渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

バイク部屋

2015年05月31日 | バイク・車

復活小林康宏刀第一期注文主の一人である友人はライダーだ。
若い時にはバイクでアメリカ大陸横断などもした。
サクッと600マイルほどは走り抜く。
今はヤマハのライトウェイトスポーツに乗っている。
黄金時代のヤマハのクォーターマルチが愛車だ。

その彼が、庭先にバイク専用のミニガレージを作った。

なんだ!このブリッティッシュなガーデンは!すげ~。


ガレージというにはオサレすぎるこの洗練された雰囲気。
垂涎だすよ、これは。英国の庭には、やっぱりバラだよなぁ。
ちなみに、私は英語バラバラ、彼は英語ベラベラ。時事問題を
同時通訳できるくらい。英国と米国での生活が長かった。
彼は海外在住時に刀鍛冶小林康宏のことを向こうのメディアで
知った。

ドアも完璧にヨーロピアン。


中に入ると、ヤマハFZR250Rが佇む。45馬力の4ストマルチクォーターだ。
実によくできたマシンで、トータルバランスで頭抜けている。今の250ccとは
まるで別物。それが1980年代~1990年代初頭の日本のオートバイだ。
日本製バイクが世界の頂点にいた頃のマシン群の一角にいたのがこの車だ。



バイクはこの斜め後ろからの姿がとてもいい。
静の中に動を秘めた空気を静かにたたえる。
特に「走る」マシンにはこのアングルからのポーズが絵になる。

これが発売された時のGPライダー福田照男のインプレは、コースを走って
ピットに帰ってヘルメットを脱いだ瞬間、「すごい!・・・」の一言だった。
最高出力45psは16000rpmで叩き出す。最大トルク発生回転数は
12000rpmだ。タコメーターはフルスケール21000rpmまで目盛がある。
高回転高出力のスーパースポーツモデルだ。
これは当時動力性能で圧倒的優位性を誇ったレーサーレプリカである
2ストマシンとは別の面白さがある。一言で言うと、「完成された4スト」と
いっても過言ではない。
4ストローク250ccモデルのレーシングマシンはなかったので、厳密には
レーサーレプリカとはいえないが、フォルムは2スト公道市販車のTZR250
や純レーサーのTZ250によく似ている。
友人はあえてヤマハのイメージカラーの紅白のストロボカラーの車を
探して手に入れた。整備もばっちりだ。

なんといういい環境。このバイク部屋に住みたい(^。^)


しかし、私は見逃さなかった。
ガレージはしっかりと2台分のスペースで作られている。
たぶん・・・遠くない将来、友人は2ストのTZR250も入手するのでは
なかろうか。
それまでには私もカワサキZXR250を手に入れたいものだ。
そして、タコメーターの針を15000rpmあたりで弾ませて、峠のワイン
ディングロードで彼と
ダンスする。

俺が乗るだろうマシンはこれだ。
89年型カワサキZXR250。


だがしかし!本当のところ、生涯通じて一番欲しい250ccはこれ。
カワサキX-09。








でもね、売ってないの。
純レーサーだからということではなくて、カワサキのワークスマシンの
プロトタイプだから。
この車がオートバイの中では一番好きだ。
どうしても欲しいが、市販マシン(純レーサー、公道車にかかわりなく)では
ないのでプラモデルさえ売ってない(笑)。
何とか熟成させて、TZMやNSRやアプリリアが席巻する世界グランプリ
250に殴り込みをかけてほしかった。
1980年前後の頃は、250ではカワサキのKRが無敵で断トツの世界一
だった。だが、80年代初頭にGPクラスでの活動をカワサキは中断した。
それから10年。
X-09がWGP世界選手権で実験的に実戦投入された時、
私はとてつもなく胸が熱くなった。
しかし、X-09の
熟成と完成を見ぬ間に、またもや川崎重工自体がレース
活動を縮小する方針を
決定し、GP250クラスからは完全撤退した。
その後、ビッグバイクのレースでカワサキは気を吐くのだが、私としては
2スト激戦区、しかも世界の頂点、世界グランプリ(WGP)でかつてのように
カワサキに暴れて欲しかった。


