渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

ウルトラの世界

2015年11月30日 | 映画・ドラマ・コミック

昔からウルトラシリーズのこの手のタッチで気になってはいたが・・・・。

俺、ウルトラマンが口開けてるとこ見たことないんだけど。


もう一人

2015年11月30日 | 文学・歴史・文化・科学



社内の生産拠点のサービス部門の責任者がいる。
オートキャンパーだ。
越後湯沢に行く途中(金曜。うを新には2日間連続で行った)の駅までの
道で、うを新から
出て友だちと連れだって歩いていた私とばったり会った。
「どこ行ってたんすか?」と訊かれたので「刀屋」と答えたら、日本刀に
非常に興味を持ったらしく、いろいろ質問してきた。質問内容が工業人
らしくて面白く感じた。

そして、電車の中でナイフの話になった。
彼はキャンプでの料理には包丁を持って行ってるらしい。
包丁は料理用としては世界最強だが、やはりアウトドアにはオール
パーパスの汎用型ナイフを使いたいところだ。ナイフは何にでも使える。
「ナイフのほうがよくね?」と言ってみたら、ガバッと食いついてきた。
「もう使い倒したのでもいいですから、ください」とのことだ。
スマホ内にある私のナイフの画像を何点か見せたら、「うおっ!これ
カッコイイ。これほしい」と身を乗り出した。
うっしっし。これで社内で8人目。
世界征服を狙う秘密結社の全人類刃物所有化計画進行中だ(笑

2~3本、彼にみつくろってプレゼントすることにした。
性格よく知ってるから言えるけど、やつぁハマるね、きっと刃物に。
刃物の良さを伝えるのも、創文化活動の一環かと私は思っている。

とかいう大層なことでもなく、とにかく使ってみて便利で、無くてはならない
物が刃物だ、それを一人でも多くの人に再認識してほしい、というところ
かな。
便利な筈だよ。人類初期からの道具なのだから。


杵(きね)と鍛冶鎚

2015年11月26日 | 文学・歴史・文化・科学



ふと思ったが、餅つきの杵(きね)は鍛冶鎚と同じ形をしている。
これはもしかして・・・。

昨夜はJR駅前で五目そばを食べた。スープうまし。


剣術論議 ~失伝~

2015年11月24日 | 文学・歴史・文化・科学



昨夜、友人と戦国時代の剣技について意見交換をした。
共通認識としては、「現代には伝わっていない力使いというものが
あったのではなかろうか」ということになった。
まあ、刀剣とは一口でいうが、日本刀には長いのから短いのから重たいの
から
軽い物(戦国期にはあまりない)までさまざまある。
長く重い物の場合、それなりの扱い方があったことだろう、ただし
それは失伝していて解明もできないのでは、という共通認識を得た。
柔道の稀代の名人三船久蔵十段は「(柔道で)相手を倒すというのは
結局は物理的なこと」と言い切ったが、秘伝や摩訶不思議奇奇怪怪な
オカルティックなことではなく、物理的なことを大いに利用して刀剣など
も存分に使用したことだろう。
私はナンバという歩き方を日常的に江戸期までの日本人が行なっていた
などという珍説は真っ向から否定するが、剣法については、何かしら

操作に関する根幹に関わる大きな失伝事項があるように思える。

失伝というのは人の世に闇を作る。
「控目釘穴などというものがある二つ目釘穴の日本刀などはない。聞いた
こともない。二つ目釘穴は磨り上げたからあるのだ。第一目釘穴があり、
二つ目が茎尻のほうに穴がある刀などは見たこともない。刀を作るならば
もっと穴と穴の距離を縮めよ」と言い切る登録審査員(刀工)がいたりするの
だから、見識が低いとか歴史を知らないとかいう以前に、技法が一般的では
なくなる世の中というものは、人に一元的観念しか思いつかないような思考
の停止を発生させるのだという言い知れない恐ろしいものを感じる。

