホンダと大違い。
車の善し悪し抜きにすれば、レーシングチームでも社風でもホンダが
企業体として最高だと、宗一郎さんが亡くなった今でも思う。
おいら、偉そうにしてるやつが一番嫌いなんだ。

オヤジさんには面白いエピソードがある。
ネットで見つけたので抜粋紹介しよう。

 本田技研の創業者、本田宗一郎が天皇陛下から勲章を賜ることになった。
 が、「技術者の正装は白いツナギ」と、工場に居るのと同じ服装で参内
 すると言い出した。

 「オヤジさん、やはりモーニングでないと」
 「じゃあ行かねぇ」
 最終的には周囲の懸命の説得に折れ、周囲と同じ正装に身を包んだ。
 1980年代半ば、F1でターボエンジンに対する規制が始まった。ルノーや
 BMW、ポルシェが勝っている間には何も言われてはいなかったのに、
 ホンダが勝ち始めた途端に規制が取り沙汰されるようになり、言わばなし崩し
 的にターボエンジンの段階的廃止(燃料・過給圧の制限を経て、1989年から
 自然吸気エンジンに移行)が決められていった。

 こうした動きに憤慨した現場の責任者は、ホンダは抗議の撤退をすべきでは
 ないかと思いつめ、宗一郎に面談を申し入れた。いわば直談判であった。
 が、オヤジさんは応接室に入るなり、
「F1でターボが禁止されるらしいが、これは
 ホンダだけが禁止なのか? ん? 違うのか。バカなやつらだ。ホンダにだけ
 規制するというのなら賢いけど、同じルールで一からやり直しだって言うん
 なら、ホンダが一番速くて最高のエンジンをつくるに決まってるのにな。
 
で、何だ、話ってーのは?」

 「あ、いや、すいません。何でもないです」
 責任者たちはすっかり嬉しくなってしまったという。その後ホンダは、宗一郎が
 鬼籍に入る1991年まで毎年チャンピオンを獲り続けた。
 副社長として本田技研を経営面から支えた藤沢武夫は風流人として知られ、
 着物姿で出社することも珍しくなかった。ある日、やはり着物で社内をうろついて
 いたところ、掃除のおばさんに「関係者以外は立入禁止だよ」とたしなめられた。
 藤沢は笑顔で、「これでもここの社員なんですよ」と答え、おばさんがこの顛末
 を上司に報告すると、「バカ、それは副社長だ」ということになり翌日慌てて謝りに
 行くと、「いやいや、こんな格好でふらふらしてる私の方が悪いんですよ」と答えた
 という。そして、そのやりとりを見ていた作業服を着た老人がゲラゲラ笑いながら
 「俺もネクタイしめた方がいいかな」などと藤沢に語りかけていたので、誰だろうと
 思っていたら、そのじいさんが本田宗一郎であったと、おばさんは後で知ったという。

かつて、ミニクーパーがラリーで勝ち過ぎるのでレギュレーションが変更されて
ミニ潰しが行なわれたように、レースの世界は必ずしも公明なものではなく、
政治的な圧力が露骨に加えられる。特定メーカーを叩いて自分らに有利な
状況を作ろうとする勢力がかならずいる。レースは競技といえども、企業体が
絡む以上、正々堂々としたものではなく、どす黒い高圧的な圧力が加わる。
表に裏にネガティブキャンペーンまで繰り広げたりする。
だが、本物のモノ作りを目指す技術者は、そうした圧力に対しても決して挫け
ない。己の力への自身も自負もある。唯一ないのは、圧力を加える側の者が
強く持つ傲慢さだけだ。
そして、どんな服だろうが機能重視の上で身綺麗にすることと形式的な「正装」
は別次元のことであり、形骸化された様式に従順になることのみを善しとする
ことがいかに人として本当は空虚なことであるか。
上のエピソードの副社長の「着物」とは和服ではなく、作務衣か甚兵衛のような
服だったのかもしれない。あるいは茶人のようなスタイルか。だが、人は中身だ。
ホンダ、最高である。
バイクはハンドリング悪くてどうしようもないけど(^^;
直線では速い(笑

でもね~。
ホントいうと1989年式のフェスティバが欲しいのだけど、国内にタマ数が
極端に少ない。
(フェスティバ)


だったら1989年式のこれが欲しいのですよ、と。
(マツダ キャロル)

ほとんどスタイルのみで選んでるけど(笑
どうせ乗るなら、タウンビークルだとしても、好きな車に
乗りたいじゃない、ねえ。


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秋の私的映画祭 その3 ~『道頓堀川』を中心に~

2013年11月19日 | 映画・ドラマ・コミック


『怒りの荒野』(1967年/イタリア)

昨夜夜中、友人と観る。
つい最近の出張でホテルのオンライン映画で観たんだよなぁ(笑
友人の誘いもあってまた観た。
ジュリアーノ・ジェンマはあまり好きではないが、リーヴァン・クリーフ
がかなり好きなのでまあよしとする(苦笑
彼のワルぶりが好きさ。
ただ、この作品は映画としてはどうなのかしらね・・・。
謎の映像がある。最後の中の最後のシーンで、主人公ジェンマが
カメラに振り返る。そこで真っ暗になってエンドなのだが、この演出
の意図がいまひとつ読めない。
観ている限りでは「カット」がかかって振り返ったようにも見える。
中学の時に観て以来、未だ謎。