メーカーもマシンも私はカワサキが一番好きだ。
国内4社のバイクは4社とも所有して乗ってきた。
それぞれライトウェイトクラスのフラッグシップモデルのような車だ。
しかし、どうしても操安性とトータルバランスからレーサーも公道車も
ヤマハを選択してきた。

ハンドリングと総合力でいえばヤマハの車が一番優等生だ。
ホンダはエンジン、スズキはシャシだ。
ではカワサキは?
それは、壊れやすいところ(笑)。
それがカワサキの魅力でもある。って、ありかそれ?(苦笑)

ただし、カワサキ乗りは、メカノイズがしても、オイルが漏れても、
「カワサキだからね」で済まして、どこ吹く風で車を愛す。
カワサキの車は「独特の世界」をライダーにもたらす。
いにしえから人は言う。
「漢(おとこ)カワサキ」と。


讃岐の骨付鶏

2015年05月31日 | 文学・歴史・文化・科学





讃岐にはうどん以外にも隠れた名物がある。
それが「骨付鶏」だ。
「旨いきん、いっぺん食べてみてご~」とのことだが、これが実にウマい。
坂出に泊まった時に居酒屋のメニューにあったので食べた。
この上なく美味かった。少し辛く(激辛ではなくほどよい辛さ)、表面が
カリッとしていて中はジューシーだ。

高速道のサービスエリアで、真空パックがあったので買ってきた。
まだ食してないのでなんとも言えないが、店で出された物はかなりの
味だった。焼き方とか下味とかいろいろあるんだろうなぁ。


実はもう一つ讃岐には地元でしか食べられない名物がある。
それが「泥鰌汁」だ。つまりドゼウうどん。
これは家庭料理で、各家庭ごとの味がある。男が作るのが
定番だ。女性は手を出さない。
もともとは、農繁期に近所の農作業の仕事を互いに手伝ったり
した時に、主がねぎらいで振る舞うものだったと私は地元の人
から聞いた。
店のメニューにはあまりない。近所の人が集まる町内会や自治会
などの寄合の席で出されたりする。
東北の芋煮会のようなものだろう。
ドジョウを使うので柳川のように感じるが、これがまた違う。
とにかく讃岐の地元でなくば食べられない。
私も幾度か取引先の社長手ずからの泥鰌汁の相伴に預かった
ことがある。どれも美味しかったが、一番懇意にしてくださる社長の
作った泥鰌汁が絶品だった。あの味が忘れられない。
一年のうち、ある時期にしか食べられない。

香川では、町内会で泥鰌汁の味を競い合う「どじょリンピック」という
ものもあるらしい。こういうのは楽しそうだ。伝統というのはいいものだ。



「金を出せば何でも手に入る」ということではない世界が世の中にはある。


弥生とおにぎり

2015年05月30日 | 文学・歴史・文化・科学

いや、別段おにぎり屋の弥生ちゃんのことを調べていたのでは
ないのですけどね。弥生といっても弥生時代のこと。まあ、個人的
には弥生ちゃんとの時代は弥生時代とも呼べないこともないの
ではありますが(笑

これ、石川県鹿西町の杉谷チャノバタケ遺跡から発掘出土された
おにぎりなんだそうです。
すげーすね。弥生時代中期で紀元前200年あたりの物らしい。
2200年前のおにぎり!(◎。◎)
なんだか古代鉄みたい(笑)




もしかして、その頃から三角おにぎりの習慣があったのか?!

おにぎりは俵形のおむすびよりも、やはり三角おにぎりがいいなぁ。
おにぎり馬鹿にしたらいけませんぜぃ。
握り方ひとつで味が変わるんだな、これが。
不思議なもんす。

握りと言えば握り寿司だが、今月初めの連休最終日に仕事で
取引先の岡山の営業課長と都内に出たのね。
江戸前握りをおいらがごちそうしたとき、課長めざとかったね~。
握り上りがシャリの底にくぼみをつけていた鮨職人の技を最初の
一貫で目の前に置かれる前にツケ場の段階で見抜いた。