案外、こんな感じで元来の歴史的な日本刀の作り方は江戸中期あたりに完全
失伝していったのだろう。工法自体は戦国期の大量生産時代に少量生産時代
とは大きく変化したが、完全な流通製品鋼を使用することが前提となったのは
江戸期の新刀時代後半からだ。
失伝というものは、無知であるとかそうでないとかとは別の、なんというか、本当
の消滅=ただのゼロがブワッと逆ビッグバンのように発生して、そして完全に
不存在になるのではなかろうか。
現在の小学生の親の世代は、鉛筆を刃物で削れない。鉛筆を削れないどころか
マッチをする方法を知らない。
無知とか、よく見れば判るだろう的な思考力の欠如とかではなく、単純行為さえも
「マッチをするには軸頭をどちらに向けてどのようにするのか」という簡易な技法
に似たことが行使されるので、要するにマッチだけ出されても「これ、どうするの?」
となるのだろう。
これとよく似た事例で、ビリヤードを知らない人がキューを持ってボールを打とうと
すると(ビリヤードは「撞く(つく)」のであるが、撞くことを知らないからキュー先で
ただぶっ叩こうとする)、キューの持ち方もボールへのあて方も、何もかもがデタラメ
なことをやろうとする。
ビリヤードは生活に必要な行為ではないし「技法」を要する競技であるのだが、
マッチのすり方がまったく解らないという現代の父親母親たちも、この撞球に似た
ようなものだろう。
要するに「必要なくば知ることもない」というところのポジションに精神性を置くので、
新たな情報を得ようとする知識欲は「過去に消えた物」には向けられない。

失伝とは、徐々に消滅していくのではなく、かなり短いスパン=時間経過によって
一気に発生するように思える。そこで技法はストンと無くなってしまうのではなかろうか。
大型たたら吹きで作られた製品流通鋼を平安鎌倉南北朝時代に使っていた筈も
ないのに、江戸期工法を大昔からの刀剣造りの手法である、と断定していることは、
完全に日本刀界には総合的な日本刀の歴史解明という視座においてまったく
未来がなく、「江戸工法・江戸材料保存協会」と成り切ってしまっているのを体現
している。
思考を固着させず、もっと柔軟に、かつ科学的に歴史を見る必要があることは
論を俟たない。


一週間の4冊

2015年11月24日 | 文学・歴史・文化・科学

小説を4冊買った。

左は映画は観たが原作を読んでいなかったので買ってみた。映画はかなり
面白かった。
右は完全に題名買い(笑)。



右は久しぶりに三島さんを読んでみたくなったので購入。1967年の三島の
SF的作品だ。
地球とは別な天体から飛来した宇宙人であるという意識に目覚めた一家を
中心に、核兵器を持った人類の滅亡をめぐる現代的不安をアレゴリカルに
描き大きな反響を呼んだ作品。
左は、経営不振の割烹居酒屋『安兵衛』の店主ヤスが奇想天外な依頼を
受けて遭遇する現代日本風刺小説。


一番スカは刃引きのような気がするが、刃引き刀を手に六人の侍と対峙
してあっと言う間に侍たちを叩きのめして去った百姓が気になって後を
つけた主人公と刃引き刀の男の絡みに期待。

他には料理人である侍を主人公にした作品が幾つか目を引いたが、次の
機会にすることにした。

小説作品てのは題名のインパクトてのが結構重要だよね。
おいらも『大江戸刀工伝』なんて題名でいろんな刀鍛冶を主人公にした
短編集
とか書きたいけど(笑)。
大村加卜なんてのは、かなり魅力的だぜい。




だしの教科書

2015年11月21日 | 文学・歴史・文化・科学


コンビニで買ってきた。
勉強になる。

さあ、リメイク版「ズンドコベロンチョ」を観るか(^0^)
四半世紀前の草刈正雄版は傑作だったが、さて。


(追記)
観た。
だしが効いている24年前の草刈正雄版のほうが遥かに良い。
くすぐりが多すぎるのは、味がぼやけるんだよなあ。
シンプルで、だしの味で勝負がいいと思う。
理由はズンドコベロンチョだから。

真柄の大太刀

2015年11月14日 | 文学・歴史・文化・科学



ネタで振ったら町井先生が核心を書いてくれちゃった(^^;
真柄の大太刀(ブログ「居愛道」から)