『道頓堀川』(原作:宮本輝/監督:深作欣二/1982年松竹)
主演:真田広之、佐藤浩市、山崎努、松坂慶子、加賀まりこ 他

最高なのである。
原作は戦後間もない大阪が舞台だが、1982年当時に現代劇と
して深作監督が撮った。
原作の小説の流れとはかなり異なる演出描写となっている。
いわゆる宮本輝の『泥の河』、『螢川』に連なる「川三部作」の一つ
としてこの作品がある。(映画『泥の河』は最高だ)
ラストシーンの演出描写は原作者宮本と深作監督の間でかなり
揉めた
らしい。
ただ、DVD特典で製作者が対談形式で解説しているように、
深作監督には彼独特の人生観としての映画人の「モラル」がある。
それを理解できない人は、この深作作品のラストの描き方について
理解を示そうとはしない。
私は大いにこの作品の終わり方はアリだと思う。
あのドブ泥の道頓堀に住む人たちは、誰もが心に風が吹いている
のである。それこそを描いた映画だ。

何度観たか数えきれない。
台詞はほぼすべてを覚えている。
ビリヤードのシーンで「なぜあんな撞き方を」などと突っ込んだりしては
いけない。
加賀まりこが玉を撞くシーンでは往年の若き嶋崎和子プロが吹き替えを
している。かなりの美人だった。
そして、これは多分、加賀まりこのスケジュールの関係で撮り直しが
できなかったからだろうと想像できるが、遠くでうつむいた横顔のシーン
では、
そのまま嶋崎プロが加賀まりこの役の吹き替えのまま映っている。
本来は加賀まりこで撮影するところだったのだろう。アップのカットでは
本人の映像を繋いで、うまく編集で違和感がないようにしている。

この作品は撮影途中で「男の世界」が続く中、松坂慶子が「うつ」になり、
撮影続行が不能になった。自分の演技の居場所が解らなく
なって、心の病に
罹患したらしい。
スタッフ等がいろいろ働きかけて、ようやく撮影が続行された
という。

そういえば、松坂慶子が演じる「まち子」役の小料理屋の女将が、武内(山崎努)
と邦彦(真田広之)が店に来た時にビールで3人で乾杯をするシーンで映像上の
ミスがあることに私は気づいていた。
それは、ビールをグラスになみなみと注がれて3人で乾杯をするシーンに
おいて、
最初まち子のグラスに注がれて乾杯までは泡が立っているのだが、
いざ
次の瞬間にまち子が飲もうとしたカットでは泡は完全に消滅しているのだ。
映像特典の解説によると、このシーンでは「松坂がうつになり、まったく
盛り上がるシーンが撮影できなくなった」と説明していた。
たぶん、何度も撮り直しでOKテイクが出ないまま、しかたなしに撮影済みの
カットを編集で割りこませて繋いだのだろう。ほんの0コンマ数秒でグラスの泡が
完全消滅するわけはないので、とても不自然な映像となっている。

この映画にハマり、東京から広島に赴任した1998年には、大阪への出張
の際には大阪ミナミの道頓堀界隈を「聖地巡礼」で歩き回った。
だが、映画に出て来た撞球場はひとつもなかった。
当時はビデオしか発売されておらず、DVD特典で語られた撮影裏話を知らな
かったからだ。

実はこの映画に出てくる室内のシーンはすべてスタジオセットだったのだ。
道頓堀の戎橋わきにある「リバー」という喫茶店は、現実には洋食屋であり、
劇中に出てくる喫茶リバーから道頓堀川ごしに見える対岸の喫茶店や
ミスタードーナッツなどもすべて少しミニチュアのセット(遠近感を出すため)
を作って撮影されたのだという。
ビリヤード場は劇中に何軒か出てくるが、天王寺にしろ千日前にしろ古びた
玉屋の店内などはどう見ても
本物にしか見えない出来栄えだった。やられた。
すっかり深作演出に、して
やられた。

一番ショックだったのは、オープニングのシーンで出てくる大黒橋に
1998年に行った時だった。
映画が撮影された1981年時点では、この橋の上は小さな児童用
遊園地となっていた。ジャングルジムがあり、雲梯があり、ブランコが
あった。
美大生の邦彦は夜明け前にこの大黒橋の上で道頓堀川の絵を描いていて、
逃げた飼い犬の小太郎を追って来たまち子と初めて出会うのだった。
その大黒橋に真っ先に訪れてみたが、たった10数年間の間にあまりの
変わりように驚いた。

映画『道頓堀川』(1982年)から


















邦彦はまち子からレモンをもらう。


そして、アルバイト先の喫茶店リバーに向かう。

戎橋(ひっかけ橋)の向うに1982年5月公開の『ザ・レイプ』の広告看板が
見える。実はこの映画で裁判官および弁護士役を演じたのは、私がこの映画
の公開4年後に勤めた職場の弁護士たちだった。被告人の弁護人役はうちの
所長だったし(笑
所長の著書の『制裁的損害賠償論』には学生の時にいささか感銘を受けた。
薬害訴訟において、アメリカの場合は被告側製薬会社が敗訴した場合、会社
が企業として存続できない程の損害賠償を制裁的措置として言い渡される。
だが、日本の場合は、多くの薬害訴訟でも国も製薬会社も無責任な逃げ回りを
するのが常だった。そこで所長は日本で初めて「制裁的損害賠償論」を法律学の
観点から記したのである。歴史的な書だったといえる。私が勤めた事務所が請け
負った水俣、スモン、クロロキンなどの薬害訴訟においてはすべてにおいて被害者
を救済するに利を失わない結果となった。

