渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

巨匠クロサワのミステイク ~映画『七人の侍』~

2012年12月25日 | open



黒澤明監督の映画『七人の侍』
(1954年東宝)は、洋画邦画
を含める全作品の中で
一番の
傑作だと私自身は思っている。

『七人の侍』は何度観たかわ
からない。


しかし、巨匠世界のクロサワも
歴史的名作の中でも大きなミス
を犯す。

いくつかあるが、ひとつだけ紹
介しよう。


野武士が襲ってくることがわか
り、村人を軍事訓練した傭兵た
る七人の侍たち。

五郎兵衛(稲葉義男)と久蔵
(宮口精二)が村の防備の様子
を見まわっていると、
どうにも
持ち場についた村人たちが怯え
ている。

「どうもいかんな」と思案に暮
れていると、別な防衛拠点の持
ち場からエイエイと
気合を入れ
る村人たちの声が聞こえてきた。
見ると七郎次(加東大介)が農
民たち
に気合をいれて指揮し、
全員で気勢を上げていたのだった。



この時のシーンの久蔵の刀に
注目してほしい。

長丸型の鍔で表の左に小柄穴
があいている。



そして、一瞬画面が向こうで気勢
を上げる七郎次たちにカットが移
り、再びすぐに
こちらの五郎兵衛
と久蔵にカメラが移る。
「これはよい、こちらもやるか」
となってこちらの持ち場でも村人
たちを鼓舞するのだが・・・。


ありゃりゃ!
久蔵の刀が別な刀になっている。
五郎兵衛の刀も別物に(笑

久蔵の刀は丸型鍔で左に小柄穴は
無く右に笄(こうがい)穴がある。
鍔の表左には
梅鉢の透かしがある。
明らかに違う鍔である。頭(かしら)
も異なる。


この場面カットが変わる時間は
わずか2秒ほど。

ラッシュ段階でちぐはぐさに気
づいても
もう撮り直しはできな
い。編集で短く繋げることでち
ょっと見には違和感が
ないよう
にしたのだろう。


このようなことはごく最近の山
田洋次監督の『たそがれ清兵衛』
にも存在する。

この『たそがれ清兵衛』は、撮
影上の違和感がないように、徹
底的に
シナリオと映像と演出に
こだわりぬいた作品だというの
がDVDのボーナス
トラックの撮
影秘話から十分にうかがい知れる。

ところが、清兵衛(真田広之)
と甲田豊太郎(大杉漣)が河原
で対決する
シーンで、なんと大
杉漣さんは左手の薬指に大きな
指輪をはめたまま
なのである。
これは実は撮影時に監督含めて
誰も気づかなかったのだ
という。
そしてラッシュでそれに気づく。
しかし、出演者のスケジュール
揃わず、撮り直しがまったく
できない。やむなく「このまま
で使う」という
ことになったと
いう。だから幕末の武士が現代
指輪をしているという極めて

珍妙なシーンになってしまった。
以前から「なぜだろう?」と思
っていたが、
DVDを見てその理
由が判明した。


映画という作品では映像上の齟
齬(そご)がかなり多くあった
りする。

アクション映画などではほぼ確
実に存在したりする。『プレデ
ター』でも、サソリを踏みつけ
て潰して靴を上げたらサソリの
向きが逆になっていたりとか。
しかし、大抵は短いカット割り
やカメラアングルを変えたりし
違和感をなくす偽装が施され
ていたりする。ただし、そのま
まのカメラアングルの場合、ち
ぐはぐさが目立ってしまう。

記憶に残る一番映像上のちぐは
ぐさが多かった作品は『ハスラ
ー2』だった。

これは私は公開時から劇場で観
た際に多くの部分に気が付いて
いた。

ビデオで再度観たとき、あまり
に多いので驚いた。ビリヤード
のシーンなどは、
顔のアップに
なって次にテーブルにカメラが
移動すると玉位置が違っている

などというのはほぼすべてのシ
ーンで存在した。


世界のクロサワでさえどうしよ
うもないことがある。

それは、「撮り直しがきかない」
ということだ。

しかし、『たそがれ清兵衛』は、
CGもそこそこ使っているので、
CG処理で指輪
だけを消すことは
十分できたのではなかったろう
か。黒澤監督の時代は仕方
ない
としても。