そうなんですよ。
こんな使い方はあり得ないんです。かんべんしてよ、なのです。
軍記物、戦記物、戦国絵巻などを額面通りに受け取ってはいけません。
そもそもが、こんな大太刀の使い方はありません。
万が一間違ってあったとしても、そういうモノノケには「はなてーーー!つつっ!」
でドンドンパンパンです。
第一、乗馬したことない奴がこれを描いたか、あるいは、まぁええがなと
例によって確信犯的に豪華脚色で描いたか。

五条大橋での義経と弁慶


同じく。


これが史実だとか思っている人がとても多かったりして(^^;
しかも、五条大橋てのは本当は今の五条大橋の場所にある五条大橋
じゃないし。松原橋のあたりにあった橋だよな、本当は。

岸流島での武蔵と小次郎。


もう、どっちが武蔵でどっちが小次郎なんだよ、というような感じ(笑
そもそも、岩流のことを「佐々木」などと言い出したのは舟島での決闘
の百数十年以上後年が初出
だし、もっと衝撃的事実としては、武蔵は
自分では播磨の
武士だと言ってるのに、「作州」生まれを創造した吉川
英治の小説を
真に受けて「宮本武蔵駅」とかの鉄道の駅を作っちゃったり
する岡山
県人とかね。もう作州では県をあげての「宮本武蔵生誕の地」な
んて
キャンペーンやってる。吉川自身が「(作州生まれは)私が考えた」と
言ってたのに。巌流島という記述も吉川の創作だ。
それとか新選組の近藤勇が「今宵の虎徹はよく切れる」と言ったとかさ。
他にもたぁ~~~くさん、その手の創作物がさも真実だったかのような
錯覚とか希望的願望を抱いている人が結構多かったりする。
暴れん坊将軍で江戸城の天守閣が出てきたりとかね。
真面目に作った映画で江戸中期にやはり江戸城天守として白いのが
出てきたりとか。それ、姫路城だし。明暦の大火以降は江戸城天守は
存在しないし。
『ラストサムライ』で明治10年にニンジャが出て来たことを日本人は笑えない。
さらに凄いのは「忍者」という単語を使った巻き物まであったりしてさ(^^;

・・・・。
これらすべて真柄の大太刀の図と同じ図式なり。
このような伝播描写は、すべては創作エンターテイメントなのである。

事実とは、真実とは如何なるものか。
よくよく吟味すべし。

昔はアニメも映画もCGもなかったからね。
視覚的な娯楽というのは、こういう絵巻物などで超脚色、荒唐無稽な程の
盛り具合で人心の喝采をあびることしかなかった訳なのよ。
まあ、現代でも、「幻の多角形コーナリング(『サーキットの狼』)」とか、「ガード
レールキックターン(『バリバリ伝説』)」とか、あいつとララバイでもバイクが
ジャンボ機の上を飛んだりして、読者はお約束と分かっていても楽しんで
いたりするのだから。『巨人の星』での大リーグボールの数々や『新巨人の星』
での打率10割の星選手とか、ほかにもイパ~イ。
昔の絵巻もそんなもんと思われたし。

武蔵と小次郎については、もっくん主演の『巌流島』が最高に面白い!
是非ご覧あれ。本木さん、演技がすごく巧いす。この作はさらに格別。


没滋味(もつじみ)の心

2015年11月10日 | 文学・歴史・文化・科学







先に紹介した小林康宏作のご注文主の方である。

凛として、かつ深淵なり。

外連味無く、出る心無く引く心無く、而して転(まろ)ばせ活かして勝つ。
表情も剣も常に静かに冷静にして冷徹、一つのところに留まらずも
すべてにおいて
活きる。
まさに没滋味(もつじみ)の心。真の覚醒ここにあり。
剣の一つの境地ではあるが、これに惹かれずして、吾何の剣に
心動かされようか


(撮影者及び本人に許可をもらい掲載しています)


