絵に注目か(笑
客引きは違法行為だが、客引きをする
店はほぼ全部がぼったくりの違法店だか
らね。昔からあったけど。
ヘルプコール来た後輩は、1杯のコーヒー
で5万円請求されたりとかさ。80年代の
事だけど。
今だと、酒飲んだりすると、30万円位か
しらね。
仕事の知人で、ビール2本で55万請求され
た人知ってる。
払っちゃったってさ。あかんやん。
つか、ぼったくり店には行かないに限る。
おねーちゃん使わないボッタ店もあるの
で、繁華街では要注意。
丸太のように太い孟宗竹が高く聳えて
いる。
いる。
この手の竹林に入って、木刀で打って
みた事がある。
みた事がある。
拍子木のような甲高い音がした。
日本刀では絶対に切れないと思った。
ノコギリの出番ですね(笑
「眞子さまら」ですって。「ら」ですと。
根本的に国語である日本語の使い方を
間違っていますね。
最近、こんな程度の感覚の連中ばっか。
マスコミらは。
私がよく知る横浜の風景。
子ども時分に育った場所だ。
写真では平坦に見えるが、かなり登り下り
の起伏のある場所だ。
現在の横浜薬科大にはボウリング施設が
あり、学生に解放されている。
19番レーンから24番レーンまで残ってい
る。かつて「ドリームボウル」だった商業
施設をそのま利用したものだ。
この23番レーンで1970年7月5日に投げた
事がある。
私は生まれて初めてのボウリングは横浜
ドリームボウルでやった。
小学生の頃の最高スコアは160台だった。
自己ベストは228で、1981年に出した。
1960年代末期のパンフレットから。
ドリームボウルとドリームスケート。
ドリームランドは今の東京ディズニーラン
ドよりも国内最大級の「夢の国」だった。
特徴は、アトラクション施設だけでなく、
各スポーツエリア等も充実した一大リゾー
トエリアとしていた点だ。
国内初の高層ホテルは21階建で、宿泊は
現在価格で1泊約50,000円〜120,000円
程。一般ホテルが1泊700円の時代だ。
ドリームランドのドーナツ大プールは、
冬場にはスケートリンクとなった。
一年中滑れた屋内リンクと併せて、どちら
も楽しめた。私などは友人たちと小学生
の頃に年中滑りまくりだった。冬場には
革ジャンを着ていたが、夏の屋内リンク
でも長袖と手袋は着用義務があった。
私や友人は靴はホッケーで、自分の靴で
滑っていた。1970年前後、ホッケー履い
てエッヂを利かせてクルクルギャンギャ
ンと滑りまくるスケート小僧たちだっ
た。
た。
私は野球にバスケにスケートに水泳に柔道
をやっていた。剣道は大嫌いだった。
他に手習いで幼稚園の頃から絵画教室と
算盤塾と音楽教室(電子鍵盤楽器)に通っ
ていたが、算盤勘定が大嫌いなので
算盤塾は数か月で即辞めた。講師は
三宅裕司によく似ていた。
ていたが、算盤勘定が大嫌いなので
算盤塾は数か月で即辞めた。講師は
三宅裕司によく似ていた。
横浜ドリームスケート時代の小3〜小5が
一番スケートをやった。生まれて初めて
滑ったのは5才の時の品川スケート
リンクだった。馬に乗り始めたのもその
頃だ。
リンクだった。馬に乗り始めたのもその
頃だ。
今から半世紀前あたりは、日本のあちこち
にスケートリンクがあった。街中で手軽に
楽しめた。
このあたりは、望月三起也先生の1970年
の作品『ジャパッシュ』にも出て来る。
街の不良中学生たちが自分のスケート靴
持って街中のスケートリンクにたむろして
いる様子が作品に出て来るが、それはよく
見る街の光景だった。首都圏の街頭ではヘル
街の不良中学生たちが自分のスケート靴
持って街中のスケートリンクにたむろして
いる様子が作品に出て来るが、それはよく
見る街の光景だった。首都圏の街頭ではヘル
メットの大学生たちが機動隊と準内戦の
ようなドンパチを繰り広げていた時代だ。
広島県の福山にも屋内リンクがあり、小学
生の頃に広島県に遊びに行くたびに福山の
リンクに行った。その時は貸し靴だった
が、ホッケーが人気なのか、なかなか借り
られなかった。
福山には「教え魔」のおっちゃんがいて、
頭つるっぱげのホッケーを履いためちゃ
くちゃ上手いおっちゃんだった。
福山の巧い同世代の知らない連中とすぐ
に私は仲良くなったが、うちらも小学生
のガキながらホッケー選手のような滑り方
をしていた。だが、その福山のテカ
テカ頭のおっちゃんの滑りは本格的で、
いろいろテクを教わった。それ、確実
にリンク傷むでしょうよ、みたいな
滑り方。
テカ頭のおっちゃんの滑りは本格的で、
いろいろテクを教わった。それ、確実
にリンク傷むでしょうよ、みたいな
滑り方。
横浜ドリームランド跡地で、今は横浜薬科
大のスタジアムになっているあたりは、
昔も広大なグランドがあり、1970年
の秋、遠くの園内の厩舎から馬が2頭
脱走して爆走し回った事があった。
の秋、遠くの園内の厩舎から馬が2頭
脱走して爆走し回った事があった。
グランドで遊んでいたうちらは高い所に
避難した。何だか大きなケーブルの空の