この邦彦が歩いている1982年時点の大阪道頓堀の戎橋も今は改築されて
もう見る影もない。2000年頃にはよく路上ミュージシャンがここでギターを
弾いていた。通称「ひっかけ橋」。古くからナンパストリートだったからだ。
まるで原宿表参道横のかつての竹下通りのように(原宿がどうだか今は知らない)。

戎橋横にある喫茶リバー。これは看板のみ映画用に掛けている。


喫茶リバーの店内から見た戎橋。これは実写だ。


だが、このシーンでは、店内もセットで、道頓堀川の対岸の向うの店も
すべてセットなのである。これにはやられた。


2010年現在の本物の風景


2010年現在の道頓堀川。「リバー」があったという設定の場所は
現在はコンビニ店サンクスのビルになっている。
(リバーと書きこんでみた)


映画の中で街頭ロケで出て来たシーンは、この道頓堀界隈に限っては
私はすべて歩いて、場面で使われた場所を確認した。
現実的に道頓堀界隈をいくら彷徨してみても、聖地巡礼はそれほど成立し
なかった。

それもそのはず、肝心の室内シーンのほとんどが神奈川県大船の松竹
スタジオの
中のセットで撮影されていたからだ。現実の道頓堀や天王寺
などに映画に
出て来たビリヤード場などは1982年当時にも存在しなかった
のである。

散々歩き回った私はくたびれもうけ・・・
かと思いきや、道頓堀には実にレトロなビリヤード場があった。
そこで私と同じTAD使いの友人もできたので、収穫はオンの字だったのである。

今どき、マッチだぜ、マッチ。渋いよ(^^)

映画『道頓堀川』は決してビリヤード映画ではない。
ビリヤード映画として観ても期待が外れるだけだ。
これは「深作作品」として観るのが正しいと思う。
どうして世の中にこんなひどい話があるのか、というような
物語になっている。涙も枯れ果てるような悲しいお話が続く。
戦争に出兵して、仲間はどんどん死んでいく。海を漂流しながらも
次々に仲間が沈んで行く。生き残って本土に帰って来た自分の
「生」に対する忸怩たる思い。誰にも理解されないその思い。
深作欣二監督が持つ「モラル」という心の奥底に触れたい方は
ぜひどうぞ。
秀作です。

ちなみに現在の大黒橋は「綺麗」になってしまっています。
子どもたちの遊び場は消されてしましました。
(不明~2009年までの大黒橋)




2010年現在の大黒橋はさらに大改修が始まっている。
風情あるレンガ造りさえ見る影もない。階段も無くなった。


大黒橋の上から1981年。


同地点の2010年。


大黒橋北側へ走るまち子(1981年)。


同地点の2010年9月時点。

まあ、段差もなくなり車の通行には便利にはなって行くのだろうが、江戸時代の
元和年間に掛けられたこの橋は、かつての昭和の時代には歩道だった。橋の上
には児童用の小さな公園があり、きっと多くの子どもたちもここで遊んだことだった
ろう。今は本当に見る影もない。
せめて映画『道頓堀川』で、私が邦彦と同じ大学生だった頃のタイムリーな大阪の
街並を偲ぶしかない。
しかし、日本の街の風景は戦後に一度大きく変わり、そしてバブルで完全に変わり、
さらにバブルから四半世紀経とうとしている現在、三度目の大変身を遂げようと
している。
1980年代といえども、「昭和」の時代にはまだ戦前の面影が街に残っていた。
国電お茶ノ水駅を下りて、神田駿河台の学生街を歩くと、戦前からの明治建築の
大学校舎などが建ち並んでいた。今はどこの大学も宇宙局のような建物ばかりに
なってしまった。かろうじて、東大の安田講堂や明治学院等の私学の建物などの
一部が古い時代の風景を留めているに過ぎない。

運河の街大阪の橋。



映画『道頓堀川』の中で主人公の邦彦が着ている服やブーツなどは、
本当にタイムリーに1981年当時に私などの学生のスタイルでした。
真田広之さんも佐藤浩市さんも私と同学年(笑
なんだか髪型まで同じだしよ~(笑

そん頃のおれ。


深作監督についてはウソのようなホントの体験をしたことがある。
あれは1988年の秋。風の強い寒い日だった。
私と職場の上司は、ある調査のために千葉県外房に車で赴いた。
仕事を早々に終え、九十九里の海岸で海を見ながら男二人で煙草を
くゆらせながら休んだ。
するとそこに一台の真っ赤なスパイダーに乗った「あしたのジョー」
のようなキャスケット帽を被った渋い男性が乗りつけた。
男性は車から颯爽と降りると、堤防に立って海を眺めた。
そして、ほんの1分くらいで立ち去って行った。
深作欣二監督その人だった。
私と上司は、「海の眺め方も去り方も、なんだかカッコイイなぁ。映画
みたいだね(笑)」と同じ感想を漏らしたのだった。
監督、独りでロケハンだったのかなぁ。