よくできた傑作『たそがれ清兵
衛』だけに、唯一その指輪はめ
たままという
シーンのために画
竜点睛を欠くような気がしてな
らない。


黒澤明『七人の侍』においても
まだほかにもつじつまが合わな
いシーンが沢山ある。

特に、村の中をどうやって守る
かと島田勘兵衛(志村喬)らが
地図を作り、村の隅々
まで下見
して回るシーンで、人物の影と
太陽の位置、それと地図を見比
べると、
実は実際の東西南北と
は関係ない場所なのに地図上の
東西南北に当てはめて
いる部分
もあることが即座に判明する。
これは私は、初めて『七人の侍』
を観た時に瞬時に
違和感を覚えた。
ポイントは「影」だ。
特にクロサワ作品は「なんとな
くそんな感じ」という「雰囲気
ファンタジー」を監督は
撮った
わけではないので、たとい一人
の観客にさえこのような違和感
齟齬を察知
されてしまうのは、
やはり文字通りの「ミステイク」
だと思う。
何度もテイクしたはずだろうに
映画作りってムツカシイね。
世界のクロサワ作品でもこうし
たことがあるのだもの。


マイク・シーゲル ~プール・プレーヤー~

2012年12月08日 | open



私が一番好きなプール・プレーヤー
マイク・シーゲルだ。
(日本ではごっちゃになっているが、
英語では厳密にはビリヤードとはキャ
ロムのことを指し、ポケットはプール
と言う。ただどちらもビリヤードと
呼んでも間違いではない。刀も太刀も
「刀」と呼ぶのに近い←厳密には間違い)

彼は右利きなのに左で撞くんだよね。
変なの(笑
西部劇に出てくる悪役ギャンブラー
のような風貌が1980年代当時から
好きだった。
何よりも彼の球の筋が今でも好きだ。
21世紀になり、彼がキューを造れる
人だと知った時には驚きだった。
プロデュースか何かだろうと思っ
ていたら、彼自身が旋盤を回して
キューを造ったりするので、なお
さら驚いた。
最近は「疲れちゃって」とのことで
キューは製作していないらしい。
1980年代には、彼はメーカーサポ
ートのキューを使っていた。
メウチからジョスに変更して世界
のトップに立った。
1986年公開の映画「ハスラー2
(原題:カラー・オブ・マネー)」
ではテクニカル・アドバイザーを
務め、トム・クルーズに一から手
ほどきをした。
1980年代末期、ジョスのキューは
高額にもかかわらず日本で爆発的
人気になった。
ただ価格が高いだけでなく、ジョス
のキューは高いアビリティーを持っ
ていた。
当時は「カスタム・キュー」という
言葉も概念もなく、個人製作の一品
物と企業の製品との厳密な区別はな
かった。キューはキューだった。
当時の企業製品も日本刀の刀工の
ような一品生産がなされていたの
である。企業製品も、カスタムライ
ンに近い品質のキューをたまたま同
じデザインとしてラインナップして
リリースしていただけだ。
だからダン・ジェーンズが手掛ける
ジョスやボブ・ランデが手掛ける
ショーンなどは、企業のファクトリ
ー・キューといっても、それはカス
タムキューとさえ呼べる物だった。
(これらのキューはファクトリー
キューといっても、価格は当時の
日本円で25万~60万円くらいした。
現在とレートの違いを相殺しても、
1800ドル~だから現在価格で15万
~40万円くらいはするだろう)
彼らアメリカ人の職人が作ったキュー
は実によく切れた。