ドラムの上に慌てて登った記憶がある。
ちょうどナイフでロープを切って遊んで
いた時で、肥後守をたまたま持っていな
かった友人は、コーラの瓶を割って、それ
の破片をナイフとして使っていた。埃っ
ぽい寒い日だった。もう50年以上前にな
る。
横浜ドリームランドは、まさにワンダー
ランドだった。
アトラクション施設の質は現代のTDLの
ほうが遥かに現代的だが、横浜ドリーム
ランドには夢があった。50年以上前に
あっては、それは「別世界」だった。
まだ日本人が自由に海外旅行さえできな
い時代、「世界」に触れられる事ができ
た仮想空間でもあった。
今は私立大学のキャンパスとなっている。
この「東洋一」(笑)の観覧車が恐怖物だ
った。外のゴンドラでなく中側のね。
これ、観覧車がゆっくり回って行くと、
ゴンドラが落ちるように激走しだすんで
すよ。
その動き始めが、ギ、ギ、ギギギギゴロ
ゴロ、ギャーッ、ゴーーッ!と激走する
の。空中で。
そら、あーた、世の中、こんなヤバげで
怖いもんはありやせんでした(笑
ちょいキャンでも、オーバーウエアの下
には革ジャン。
私がいくら革好きでも、キャンツーでも
ない限りここまでは(笑
さすが、V-MAX乗りの筋金もん。
犬、物凄いいびきかいて爆睡。
その横で黒猫は気持ち良さそうに眠って
います。
引っ付いている。
よく、こんな轟音の真横で寝られるなあ。
一方、あたしは我が道を行く、の生き物。
世の中に泥棒が一人もいなければ必要
ない物。
始動回路オンはただのスイッチでよい。
だが、ドアにも家にも財産である車両に
も、盗んだりする人間がいるからすべて
に鍵がある。
人が人を侵さない人である本来ならば、
鍵などは人の世の中に一つも必要ない。
だが、悪魔の使いの蛇にそそのかされた
愚かな人間は、教えを破った時から自己
利益のみを欲する利己心を持つようにな
った。
ダブルライダースを着ていて二輪から下車
した時、私はキーはここに入れるように
している。
本来、Dポッケは地図などを入れておく
ためにあったものらしい。
シングルの場合は普通のポケットしかない
のでそこにキーを入れるが、フラップの
カバーやジップが無い穴だけポッケには
私はキーは入れない。
万一、下車して歩いている時に落としたら
いけないからだ。(予備キーは二輪も四輪
も別にして必ず持って行くが)
勿論、走行中にも閉じ閉めの無い穴だけ
ポッケには物を入れておかない。
リーバイスのGジャンのトラッカーに両
サイドの穴だけポッケが無いのは、物を
落とすといけないからスッキリデザイン
にされたのではなかろうか。
他のメーカーには穴だけポッケがサイド
にあるタイプも存在する。
Gジャンは元々はアメリカの作業着だが、
現在のいわゆる日本の工業作業着において
も、サイドポッケがあるタイプと無いタイ
プが見られる。
リーバイス4th 70505。
サイドポケットがゼロのデザイン。
日本刀は慶長年間以前の刀剣を「古刀」、
慶長以降の刀剣を「新刀」と呼ぶ。
古刀はいい。
全く鋼と製法が異なるのだろう。
色も鉄味も、何もかもが江戸期開始以降
の日本刀とは異なる。
古刀はいい。
古刀がいい。
私はソロキャンパーでも二輪でのキャンプ
ツーリングオーソリティーでもない。
キャンプ歴は55年になるが、「キャン
パー」というものが何なのかよく分から
ない。
先日も、焚き火を囲んで仲間たちとキャン
プ論になった。
「『キャンパー』てのはなんだろね」と。
職業なのか?とか。YouTuberみたいに。
ライダーとはバイク乗りで、乗り込む二輪
乗りを乗り屋というが、それとてerは付い
ていても職業ではない。
では、キャンパーってのは何なのだ?と。
よくわからない。
バーベキューイストなんていないもんね。
普通に味噌汁は日常の中で飲むだろう。
でも人は人を味噌汁ドランカーとは呼ば
ない。
では、キャンパーてのは一体何なのか。
人が野泊野外飯を食べると、何か特別な
者に変身でもするのか?
そんな妙な勘違いしている自己満たち最近
多くね?
そんな話をしていた。
キャンプでは、素人程装備が増える。
そして、いつしか、道具集めが目的なのか
野泊野外メシを自然の中でやる事で何か
を学んだり得たりするのが目的なのか、訳
分からなくなっている人も多い。
キャンプには大昔から不動の定理がある。
それは、練達者になればなるほど、「装備
を可能な限り絞る」という事だ。
要するに、持ち物は必要最小限に減らす。
キャンプに最低限必要な物の例。
・テント
・ブランケット
・シエラカップ等のカップ1個
・メスティン等1個程度
・加熱器具(ポケットストーブやバーナー)
・着火具
・箸もしくはフォーク&スプーン
・ナイフ
・塩と飴
・水筒
・三角巾
・消毒救急セット
そして、究極での装備品を一つだけ選ぶ
となったら、それはナイフだ。
ナイフだけはどんな事があっても、野外
活動では外せない。ゆるキャンからガチ
キャンまで、ナイフだけは絶対必携品な
のである。「絶対」だ。