こんな車だった。


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秋の私的映画祭 その2

2013年11月17日 | 映画・ドラマ・コミック


『壬生義士伝』(2003年/松竹)

本日2回続けて観た。
2度目は娘と共に観た。
この映画については語らず。観るべし。


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秋の私的映画祭

2013年11月17日 | 映画・ドラマ・コミック

秋の週末は映画を観まくる。
だが、ハズレも多くある。

まずはこちら。

『プテロドン 零式戦闘機 VS 翼竜軍団』

第二次大戦末期、原爆を積んだB29が嵐で南海の孤島に不時着した。
そこには日本軍のゼロ戦部隊もいたのだが、
最大の敵は、その島に
群生していた翼竜の恐竜だったと
いうトンデモ映画。
どのあたりがトンデモかというと、全編にわたりそうではあるのだが、例えば
燃料満載のドラム缶をトラックに積む際などは、女性が坂道を一人で転がして
押して登って、軽々とトラック荷台に持ち上げたりする。(一応うんとかすんとか
声を発して演技らしいことはしている)
満タンドラム缶を一度でもいいから本当に押して砂地を移動させてみろってんだ。
ふざくんな!きさーん!と言いたい。
設定はともかく、劇が学芸会以下で、
SFにもスペクタクルやサスペンスにも
なっていないドひどい
作りで、これはいくらなんでもしょぼすぎる。本当にひどい。
日本軍人の描き方にしても、零式のCGもコクピット映像もかなり出鱈目
で、
第二次大戦中の米軍女性パイロット(女性のみの爆撃機乗組員。笑)は全員が
飛行中に
喉の振動を感知して音声発信する通信システムを使っている。(現実の
実用化は1990年代以降)
そして、女性は全員がゼロ戦を巧みに操縦できる(苦笑

CGのゼロ戦の描き方もいい加減だし、もうなんというか全編にわたり作りも
演技も
拙劣すぎて話にならない。なんですか?これは。
今まで観た映画は数千本か何万本かはわからんが、これまで観た映画の
中でトップクラスのドZ級だ。
見る価値なし、ゼロ。ドZ級。

次はこちら。

『夜明けのガンマン』

ジョン・ウェインの『夜明けの男』のリメイクとのことで観た。
これまたドZ級。
オープニングから5分で「Z級」と判った。
撮影者が自分の撮影映像に酔っているような自己満足自慰映像の
連続で、見ていて非常に不愉快になる。
意味のないスローモーションやくどすぎるBGMの連続など、撮影スタッフ
映画業界の人間ではなく、安いCM撮影の人間たちなのではなかろうか。
とにかく観るに堪えない出来の西部劇だ。

久しぶりにド最低の西部劇を観た。
「大抵こういうのは、一見リアルを気取っていて、そのくせ6連発銃
から何発も発射するぞ」と思っていたら、期待を裏切らず、6連発の
2丁拳銃で14発撃っていた。そして、パッと左手の銃を捨てて
背中から別な新しい6連発ピースメーカーを1丁だけ抜いて両手で
構える。なんだそれ?観客をなめるのも体外に、いや大概にせい。
そして、何よりも駄目なのが、主人公の俳優がダサすぎる。
不細工で背が低く、およそ物語の主人公にそぐわないし、台詞もヘッタ~。
さらに、物語は題名の「夜明け」とは一切関係がない。かといって、マカロニ
ウエスタンのようにエンターテイメントに徹しているのでもない。
唯一の救いが、クリント・イーストウッド主演の名作『戦略大作戦』で戦車
隊長
オットボールの役を演じたドナルド・サザーランドがスパイスが効いた
演技で出演
していたことだ。ドナルドは『24』のキーファー・サザーランドの
実父ね。

『戦略大作戦』での怪演が見ものだった。本作でも、台詞まわしなどは
さすがと思えた。
それでも『夜明けのガンマン』はドZ級。観る価値なし。高校生の自主製作
映画より観るに堪えない。観る価値なし。



『空軍大戦略』(1969イギリス)