ご飯は握り方で味が変わるんだよね。

おにぎりは、江戸前握り寿司ほど高度な技がないとはいえ、おにぎり
侮り
がたしで、これまた握り方ひとつで味も食感も全然違う。
今売られているコンビニのは型押しで機械的にチャッチャと潰す
だけだから、食感もへったくれもないおにぎりモドキだけどね。
ただ柔らかいだけの。

なんてのかな、上手な握り方は、外側が少しだけ硬くて中はそう
でもない。塩加減も、ただ手に塩つけて野放図に握ればよいと
いうものでもないみたい。おにぎりのプロはやはりプロだ。
おにぎりといっても握る人によって味が全然違う。

ここ数年で私の中でかなりのヒットは、奈良の「柿の葉すし」だ。
あれはですね・・・。東京もんでも結構ガツンとやられました。
掛け値なしにウマいす。埼玉の魚新の新ちゃんもウマいんでビックラ
してました。
郷土料理っていいよな。
もちろん、日本の郷土料理(?)、おにぎりも。



柿の葉すし本舗 たなか


走る思想

2015年05月30日 | バイク・車



新型マツダロードスター SPECIAL MOVIE


「物の善し悪しは25年経つと良い物と悪い物の違いが判り、
そして、50年経つと良い物がはっきり残ってくる。
いろんなデバイスがあり、いろんなITが進んで自分たちのセンス
も十分変わって来てるんです。でも、ハンドルを握ってアクセルを
踏んでコーナーを曲がっている
ときのあの感覚というのはね、初代
からまったく変わっていないと
思うんですね。その価値は変わらないん
ですよね。
それをもう一遍、原点に還ってきちっと作り変えたい。」

マツダロードスターには走る車の車作りの思想が反映されている。
良い物は一過性の流行りすたりではなく、不朽性を持つ。
こうした車作りの思想性に強く惹かれる。
残念ながら、オートバイの世界では、作り手のこうした思想性は、作り手
も乗り手の中にも永続性としては育た
なかった。
私はバイクに乗って早40年。その中でモーターサイクルの日本国内の
歴史性を見ると、バイクは「一時のブーム」としての対象物としか社会的
には扱われなかった。

先の日記記事で、このマツダのような視座に立脚した記事を書いた
ところ、今の若いバイク乗りから揶揄された。曰く私は「本当に良い
ライダーではない」とのことだ。「本当に良いライダーならこんなこと
書かない」とのことだ。空間移動の手段としてバイクに乗る岡山県人だ。
このロードスターの作り手と乗り手のような車との接し方は、一生かかって
も理解できないことだろう。特定物を捨象していくことがあたかも社会的な
「善行」であるかのような発想に根付いているからだ。

「物の善し悪しは25年経つと良い物と悪い物の違いが判り、そして、
50年経つと良い物がはっきり残ってくる」
それを名車というのだと私は確信する。

何もエンスーな旧車マニア賛美として時代回顧主義的に車のことを私は
語っているのではない。
時代の中での本当の良品というものは、時代を超えた不朽性を持つのだ、
そういう車に接し、そういう車を作った人たちに接することの喜び、それの
視点について私は語っているのである。
バイクにおいても2ストか4ストかというデバイスは問題ではない。
良い物は良いのである。
そして、良い物は睡眠を削ってでもそれを開発製造販売した作り手たちの
息吹がそこに息づいている。今も。
車は単に空間移動のビークルとしてではなく、人の中に生きている。

ちなみに、刀屋の魚新店長は1991年製のロードスターを新車で
購入し、今でも乗り続けている。
彼は旧車マニアではない。時代を超える物の善し悪しに日常的に
自分から望んで接している人間なのだろう。


製造から13年以上経つ車の税金が一挙に1.5倍となる法律が
今年から施行された。
真新しい車以外を抹殺していこうとするような悪法だ。
これが現政権の景気回復政策というものなのか。
古くとも良い物を残すのではなく、どんどんファーストフード店の
ように席替えの回転だけを目論む。まるでいにしえの良食はワースト
フードなのだよ、とでも言うように。