人類最古の発明品

2015年11月06日 | 文学・歴史・文化・科学



人類最古の土器は日本の縄文式土器だ。
縄文時代は紀元前14,000年頃~紀元前3世紀頃までとされている。

なぜ我々日本人の祖先は、この地球上で人類史上初めて土器を
考えついたのだろう。
しかも、実用一点張りではなく、文様まで施して。
実用品にまでアーティスティックな息吹を注ぎ込む。
なんだか我々の中に流れるいにしえの血は面白い。
縄文時代開始は1万6千年前頃からというが、途方もない時の彼方だ。

小学生の時、横浜の丘陵地帯に住んでいたが、土器がよく出土する
地域があった。
普通に小学生たちが掘り返しては土器のかけらを持ち帰って宝物のように
していた。
本当はいけないことなのだろうが、結構楽しかった。
ただ、掘り出した土器は散逸してしまった。
あれは、たぶん縄文式土器の破片だったことだろう。丘陵地帯なのに
縄文海進で海辺が迫っていたからか、近所には貝塚跡もあったし、縄文
遺跡は豊富だった。なぜか弥生遺跡は少なかった。
現横浜市地域は約3万年前に陸化し、2万2000年前までには市内に
人間が現れたとされている。

横浜というのは、港の周りのみが都会で、ちょっと外れるともう郊外
どころかド田舎だった。
ガキどもはナイフ(肥後守)が必携だった。
学校帰りに森で「基地」を作るからだ。
当時は高度経済成長の真っただ中で、学校の数が足りず、小中学校は
巨大マンモス校となっていた。家から歩いて10分以内の距離に新設小学校
ができたのは私が転校してから後だった。学校数が少ないので、私も徒歩で
1時間近くかかる距離の歴史の古い小学校に通っていた。
だから、かなり広範なエリアから学校に生徒は通学していた。校舎も足りず、
飯場のようなプレハブ校舎が校庭にいくつも建てられ、そこで授業を受けた。
プレパブ校舎割り当てはくじ引きだったので、プレハブになったクラスの生徒
たちはゲヒョ~~ン!となっていた。夏は蒸し風呂地獄、冬は極寒地獄の
ようなのがプレハブだったからだ。床は跳びはねるとベコンベコンとへこんだ。
通学には行きも帰りもバスを利用したが、バスよりも仲間同士での徒歩での往復
通学が楽しかった。もう学校帰りなどは、友人たちと野遊びの毎日だ。
私の少し年下あたりまでの世代が、外遊びを日常的に実体験した最後の
世代ではなかろうか。
そうした私たちの世代には肥後守が欠かせなかったが、肥後守については
私が丁度最後の世代になるかと思う。まこと便利な文房具であった。
5歳年下のイトコは肥後守の存在そのものを知らなかったので、地域にもよるが、
やはり肥後守世代のハザカイはある特定年代で存在するようだ。

今でも続く文明の利器。その頂点は刃物だ。ヒトの最初の頃は石のかち割り
だったらしいけどさ(笑)

こいつは、本当にいいぜ。これも日本人が作り出した。ナイフとしては
不便だが、あれば便利という絶妙な造形物。そこがいい。



江戸人の発音

2015年11月03日 | 文学・歴史・文化・科学



フランス系カナダ人が「home」を「オウム」と言い、「here」を「イヤー」と
言うのは先日知ったが、ふと思ったのだけど、するってーと、「ひ」と「し」の
区別がつかない江戸人というのは
「彼」も「彼女」も区別つけて言えないの
ではなかろうか(笑


最近、英語では he でも she でもない ze が導入されようとしている
らしいが、江戸もんにとっては、したっけそれは願ったりかなったりだね(笑

玉撞いてるとき、俺の事「しだりしたしねり」とか馬鹿にしてんじゃねえぞ!
広島県人(笑 


桶川市民祭り

2015年11月03日 | 文学・歴史・文化・科学




太刀魚専門店のうを新がある埼玉県桶川市では、ちょうど今、
桶川市民祭りだそうです。
「あまり仕事にはならないですが、ふだんお店に入れないような
方がいっぱい来るので、宣伝にはなるかなぁ」とのこと。

素人さんが多くて大変そうだけど、まあ入りやすいというのは
いいことだ。

午後になり、少し人は減ったみたい。うを新の前の駐車場を祭りに
提供しているんだね。バザーみたいな感じ?