だれだ?これを「面白くないから観ないほうがいいよ」なんて俺に言ってた
奴は。
「映画」としてはストーリーがない点、主人公がいない点、敵も味方も
無い点、等から完成度においては不十分な点はあるが、この作品は
凄いよ。
なんたって、第二次大戦終結後から24年しか経っていない時点で
撮影された映画で、出てくる航空機はドイツのユンカース・ステューカ
以外はメッサーシュミットもハインケルもスピットファイアーもすべて実物。
これは凄い。現在では撮影不能。
空戦でのシーンはさすがに大型ラジコンとマット技術を使用しているが、
見応えがある。
この映画は1940年7月から10月までのナチスドイツによる英国本土
空襲と立ち向かう英軍が繰り広げた「バトル・オブ・ブリテン」を描いた作品だ。
作品での描き方で印象的だったのは、英軍もドイツ軍も「憎き敵であり
敵は悪である」という描き方はしていない。
「戦争を賛美する戦争映画は最低だ」とは、『遠すぎた橋』(1977)の
リチャード・アッテンボロー監督の言葉だったが、まさにこの『空軍大戦略』
も、アメリカ人あたりが好む勧善懲悪ヒーロー映画としては作られていない。
(それゆえ、ドキューン、バキューン、チュドーン、バリバリ、ガオー、みたいな
アメリカ映画のみを「面白い」と感じる感性の人たちには「つまらない映画」
と映るかもしれない)
戦争による空爆に苦しむのはロンドン市民もベルリン市民も同じであり、また
人の笑顔に国境はない。この『空軍大戦略』はそこをよく捉えている。
ドイツ軍の軍人たちが本物のドイツ人が演じていて、このように笑ったり
苦悩したりするドイツ軍兵士を戦勝国側が描くというのも珍しい。大抵は
第二次大戦のドイツ軍は「極悪人」として描かれるのが常だからだ。
そして、この映画は史実にかなり忠実である。
ただし、ナチスの総統ヒトラーも「忠実」に描いてあり、ヒトラーの演説に目を
輝かせて熱狂するナチス党員の姿も「忠実」に描かれている。
(ヒトラー役の役者の演技がリアル。本物のヒトラーの演説をコピーの
ように演じている)
「映画作品」として観ると、主人公がいないので散漫な感は否めないが、
力作である。
戦闘機や爆撃機が実物というのだけでも凄すぎる。
ただし、撮影のためハインケル爆撃機を戦後初めてロンドン上空を飛ばす
際には
2機のみにしたという。
ロンドン市民の感情を考えたら、それがぎりぎりの限界だったのだそうだ。


『ビッグ・トレイル』(1930年/アメリカ/主演:ジョン・ウェイン)

これまた力作。1930年の作品だ。今から83年前、昭和5年の作である。
西部開拓時代中期の開拓団が西の新天地を目指して幌馬車隊で
大西部を進んでいく物語。
当然モノクロなのだが、若いジョン・ウェインが意外と演技がかなりいけて
いるのに気づく。
そして、圧巻がバファローの大群を追うシーンで、CGなど存在しない時代、
本物の西部の猛牛がばく進している。
西部は平たんな道ばかりではなく、トレーラー仕様の幌馬車までも断崖絶壁を
人力で下ろしていくシーンもあり、特撮ではないので迫力がある。
どうやって下ろすかというと、女性も含めた何十人もで森から大木を切り倒して
それでクレーンを作ってロープで吊って大型の幌馬車を断崖の谷下に降下させ
いくのだ。牛や馬や人もそのクレーンではるか下に下ろしていく。
実際の西部開拓時代もこんな感じだったのだろう。唸るよ、開拓民の根性に。
国を造るというのは大変なことなのだと感じる。
出来上がった後に生を受けてそれが当たり前のように思ってしまうと、これは
未来への推進力を自ら捨てる堕落へと繋がりそうに思えた。

現実の西部開拓時代というのは、大雑把にいうと1860年頃から1890年の
西岸到達までの時代を指す。
だが、この『ビッグ・トレイル』に出てくる主人公(ジョン・ウェイン)の愛用する
ライフルはフリントロックのケンタッキーライフルであり、幌馬車隊が使用する
ライフルもすべて先込め式の旧式ライフルだ。1700年代の独立戦争時代の
ようなライフルを使用している。
ところが、主役のジョン・ウエインのみはウエスタンカーニバルに出てくるような
派手な舞台衣装のようないでたちで、連発ピストルを使用している(笑
実用的な連発ピストルが地球上に登場するのは1830年代以降のコルトから
であるので、
この映画は1860年頃の時代設定となっているのか。主役のハンド
ガンのみ
見るとレミントンなので1870年近いともいえるが、物語の内容では
サンフラン
シスコが出てくるので、1849年のカリフォルニアのゴールドラッシュ
以降の
物語であることが判る。
ネイティブアメリカンについては、主人公に「彼らからいろいろなことを学んだ」と
しながらも、キャウキャウホーッと叫びながら鳥の羽を頭に着けたネイティブ
アメリカンが襲ってくるシーンを取り入れているのは、1930年頃のアメリカと
してはネイティブへの扱いもそのようなステレオタイプだったのだろう。
インディアンは「土人」であり、「恐ろしい野蛮人」であるとして描かれている。
現在の日本人のことも髷を結って刀差していたり普段からキモノ着ていたり、
あちこちで忍者が走り回ったりしていると本気で信じているのがアメリカ人だ。
(いや、これホントなんです。少なくともつい最近までそう思ってる連中が
アメリカ国民の7割以上だったのではなかろうか。今でも西部北部の田舎に
行くと「日本人=ニンジャ」と本気で信じています。「アフリカ人」というと、
裸に裸足で槍持って鼻輪してドンガラドンドンとダンスしてるというイメージを
抱く無知な日本人が案外多いことにも似ています。)

この『ビッグ・トレイル』はかなりおすすめ。
撮影手法も、現在観てもまったく古さを感じさせない。
ふと思ったが、キャメラワークなどを見ていて、黒澤明監督は絶対にこの
映画の影響をかなり受けているとみた。