古い特定年代のベンツ数台に手を入れながら大切に乗っている私の
身内は1台あたりの税金が10万円を超えることになった。
身内は言う。「税金を納めるのが嫌なのではない。古い車を所有し
難くする、特定の所得層にしか所有できないようにする、という政策
に強い疑問を持つのだ」と。
モーターリゼーションの健全な発達とは、特定車のみを目先の経済
論理で排除するのではなく、包括的な共生という車社会が人の社会
の一部なのだという世の中にならないと、人の社会そのものが死んで
しまうのではないかと私は思量するのである。
そこにこそ、ヨーロッパの伝統あるモーターリゼーションと日本のにわか
仕込みの成り上がり成金的な歴史性、文化性の距離を感じる。
私が勤務する会社は日本国内で初めて純国産車を大正時代に作った
自動車工学の先駆者を創業者に持つが、国費で大正時代にフランスと
アメリカ合衆国に渡航して自動車工学を学んだ彼が目指して心に描いた
日本のモーターリゼーションの未来の姿は、決して今のような構造や
為政者の発想に基づくものではなかったことだろう。

私も刀屋魚心の店長も「13年超の車の1.5倍課税」には反対だ。
私と彼は、オンライン署名プラットフォーム change.org にて反対の
署名をした。
私たちの国の未来は一部の独占者が作るのではなく、私たち一人一人の
声が作るのだと私は信じている。

→ 自動車税の重課税分〔13年超車両への増税分〕の廃止・恒久化禁止


2015年05月28日 | 映画・ドラマ・コミック



死んじまったよお~(涙
大好きだったけどよ~。

冥福を祈る。


レポート依頼

2015年05月28日 | 文学・歴史・文化・科学



刀工小林康宏に古代剣についてのレポートを頼まれた。
記事にしてほしい、とのことだ。
「なんていうの?あれ。プリントアウトだっけ?それして貰って
読むから。」

って、先生、インターネットも利用してネットサーフでいろいろ調べた
ほうがいいような気がする(≧∇≦)
おいら、古代銅剣のことあんまし知らないしよー。青銅と白銅も。
ギザギザ剣と蛇行剣の関係もよく分かってないしよー。
まして、ツムガリノタチ(草薙剣=天叢雲剣)のことなんてのは、完全に
考古学の範疇だから、サッパリよ。
熱田神宮で禁を破って現物を見てしまった人のみ現物を知ってる訳で。
学術界でも「だろう」「ではないか」の世界だということだけは知ってる。
でも天下の御神宝だから、学術的な研究史料の対象としては実証的
には扱われない。古墳と同じだよなあ。
古墳は墓だから、いろいろ問題もある。
第一、科学のメスが入って、あれもこれも判ってしまうと何かと各方面
でまずいことも発生するのではなかろうか。
学問の真理探究とは相入れない部分て、確かにあるよね。
世の中、正論が常に力を持つとか、公正妥当な方向に領導するとかと
いうことではないからね。
難しいのお。

とか言ってて、コンビニで休憩中に今目の前にあるこういうのも古墳では
なかろうかなどと感じる。
なんての?周りの地形からしたら、ちと様子が変。



おらのばさまの兄貴のじさまが戦前発見した某古墳からは鉄剣なども出て
きて指定史跡となっているが、すでに盗掘に遭ってたらしい。
小学校の校長とかやってた明治生まれの教育者で、よくTVのNEWSを
見ながら「大学に行って全学連に入るくらいなら腹を切れ」とか言ってた
じさまでよー、おいら苦手だったけど、おいらのことは可愛がってくれた。
家伝の祐定をくれると言ってたけど、じさま死んでからはそれがどうなったか
知らない。広島藩は全士を幕末に銃隊に再編していて、戊申の時のライフル
が残っていたけどなぁ。刀よりそっちのほうが興味があった。本家のうちの
ほうは大小含めて刀剣類しか残っていなかった。
あたしは考古学は学部でも専門的に勉強してないからよく分からないけど、
古墳と目定めるのは、一番最初どうするのだろうね。着手というか、そういうの。
やはり、地域の推定と地形からアタリをつけるのかしらね。じいさんどうやった
のだろう。
すまんす、素人で。