「キューの切れ味」とは、打球の
際に自在にスピンをかけられて
球がよく走る挙動を起こせるキュ
ーのことを言う。押したり引いた
りもとても楽にできるキューの
ことを指す。同じ人間が同じスト
ロークでショットするので、
キューの違いというものはすぐに
感知できる。とにかくキューに
よりまるで違う。
そのキューの能力を均一に引き
出すために21世紀に入った頃
から科学的技術を導入してキュー
製作に新製法が導入された。
それは「ハイテク・キュー」と
呼ばれる。
だが、私個人はハイテク・キュー
は好きではない。金太郎飴のよう
にどのキューでも同じような特性
になってしまうからだ。まさに
工業製品だ。工業製品としては
とても良い製品といえるだろう。
ただし、「作品」ではない。
カスタムラインのキューは工業
製品にはない独特の打感と独特
の動きをもたらす個体差を有する
一品物という点で日本刀のそれに
近い。また、キュー職人が一本一本
魂を込めて作り上げることも日本刀
に近いといえるだろう。
どんなにトビやズレが出ようとも、
私は今後もハイテクシャフトを
使うつもりはない。
厳選された一本木を十分にシーズ
ニングしたソリッドシャフトを好む。
シャフトさえ替えたらどのキュー
も同じ性能になっちゃうなんて
つまらなすぎると思うのだ。
特にタッドやリチャード・ブラック
にハイテクシャフトをつけたりした
ら最悪の行動に思えたりもする。
私個人はキューの良さ、キュー職人
の目指すところを100%殺してしま
うことだと思っているから、そう
いうことは絶対にしない。
ただし、ハイテクにこだわらず、
「バット部と相性のよいシャフト
探し」ということでたまたまハイ
テクシャフトを選択するのはその
限りではないだろう。
しかし、「何がなんでもハイテク
シャフト」という前提でキュー
選びをするのであれば、最初から
ハイテクシャフト用のキューを
選べばよいのにと私は思う。
職人特製のカスタムを持つ意味が
「ブランド」や「ステイタス」と
いうことだけになるのはあまりに
も中身がないように思える。
私個人のキュー選びは「切れる
キュー」、これに尽きる。望む
打球性能を有するのであれば、ハギ
のデザインなどないプレーン(無
ハギ)でもよい。
しかし、ハギというものは、実は
キューの振動吸収に大きく影響し
てくる。キューはバット部がただ
硬ければ良いというものでもない。
まるでレーシングモーターサイクル
の足回りのセッティングのように
繊細なものなのだ。足回りのセット
はダンパの減衰力とバネ特性、オイル
の硬度と量、タイヤのコンパウンド
や偏重特性とトラクション、さらに
乗り手の乗り方によってセットアップ
の方向性が決まってくるし、何より
もフレーム=シャシの如何が大きく
走りに作用してくる。
そして、マシンのセットアップは
足回りだけでなく、すべての挙動
をどのように捉えてどのように対処
するかでシャシフレームやエンジン
マウントの方向性、ステムの如何

開発ライダーが絞り込んでいく。

キュースポーツのキューもこれと
同じようなことがいえる。
バット部の適度なしなりと振動収束性
がシャフト特性とマッチしていないと
キューというものはただの棒になって
しまう。
さらにキューにはレーシングマシン
とは異なるファクターが影響する。
それはキューの材料が天然素材である
ことだ。キューの打球特製の個体差が
大きいのも、同じ木材を使っても木は
生き物なので個体差があるからだ。
だからこそ、バット部とシャフトの
マッチングが大切になるし、キュー
のハギというデザインは剛性機能を
求めるところから発生した。
そして、シャフトとバットのジョイント
部分の方式も打球特性に大きな影響を
及ぼしている。
キューのハギというものは見た目の
デザイン重視ではなく、まず先に実
用性の粋があったのである。
それを歴史の上で具現化したのが
コンバージョンという方式で最高の
キューを完成させたジョージ・バラ
ブシュカであり、彼に素材として
ハギのブランクを提供していたガス・
ザンボッティたちのブランク製作者
だった。