以上、昨日観た映画の感想。
ほかに、『柳生一族の陰謀』と『SFソードキル』もDVDで観たけど、レビューは
今回は無し。
邦画では日本刀の物語でもある重い作品の『オイディプスの刃』もまた観た
かったが、ちょいと疲れたので昨夜は観なかった。


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映画『柳生一族の陰謀』(1978)

2013年11月16日 | 映画・ドラマ・コミック

新陰流柳生但馬守と真新陰流小笠原玄信斎の対決。


玄信斎もろとも石仏をも切断する柳生の剣。








そんなバナナ(笑

なぜか居合所作は土佐居合。




これは萬屋先生が夢想神伝流を習ってらしたから。

それにしても、柳生の剣、柳生の刀というのは恐ろしい。
石も鍛えた鋼も切断してしまう。

こちら柳生烈堂。(『子連れ狼』より)






え~と・・・。
映画・ドラマのフィクションですから(^^;
日本刀で石仏を両断したり、鍛錬した鋼の輪っかを太い丸太ごと
切断なんてことは絶対にできません(笑


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1988年2ストクォーター レーサーレプリカ比較

2013年11月11日 | バイク・車

1980年代。
すでに人類はレーサーレプリカを保有していた。

1988年のホンダNSR250R(MC18)の登場は、それまでの
「レーサー(レース専用マシン)ぽい」市販車を一気に超えた。
それは、それまでのメーカーの純レーサーと一般公道用マシンが
別枠で開発されていたのを一蹴して、レーサーを公道が走れる
ように開発したからだ。
基本ベースは、1985年に世界グランプリマシンとなったフレディ・
スペンサーが乗ったRS250RW(とは名ばかりで実質はワークス
マシンNSR)
をベースとした。
当時の一般市販車の馬力自主規制が250ccでは45馬力だったところ、
一般
公道用ホンダNSR250Rは、ある電気パーツを外すだけで65馬力
も出力が出た。1985年のヤマハ純レーサーが70psだから、一般
公道用市販車が箱出しノーマルで65psというのは尋常な世界では
なかった。


世界のトップに君臨した日本メーカー4社からはすべて「レーサー
レプリカ」が出そろった。

その中でも、昭和のラストである1988年から平成の始めの
1989年にかけては、ホンダNSR250RとスズキRGV250Γ(ガンマ)
が頭一つ飛び抜けていた。
実際にはパワーではホンダが圧倒的に勝っていたが、1980
年代末期~1990年代初期のスズキは、世界GPにおいても
マシン開発が進んでいた。
一般市販車でも1983年国内初のフルカウルとアルミフレームで
「レーサーレプリカ」ブームに火をつけたガンマだったが、ガンマ
1型2型はかなりクセがあるマシンで、決して「良い車」とは
いえなかった。
しかし、1988年に入り、エンジンをV型としたRGガンマはハンド
リングにおいてもかつてのどうしようもない定常旋回しかできない
ハンドリングが解消されていた。(チャタリングとハンドリングの
悪さは1型ガンマは特筆ものだった。駄目マシンだと私は
確信を以て断言できる。そのチャターを消滅させるには、アッ!
と驚く大三元のようなセッティングをしなければならなった。
1983年当時のスズキ市販車はヤマハの足元にも
及ばなかった。
その当時のホンダの市販車は論外である。
走らず、止まらず、曲がら
ないバイクしかホンダは市販車で
作れなかった。
カワサキは「我が道を行く」でレプリカブームとは
一線を画していたが、
1988年にレーサーレプリカを登場させた。)


1988年ホンダNSR250R


スズキRGV250ガンマ

ヤマハTZR250


カワサキKR-1


4社マシンのレビュー比較動画(サーキット&公道)
'88 2stroke RGV250γ,NSR250R,KR-1,TZR250



もう25年も経ってしまった。
この夢のような時代は、この先もう二度とやって来ないだろう。
バイクはいつの間にか「空間移動」の手段の乗り物になってしまった。
大型スクーターが流行っているのがその証拠だ。

そして、若者もバイクに乗ろうとはしなくなった。
バイク人口2000万人といわれた1980年代は遠くに去りにけり。
現在は
免許制度が変更になり、誰もが簡単に大排気量車に乗れる
ようには
なったが、250ccのライトウェイトクラスのマシンの楽しさは
どんどん人々の記憶からも消し去られている

世界グランプリがMOTO GPと名称変更になり、アメリカの排ガス規制
により2ストロークマシンは消滅していった。
GPの世界からは2ストが消え、今一般車でも絶滅しようとしている。
本当は排ガス規制をクリアできる2ストエンジンも作れるのだが、
いろいろな大国の政治的圧力があるため、低排気量車両では優れた
構造である2ストエンジンの灯はほぼ断たれた。
唯一健在なジェットスキーもじきにすべて4スト化していくだろう。

思い起こすに、1980年代はいろいろな意味で本当に素晴らしい
時代だった。

上の動画の公道のテストコースは私が愛した箱根芦ノ湖スカイラインだ。
だが、このような雑誌の公道テストも、もうできない時代になった。


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ワインディングロード

2013年11月11日 | バイク・車

TZR250 vs RZ350


安全マージン充分な速度だし、楽しそうだね(^^)
どこだろう・・・。

ということで・・・場所を割り出して特定した。
行ったことない場所だった。



ここだ。


youtube

現場


youtube


現場


youtube(Uターン地点)