日本は青銅器と鉄がほぼ同時期に発生してる世界に類をみない歴史が
あるみたいだけど、だいたいからして我ら日本人は自分らの国の歴史に
ついても、古代などはサッパリ判ってないものなあ。
古代末期のことでも、研究が進んできたらどんどんこれまでの定説が
変わって来て教科書も変化してるよね。
聖徳太子と表記しなくなったり、大化の改新は645年でなく646年だったり、
中世でも鎌倉幕府開始が1192年でなく1185年になったり。
今年の歴史教科書ではザビエルがシャビエル(スペイン語発音)になって
マゼランなんてポルトガル語読みのマジャリャンイスだよ(><)
イエズス会とかどう読むんだろうね。
そういえば、高校の時、まあなんつーかキャンドルなんたらがあって、
それには俺は理由は覚えてないけど出てなくてイトコのねーさんが参加
していて、TVでニュース放送されたのを一緒に見たんだけど、アナウンサー
が教会に集うクリスチャンのことを「キリシタン」と呼んでいて、ねーさん曰く
「すっごく古い言い方じゃない?」て笑ってたけどさー。
それに、最近の教科書では「踏み絵」と呼ばないんだよね。「絵踏み」と
なっている。
一体どうなってんだ~。
「キリシタン弾圧史」が卒論テーマで社会科のセンセの免許持ってるかみさん
に理由訊いたら、「あたしにきくな。世代が違う」と言ってたけど、わけわかめ
だよな、ほんとに。
戦時中は南北朝時代ではなく「吉野朝時代」と呼んでいたけど、今の
皇室って北朝の流れのはずなのに、あれも理由がよく分からない。

あとさー、武田信玄や足利尊氏の肖像画は、あれ違うのではと思ったりも
するが、まあ、そういうのは、ついこの前の上野の西郷さんの銅像の
除幕式で、西郷未亡人が「これは誰ですか?」と言ったくらいだから、
結構、人物の肖像画てのはテケト~(≧∇≦)
以前、個人的にウケたのは、某ジャニーズの人が歴史を語るラジオで
「卑弥呼様の肖像画は、なぜ生きてる当時の物が残ってないのだろう」
と言ってたことだ。
「歴史上の有名人は残してますよね。信長とかも画家に描かせて」とも。
ダメ押しは「記録も書き残していないし」。
う~ん。なんというか、根本的なとこが・・・(^^;
でも、おいらでも想像つくぞ。
もしかすると肖像画はあったかもしれないが、あったとしても壁画が
消えたんじゃない?(笑)
てか、日本に文字ねえし、その頃。
それより以前に、「日本」てのが存在してないし(≧∇≦)
それよか、その頃のうちらの先祖はタトゥー入れまくりだったしよー。
どうすんのよ、美人のイメージの卑弥呼が顔じゅう刺青だらけだったら。
でも、案外そうかも知れないよぉ~。

あ、平安時代になってもトイレというのはなかったから、都でも御殿の庭
なんてくっさくてどうしようもなかったみたいよ。
その少し前まで、飯食うのも全部手づかみだしな、うちらの先祖。
武器はどんどん発達してたけど、どうもそこいらがやはり遅れていたよ。
その後よくぞ世界に類例をみないような清潔好きで礼儀を重んじる
国になったと思うよ。現代人見てると、そうでもねぇなぁとは思うけどね。
とりあえず、口開けたまま物をぺちゃぺちゃくちゃくちゃと音たてて食うのは
やめれ。特に人前では。

しかし、ジャニーズの人もわかってねえなあ。
でも、古代の銅剣に関しては、おいらもそんな感じ。サッパリのトンチキよ。
日本刀と鉄に関しては中坊の頃からマニアックに研究してきたから、多少
なりともほんの少しは刀のこと解るが、銅剣は守備範囲ではないなぁ。
ありきたりのことしか知らないし、今から本格的に勉強し直しても年数かかるし、
付け焼き刃みたいなペラペラなことでも意味ないし。
康宏センセの期待には応えられそうにない。