ちなみに「敷居が高い」という語句の用法を間違えている人は
多い。
敷居が高いというのは、自分が不義理などをしているためそこに
また行くのが心苦しい、という意味で使われる日本語だ。
一見の客として店に行くのに敷居が高いということは、本来日本語
としては、無い。「あの店、ツケたまっててさぁ、敷居が高いんだよ」
という使用法が正しい。あと「親に無沙汰で帰省するに敷居が高い」
とか。

だが、言葉は誤用が本物になることが多いので、元来の意味が失わ
れて(あるいは誤認のまま)使用されるケースが言語形成変遷過程
には多く見られる。
「白羽の矢が立つ」もそうだよね。
今ではまるで良い事であるかのように使われてしまっている。
日本語の使い方は考えないとね。
例えば、巧者の人のミスを「弘法にも筆の誤り」と言うならともかく、
「猿も木から落ちる」と言ったら失礼でしょう(苦笑)。
あるいは自分に対して「弘法にも~」を使ったりとかね。

あと頓珍漢な無神経としては水害被害救助者の水難を指して「河童の川流れ」
とか言ったりとかね。
そうした、人の機微を無視するようなのは、私は日本人的とは思えない。
特に為にする、誹謗中傷するのを主目的として言辞や文章を構成するのは、
およそ日本人らしいとは思えない。
だけど、そういう人に限って、あたかも自分が日本人らしいかのような
自己紹介や自己主張をするんだよなぁ。
なんなのでしょね、あれは。
利用しているのでしょうね、日本と日本文化を。自己愛の我欲のために。
特に日本文化の象徴たる日本刀関連などでは、日本刀語りをしたがる
人たちにそれが多くみられる。
なんだかなぁ、なんだよなあ。

それと最近の傾向として、TVに出ている芸人さんやスポーツ選手で自分の
父母のことを「父」「母」と正しく呼ぶ人はほとんどいない。他人様に対しても
自分の父母を「お父さんは」とか「お母さんが」と言う。
それに対してな~んの疑問ももっていない。大人として恥ずかしいことだとさえ
思っていない。自分のことを「僕ちゃん」と大の大人が言うようなもんなんだよね、
それって実は。
ひどいのになると、自分の妻のことも「奥さん」と人に言ったりする。
やばいぜ、日本語(笑
(ヤバイって「すげー」って意味じゃなくてね)


三角縁神獣鏡の産地は同一と傷で判明

2015年11月03日 | 文学・歴史・文化・科学



※語句解説(これまでの学説)
【ぼう製鏡(ぼうせいきょう/ほうせいきょう)】
おもに古墳時代に、中国の鏡を模して作られた銅鏡。中国の鏡に
比べて文様構成が拙劣で、文様本来の意義を失い、銘文も不正確
なものが多い。内行花文鏡、方各規矩四神鏡、神獣鏡等。


ほえ~。すげ~。

ところで、現代も、鏡はガラス板に金属を貼り付けて(液体金属を
吹きつけて)いるのよね。
つまり、古代から江戸末期まであった昔の鏡と原理は同じ。
神器としても存在した鏡だが、鏡面研磨された金属はピッカピカで
綺麗に顔が映る。

映る顔が綺麗ということではないけど。

でもって、映る卑弥呼さんの顔は、たぶん刺青だらけとかだったりして。
でもそれはない。うちらの国の先祖の刺青は男子だけだった。
『魏志倭人伝』にある「男子無大小皆黥面文身」がそれだ。
意味は「(倭人は)男子は大人子供の区別なく、皆、面(かお)に
黥(いれずみ)をして、身(からだ゛)にも文(いれずみ)をしている」と
いうことだ。
黥面(げいめん)というのが凄い。顔にも彫りを刺していた。

こんな感じか?(笑)