現場


つまり、A地点からB地点まで走ってUターンして戻って来たことになる。


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映画『11人のカウボーイ』

2013年11月11日 | 映画・ドラマ・コミック


『11人のカウボーイ』(原題:THE COWBOYS)
1971年米国/日本公開1972年/131分

ジョン・ウエイン主演の『11人のカウボーイ』を見た。
かなり良い。
ここに出てくる少年たちは10歳から15歳までで、撮影当時ちょうど私と同じ
年齢のアメリカ人の子たちだ。

ただし、子役俳優の子たち(まったく馬に乗れない)と、乗馬が得意の子たち
(まったく演技したことがない)がオーディションで
1000名の中から選ばれた。
抜擢された10歳の乗馬が巧い子などは3歳の時から乗っているという。

なぜこの映画を公開時に劇場で観なかったのかと悔やまれる。
1972年当時は、私の周囲ではウエスタンブームだったからだ。
そして、小学生同士でよく映画館に足を運んでいた。

この映画を劇場で観なかったというのは、かなりもったいない。
牛を650kmの距離を移動させるキャトル・ドライブも、少年たちの見事な乗馬
シーンもすべて吹き替えなしで撮影されている。

CGもなかった時代の本格映画がいかにスケールが大きいか。
大西部で撮影されたこの映画は、興行成績でも7,500,000ドル(当時。40年前
当時の日本円で27億円)を売上げ黒字ヒットした。




内容は、死んだ息子たちとも折り合いをつけられなかった大西部の老人が、
砂金目当てのカウボーイに逃げられた後、奇縁によって小学生
の子どもたちを
キャトル・ドライブの仕事を通して「西部の男」に育てて
行く物語だ。
描写もきめが細かく、良作だ。
親子で是非ご覧いただきたい一作といえる。
うちの娘も食い入るように観ていたが、東京から帰ったばかりなので、疲れて
途中でダウン→爆睡へ(笑


このDVD買おうっと。
少年たちの「先生」となった西部の男(ウェイン)と少年たち、黒人のコックとの
心の触れ合いが特に良い。子役たちの演技も、かなり良い。
仕事に共に就く事が人生の道場だったという今はない古き時代の物語だ。
ラストシーン直前に少年たちが牛の群れを巧みに扱って目的地である町に入って
来るシーンはかなり感動した。
ジョン・ウェイン、年取ってもめちゃくちゃかっこいいじゃない。
お袋、何を観てるんだ。




ジョン・ウェインは身長190センチくらいあるのに、この一番左の子(撮影当時16歳)は
でっかすぎない?(笑
劇中のカウボーイ採用試験のロデオ・シーンでも吹き替えなしで見事こなした。
落馬したら首の骨折りそうな激しい暴れ方だった。
一番右のおチビちゃんも、上手に馬を乗りこなして、投げ縄も決めていた。
子どもたちなのに、役を身近に引き寄せる努力をする役者魂はプロのそれだ。
日本のしょぼい殺陣する時代劇俳優たちは見習ってほしいと思う。

DVDではなくブルーレイ買おうかな。画質ぜんぜん違うものなぁ。
『シェーン』とこの作品はブルーレイがいいかもなぁ。
風景すごく綺麗だし。

(ビデオ)


(DVD)


(ブルーレイ)


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映画『壬生義士伝』

2013年11月10日 | 映画・ドラマ・コミック



『壬生義士伝』を観た。
何度目かわからない。
浅田次郎の小説は「いかにも」なので、あまり好きではないが、
この映画は観させる。
中井貴一が特にいい。

詳しいレビューはのちほど。


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ファイター群像

2013年11月09日 | バイク・車

本当にマシン好きな人は、一からこつこつと自分のマシンを作り上げる。

一般公道用市販車ヤマハRZ350R改のレーサー仕様。


ものすごく手を加えているのだけど、煮詰めにまだ幅があるとはいえ、
セッティングもかなり出ているようだ。

筑波TC250レース決勝(2010.3.13)
final 1(前半)


final 2(後半)


なかなかやる。
表彰台だそうだ。
タイム的には懐かしいタイムで回っている(^^;)
83~84当時の筑波はGP250ノービス決勝のレース中で1秒台、国際Aで
0秒台だったと思う。今はダンロップ先のコースが迂回して長くなったから
タイムは相対的に落ちているが、この動画の人で旧コースなら1秒台後半~
2秒台ほどではなかろうか。
GPクラスではなく市販車改造なのだからかなり早いほうだと思う。
83年当時でも、スペンサーが走れば250で58秒だっただろうと言われていた。
57秒台は87年に出ている。250のほうが筑波では500よりも早かった。
清水氏がホンダワークスNSRで出したタイムがヤマハ500の藤原氏よりも
早かったと記憶している。

