広島県安芸津湾の牡蠣を食う。
べらぼーに美味い。
ほんとに美味しい。
私は地元贔屓、身内贔屓はへど
が出る程に嫌いだが、美味いも
んはうまい。
広島安芸津の牡蠣は最高だ。
取って置きのしぼりたて神泉の
たれくちの栓を開ける。
残りはあと1本。
それは友人と年末に飲む。
最高の牡蠣に最高の酒。
TVのYouTubeで観てるのは最低
のマカロニウエスタンなので、
別チャンネルにする事にする(笑
つまんない映画って、最初から
つまんないね。
やはりこれだ!
作り物として観ると面白い。
1978年1月14日放送第2回目だ。
おいら高校2年の17才だぜ(笑
1970年代はTVドラマの時代劇
が百花繚乱だった。
時代考証は超出鱈目(笑
将軍吉宗の背景には火事で消失
した江戸城天守が出てくる。
しかも姫路城(笑
そして、付け家老のような用人
の老武士は髭。絶対に有り得な
い。
それだけでなく、時代劇によく
出てくる実際の歴史には実在し
ないシーンがてんこ盛りだ。
まず、居酒屋。
居酒屋は江戸にあったが、テー
ブルに椅子などは長崎にしか
存在しない。
それと徳利。
これは江戸時代には無い。
あと、浜畑賢吉の仕草。
武士が地面に刀の鞘のコジリを
突いて柄に手を載せる。
これは絶対に無い。存在しなかっ
た。
おばかなねつ造新派の大道芸流派
が「当流には伝承された」と宣伝
していたが、嘘は嘘。
武士ではない大道芸人には残って
いたのかも知れないが武家はこれ
はやらない。幕末写真などは役者
が演じた錦絵同然だ。
旧日本軍のバカたちがやったので、
江戸期からあったと勘違いしたの
だろう。
繰り返すが嘘は嘘である。
武家作法の武技は、武士の流派に
こそ残存し、伝承されている。
歴史的事実を曲げてはいけない。
あったらさぞ便利だっただろう、
徳利銚子にテーブルと椅子。
時代劇によく出てくるが、大嘘で
ある。
正確には、居酒屋では座敷にお盆
である。
初めて樽を椅子代わりにしてテー
ブルを出したのは明治。
幕府講武所頭取だった剣客榊原謙吉
が出した居酒屋が最初だった。
元武士が経営する説教居酒屋として
かなり流行った。
頑固じじいの剣客が「あすも来るの
だぞ」と客に勘定の時に睨んで言う。
それが江戸→東京の町人たちは、も
の珍しくて通った。
また、あのおやじに叱られに行き
てえもんだ、と。
武士とまともに接する事などは皆無
だったのが、御一新でその枠が外れ
たからだ。
かなりの人気だったが、熱しやすく
冷め易い江戸東京庶民。
やがて客足は遠のいて、やむなく
武士も撃剣興行としてサーカスの
ように剣技を観せる事で糊口をし
のいだ。
西部開拓時代末期のワイルドウエ
ストショーと全く一緒だ。
うちのように、明治以降、ポリス
や軍人や教員の職にありつけたの
は稀有でましなほうで、殆どが
士族の商法で失敗するか、開拓団
となって官軍だろうが僻地に飛ば
された。秩禄処分でいきなり無職
だからだ。
元々そろばん勘定などはできない
種族だ。潰しなど利かない。
ヤットーやドンパチ術者として軍
人やお巡りになるか、学識を活か
して教員になるかしか無い。
世渡りが上手い奴らは資本家に
なって一発当てたが、99%はそれ
でない。
士族の反政府暴動武装蜂起も起こ
ろうものだ。
だが、士族蜂起以降、武力鎮圧さ
れながらも、それはのちに実を
結ぶ。
自由民権運動の闘士の壮士は士族
によって構成されていた事だ。
日本の歴史に自由を求める志あり。
それは100数十年前から存在した。
あるものはある。
無いものは無い。
嘘をこしらえてねつ造するのは、
歴史的には人民をたばかる犯罪で
ある。
士族も華族も法的な規定が消滅し
たのは昭和23年、1948年、私が
生まれるたった12年前からだった。
敗戦は厳しい現実を日本人につき
つけた。
大きな取り返せない犠牲を払った。
だが、敗戦により得られたものは
言い尽くせない程に大きい。
戦前戦中などは明治から昭和23年
までは、女性は法的に無能力者な
のだ。
つまり、人間として法的には認め
られていなかった。
今の子たちは、その悪しき事実の
歴史をきちんと学ぶべきだろう。
歴史から学べ。
賢者は歴史から学び、愚者はおの
れの狭い経験からしか学べない。
歴史を学べ。
歴史から学べ。