志村けん・仲本工事・加藤茶・高木ブー サウナで冷や汗

さにあらず。
倭人が顔と身体に刺青を刺したのは、倭人伝によると、中国では
蛟龍之害を避けるために刺青をしたが、日本では、海に潜った際に
大魚水禽からの被害を受けないようにするためであった、という。
さらに、「しかし、今は、飾りである」とすでに倭人伝は伝える。

日本は縄文時代から南方と大陸の影響を受けて体に刺青を入れる
のが普通だった。つい先ごろまではアジアおよび環太平洋地域には
その風習が残っていた。




刺青とは別にも多くの東南アジア民族と同一もしくは類似の文化が
現在も日本の各地に
残っている。















刺青を施した文化を示す埴輪。


カレン族などは女性も刺青を刺す。
カレン族の女性はとても愛らしい人が多いが、現在は刺青ではなく、
民族行事の時に顔にペイントをするようになった。


ペイントさえもしない女性も現代ではいる。


だが、かつてはカレン族では女性も黥面(げいめん)を施していた。
そうなると、日本の縄文時代から3世紀の弥生時代末期~卑弥呼時代
まで続いた日本の刺青も最初から男子だけだったのかという疑問が
起こる。
だが、土偶を見ると女性も刺青を入れている。


やはり、最初は男女とも刺青を入れていたが、後世の時代になって
男子のみとなったとみるのが順当ではなかろうか。

顔にまで刺青をする黥面(げいめん)については、ヤマト天皇勢力
が編纂した『日本書紀』には、神武天皇が畿内に入った際に天皇の
臣下が黥面をしていたので畿内の女性たちが驚くとの記述がある。
また同じく「紀」には、雄略天皇が臣下への科料として黥面にした
との記載もある。
日本書紀の記載は権力側が都合よく編纂記述した史料であるとは
いえ、ここから文化統制史の変遷を読み取ることもできる。
つまり、「何らかの理由で、刺青を忌避する傾向が一般化した」
ということだ。しかも、雄略期にはそれが確立されている。
21代雄略天皇在位時期を5世紀末期と比定するならば、神武の
時代には黥面ならびに身体への刺青が肯定的なものとして一般的で
あったものが、西暦400年代末期にはまったく逆の刑罰として刺青を
刺すことになってる。
国土の文化が変化したというよりも、ある時期から別文化の一族が
国の実権を掌握したからではなかろうか。
刺青を犯罪者に科すことは江戸期にも行なわれたが、文献上初めて
科料として刺青を入れさせたのは雄略期であり、さらに以前の『魏志
倭人伝』が示す弥生時代(3世紀)までは、日本では刺青は忌避される
どころか、必要不可欠なものとして一般化されていた。
どこからか、異文化が入り込んでこの国の支配権を握ったというのは
あながち外れてはいないかもしれない。
中華に近い地域の民族が多く入り込み、日本の元来の土着性を「野蛮」
なるものとして捨象していった歴史があったのではなかろうか。
また、日本の「土着的」な権力層もそれに呼応し、どんどん大陸化する
ことで「先進性」を付与させようとしていたのではないか。

これは6世紀のものだが、当時の倭人の様子を記した中国の史料だ。
右から百済国、新羅国、倭国とある。
『梁職貢図』の倭人
 

つまりこれが当時の日本の礼装なのである。粗末というか素朴というか、
複雑な作りの衣装は着用していない。機織りで製作した被服ではなく布を
巻いただけであり、足もとは高度な製法を要するクツなどははいていない。
裸足である。この裸足の習慣は驚くことなかっれ、昭和大戦の戦後間もなく
あたりまで地方では継続した日本の文化だった。また農村部では田に入る
際には全員が裸足であるのは、昭和50年代まで当たり前のことだった。