この動画のはTC250だから2ストは250cc以下のはず・・・あれ?
350・・・?
ただ・・・
シフトアップの時にクラッチを切っている理由がよくわからないが、
何か意味があるのだろうか。走り始めのみシフトアップでクラッチ切ることは
ケニーもやっていたが、全周でアップの際に切るのは謎だ。
あれでかなりロスしているように思えるが、ミッションがクロスしてなくは
なさそうなのに(ダンロップ先はギヤレーションが合っていないのか苦しい)、
シフトアップでクラッチを切る意味がよく私には理解できない。
レーシングライダーは意味のないことはしないので、何かしらの意味が
あるとは思われるが。
別動画の別マシンでもすべてシフトアップの時にクラッチを切っている。
なんだろう・・・謎。筑波一周1分4秒代平均だが、かなりロスしてると思う。
別な動画では「立ち上がりで離される~」と字幕があったけど、ラインは
悪くないと思うのだが、シフトの時に駆動がかかっていないコンマゼロ
何秒かのロスでどんどん離されるんだと思うのだけど・・・。

10.6.4前日練習1.3.64

TZの音にそっくり(^^
え?350なの?出場はTC250ではなくて?
でも、本物の映画『汚れた英雄』シーンの動画が見れるとは思わなかった(^^;



自分でマシンを仕上げてレースに臨むファイターに心から拍手を送りたい。
濃いなぁ、この人のブログ。

RZの隠れ家


上のRZの隠れ家さんのコラムはこちらが面白い。
RZも大切だけど事故った時、死ななくてほんとよかったね(^^;
おいらのカリカリチューンのRZ350は丸ごと盗まれた(苦笑
トラックで来てツナギ着た連中が持ってっちゃったてさ。
その後、別場所ではRZ250Rのチャンバーが2回盗まれた。
3回目の時は張っていて、犯人を木刀で思いっきり引っぱたいてやったよ。
チャンバーなんかもうどうでもよくて、制裁が主目的だったな、あの時は(笑


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ジブリ作品『風立ちぬ』を観て思ったこと

2013年11月08日 | 映画・ドラマ・コミック




過日、親子三人で『風立ちぬ』を観てきた。
よい映画だった。
宮崎監督の描きたかった世界にしんみりと浸った。

この作品については、戦時中の戦闘機を製作した人物が
主人公であるとして、国内外に波紋を呼んだ。
ネットで見る限りでは、韓国では「宮崎監督は日本の軍国主義に
反対している人かと思ったが、日本帝国主義を賛美する映画を
作ったのはアジア人への裏切りだ」などという論調が多く見られる。
中国も同様だ。
そして、驚くことに、日本国内でも同様の主張をする日本人が
いる。

映画作品というものは、観てどのような感想を持とうが自由である。
しかし、「自由を認めない」者たちは、観方についても最初から
答えを用意し、それに合致しないと非難対象にしたがる。
そこに人間の尊厳の尊重の心はない。


この『風立ちぬ』を軍国主義アニメ作品とする連中は、どこをどう観て
いるのかとさえ私は思う。

主人公の技術者が特高警察にマークされた時、航空機製作会社の
責任者たちが国家権力に反抗してまで主人公をかくまったりした
描写を見ていないのか。
あれ、へたしたら拷問で殺されるからね。
そうしたことをうかがわせる描写もあった。
「理由なく特高に連れて行かれて帰ってこない人がいる」と。
現実的に、戦時中の特高警察はゲシュタポ同様そのようなことを
行なっていた。
しかし、『風立ちぬ』に出てくる戦闘機製作の責任者たちは命をかけて
主人公を特高から護った。

サラリと描いていたが、あそこにこそ宮崎監督の心のありかが現れて
いる。
この作品は、「空を飛びたい」「空を飛ぶ飛行機を作りたい」という
情熱に生きた人間が、その純粋な情熱だけでは夢を叶えられない
時代もあった、ということを描いたとても深い映画だ。
そして、「生きたい」と思っていても生きられなかった人(たち)を
主人公とからめて悲哀譚を静かでまっすぐな恋愛抒情として描いている。
湿っぽくもなく、情熱的でもなく、淡々とした日常風景としてそうした
人の心の描写が流れて行く。

この作品の中では、直截に「敵」を描いてはいない。
敵を描いて、それをやっつける、あるいはその敵によって苦しめ
られる、という政治プロパガンダ映画のような稚拙な表現を採らない。
秀逸な作品だと思う。


「かつて日本で、戦争があった」というコピーを指して「軍国主義を
反省していない」とする中韓のメディアもある。
作品をきちんと見ていない。
宮崎監督は、左翼に名を連ねる人ではあるが、反日ではない。
(尤も「反日左翼」などというのがいたら、それは大偽者であるのだが)
人類の歴史で、人の世で、何が不幸で何が幸せかを常に作品のテーマ
にして
いた人だ。
その宮崎魂は
『風の谷のナウシカ』にその真骨頂が表現され、『もののけ姫』
深くえぐられて我々の目の前に出された。
その他のファンタジーとされる作品群においても、テーマの底流には
常に「人はどうあるべきなのか」「人の幸せはなんであるのか」を
ずっと模索し続けてきた。
『ルパン三世』の製作においてはアニメ娯楽に純化しているが、本来は
ジブリ作品においてこそ自身の希望の発露を見出だして作品を
作り続けた。宮崎駿監督はそういう「表現者」である。

なぜジブリ作品が多くの人に受け容れられるのか。
それは特定イデオロギーに固執しない、人々の共通の相通じる心とは
なんであるか、についてをテーマにしてきたからである。

特定の予定調和の答え出しのために宮崎作品を持ち出して利用するのは
適切ではない。


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