かつて、あるプロが私の所有キュー
数本を撞き比べて笑いながら言った。
「どれも同じような性質のキュー
ですね」と。
自分の佩用の得物は、おのずと同じ
ような特性のキューになってしまう
のだろう(苦笑)。
ただ、別なプロは私のザンボッティ
モデル(by モッティ)を自分のカス
タムキューと交換して欲しいとまで
申し出た。それだけそのキューが個体
として秀でた性能(というより撞き手
とのマッチングか)を有していたから
だろう。

何年か前、マイク・シーゲルが造っ
たキューを撞かせてもらったことが
ある。
私が持っているロバート(ボブ)・
ランデが作ったショーンに特性が
とても似ていた。
そういえば、私のショーンのデザイン
は日本に1本しかないようだ。1980年
代当時にも日本には同型番は1本も
輸入されていなかった。このショーン
は1989年のワシントン条約での象牙
取引禁止以前にアメリカから持ち帰
った物だ。先角とバットスリーブに
ランデ製作当初からの象牙が使って
あるので、現在ではアメリカから
海外には持ち出せない。日本からも
アメリカに持ち込むことができなく
なった。空港ですべて象牙部分を
えぐり取られてしまう。だから象牙
を使った昔のアメリカン・キュー作品
をその作者に修理を依頼することが
現在はできない。

マイクの造ったキューはトビズレ
が多少大きく「見越し」をとらな
ければならなかったが使い易かった。
(キューに「見越し」は存在しない。
トビというズレがショット具合に
よって出るからそのズレを予想補正
して撞くことを「見越し」と呼ぶ。
クレー射撃の際に「リード=見越し」
を取ることと全く同じだ。
撞球界では用語を誤解している人が
あまりに多い。
「そのキュー見越しありますか」と
訊かれるたびに私は「見越しはゼロ
です」と答えることにしている。
キューを貸して撞いた相手は「?」
となるが、意味をよく考えろってば)

ただなぁ~。マイクのキューはデザ
インが好きになれないのよ(苦笑
やはり私はオーソドックスな剣ハギ
が好きだな。
しかも、シンプルな4剣がいい。日本刀
の直刃(すぐは)に通じる静謐さを感じる。

これは日本製のキューだ。バーズアイ・
メープル(鳥目楓)にハカランダの4剣。
ハカランダ(ブラジリアン・ローズ
ウッド)は、もうほとんど手に入らない。
なぜならば、こちらの樹木も象と同じ
絶滅危惧種で且つワシントン条約で取引
規制対象だからだ。


貴重な在庫ハカランダでカスタムした
バット・スリーブ部。

日本刀には「観賞用」の日本刀がある
らしいが、ビリヤードのキューはゴル
フクラブと一緒で「使うための道具」
だから、使ってみて使えない物であっ
たら存在価値そのものがないことになる。
厳しいね。日本刀も本来はこうある
べきなんだけどね。
鞘の朴(ほう)の木に当たっただけ
で切先がけし飛んだり、直径1ミリの
紐を斬っただけでボロッと刃こぼれ
したり、刃引きにして研ぎ師がごま
かし研ぎをしなければ新作刀剣展に
出せないような日本刀というのは、
一体製作者は何考えて刀造りをして
いるのかと思ってしまう。
当然、武士がいた時代にはそんな物は
腰に差すことはできない。脆いから
危なすぎてね。武者働きせずにわざ
わざ命を捨てるために持つようなもん
だ。そういう「刀(の形をした焼き物)」
はいただけないす。


シーゲルのプレー動画。
サクッと100点を撞き切ってしまって
勝っている。
相手は最初の1キューでセーフティを
ミスした時にキューを握っただけ。
あとはマイクが敵にまったくキューを
握らせない。
こういう勝ち方がビリヤードにおける
理想的な「勝ち」だろう。
Mike Sigel vs Oliver Ortmann at the World 14.1 Tournament