日本人の肌色が他国と比べて真黒なのは、これは肌を露出している
ことによる日焼けなのではと思う。
5000年の歴史の大帝国中華からすると、倭国などは「未開」の「土人」
(あえて使用するが)そのものに映ったのではなかろうか。
これは中華思想に依拠したものといことでもなく、現実問題として卑弥呼
の時代には文字さえも持たないのが日本であったので、いくら日本人が
神州日本と言っても、それは空威張りのようなものだ。
日本は大陸の文化を採り入れ、そしてそれを練って発達した。
日本独自の国風文化とナショナリズムが生まれるのは、卑弥呼の時代
から500年の時を待つ。
長い。
最初から日本が先進国であり、優れた民族の国家であったなどと
盲信するのは、それはまさに中華思想(韓国と同じ小中華思想)に
毒されている。歴史事実とは関係なく自国を美化して夢想するそれは
人間の性根が小さい。

だが、一方で、日本のナショナリズムの発端をみるとき、それは
あくまで中央集権的な朝廷制度の確立に伴っているということを
見逃せない。
つまり、天皇による国の完全支配が確立された時期に日本の
国粋主義は萌芽をみる。
ここに、日本のナショナリズムが諸外国とは異なり、天皇制そのもの
と密着している背景がある。

ところが、日本の国粋主義は歪みとして決定的な欠陥を持つ。
それは、あたかも日本が神武の頃から神国であり亜細亜の最先端
であったかのように虚構を設えようと指向する傾向があることだ。
日本人は大中華から見たら蛮族であり蝦夷であり「土人」であったのだ。
それがある時期から、中華を模倣して脱却を図ろうとした。
縄文時代の古くから倭国に存在継続していた文化を継承発展させた
のではない。
ある時期から一気に大陸(含む大陸影響下の半島)の文化を導入
して「先進化」を図ろうとした。それは主として後の天皇家によって
遂行された。
だが、よじれた現代国粋主義は、そうした流れをも無視しようとする。
さも太古から日本人=倭人が大陸よりも優れていたかのように思い
たがる。ルーツをたどれば、北京原人かジャワ原人かさえ判らなない
のにだ。どのピテカントロプスと繋がっているのかも判然としないのにだ。
そして、そうした自己絶対優越主義こそまさに中華思想に毒された(という
よりもどっぷりと中華思想に染まった)発想であるということを自覚しない。
実体が中華であるのに日本固有の概念と思い込んでいる。
ここに日本の国粋主義の矛盾と限界性が存する。
では、日本の支配者はどこから来たのか。
ウッホウッホやっていた原始人が後の列島(氷河期には日本は大陸
の一部だった)に住み始め、その末裔が天皇家だとでもいうのか。
日本固有とか単一民族とは一体何だ。
本当はそれらは無いのである。
日本固有というならば、「日本」という国家が出来て以降の概念として
当てはめないと歴史事実との整合性が担保できない。
そもそも、「古く歴史あるものが優れている」という概念こそが中華思想
の一端を成す。そうした思念的情念では現地球の支配者がたかだか
建国200数十年の国家であるという事実をも説明できない。
従って、「起源=優秀」とするような中華思想はまったくもってナンセンス
なのである。
ナンセンスが的外れと自覚できなくなると、なんでも自国起源と捏造
してまでも、それが「優位性」を立証するために有効であるかのように
大きな勘違いをする。
それは、現実を正しく捉えて判断できるという人間の知的な脳の働き
ではない。猿知恵に近い。

実体は、我々日本人は、「よそからやって来た人」の集合でしかない。
そして、嫌韓や嫌中を旨とする現代日本人は、日本人のルーツが
北方系南方系の双方の合体であることを否定したがる。
あたかも土人の頃から単一民族が近親相姦を繰り返して単一の
民族であったかのように思い込みたがる。さらに土人の頃から
「優れた民族」であるかのようにさえも希望的に思いたがる。
「日本」の国家が出来たのは7世紀であり、それ以前は確固たる
中央集権は確立しておらず、緩やかな連合体としてのヤマトであり、
さらにヤマト連合王政成立以前の4世紀まではこの列島は政権が
統一さえされていない状態だった。まさに部族の集合体のクニが
乱立していたのが実体だ。単一民族などはあり得ない。
そして、注目すべきは、たとえ「後進国」であったとはいえ、日本人は
古代においてはインターナショナリストだったことだ。
島国根性などなく、海を越え、ダイナミックに活動していた。
古代人と排外主義的現代人。どちらが大きい人であるのか。