ガン・エフェクト ~映画におけるガンアクション~

2015年05月27日 | 映画・ドラマ・コミック

Thell Reed: Hollywood's Hired Gun


映画『クック・アンド・デッド』のガンアクションの演出担当はセル・リードだ。
彼はリアルかつ映像上で視覚的にも映えるガンアクションの演出をする。
1960年代初頭、10代で世界最速早撃ちシューターだったセル・リードは
あまりに記録を塗り替え続けるので「マーク(記録)」と冠され、マーク・リード
と呼ばれた。
彼はその才能を活かし、ガンアクションの演出担当として多くの作品に
関わってきた。日本の時代劇でいえば殺陣師(たてし)に相当する。
彼、マーク・リードと個人的にも交友を深めたのが日本人国本圭一氏だった。
現在はウエスタン・アームズというトイガンメーカーの会長だ。
国本圭一氏も10代で映画製作スタッフとなり、「拳銃殺陣師」の肩書で仕事
をしていた。日本国内にコルト・ガバメントのコンバット・シューティングを
紹介し、ガバメント人気を作ったのは国本氏だ。また、彼はコルト・ピース
メーカーでの早撃ちでも国内トップだったし、全米大会でも記録を残して
いる。日本国内ではトイガンで行なうが、渡米の際は自分自身が所有する
実銃コルトSAA.45口径を使用して実弾射撃を行なう。

国本圭一氏による実銃コルト・ピースメーカーでの早撃ち実弾射撃


映画で使用される銃は「ステージガン」と呼ばれる実銃の銃身内を絞った
銃が使われる。特に自動排莢をする自動銃、半自動銃の場合には空砲
を使用して機関部を回転作動させるために銃膣内の圧を高める必要
があり、銃身内の絞り(チョーク)は欠かせない。

このため、銃口のアップでは、銃身内にパイプを入れて絞り(チョーク)を
設置していることが見えてしまう場合がある。
これは米軍制式小銃M16を使用するシーンで映画『ハートブレイクリッジ』や
『プレデター』(これはAR15)において銃口内にパイプが見えてしまっている。

ただ、拳銃やピストルの場合は銃口にはパイプが見えない場合が多い。
リボルバー(回転式拳銃)は自動排莢の必要がないから、
もしかすると、
実銃の銃身そのままで、弾丸のみブランク(空砲)を
使用しているのかも
しれない。

ただ、リボルバー(回転式拳銃)の場合は、オートとは異なり、実弾が入って
いるかように
弾頭を覗かせる演出が必要だ。実弾装填時に弾頭がシリンダー
から覗いて
いない銃はほぼ現実の世界では存在しない。(一部の特殊弾を
除く)

国本圭一氏所有だった彼の国内用ステージガン(モデルガン/現所有者私)




実弾が装てんされているかどうかは、一般的弾丸の場合弾頭が
シリンダーから見える。
となると、だ。
この有名な『ダーティハリー』のシーンでは、この有名な台詞が成立
しないことになる。


「おぉ~っと。考えはわかってるよ。俺がもう6発撃ったかまだ5発か。
実を言うとこっちもつい夢中になって数えるのを忘れっちまったんだ。
でもこいつはマグナムよんじゅうよんていって、世界一強力な拳銃
なんだ、お前のドタマなんか一発で吹っ飛ぶぜ。楽にあの世まで
行けるんだ。運が良けりゃなぁ。さぁあ、どうするぅ?」

まあ、逆光でシリンダーがよく見えないというのもあるから台詞は
成立するのかもしれない。
ただ、日本人の多くは銃について知らないので、一般的にはシリンダー
から弾頭が見えるということも、フラットノーズのワイドカッター特殊弾だと
弾頭は見え
ないということも知らない。
ひどいのになると、漫画『ドーベルマン刑事』のように、シリンダーが
右にスイングアウトしている絵を描いている作品もある。
『ワイルド7』トリビュートの中でもシリンダーを右に開いている作品が
あり、世界最低の漫画家だと思った。原作に対するインスパイアも
何もないからだ。まったくトリビュートになっていない。主人公飛葉と
ユキのセックスシーンを描いているという時点で原作を馬鹿にしている
のだが、銃のシーンでは40年ぶりくらいに読者をなめたシーンを見た。
この情報社会にあって、不勉強すぎて、さすがに失笑した。
原作者の望月先生はどう感じたのだろうか。

こんな銃はこの世に存在しない。ノッチも右にある~~(^^;)


ワイルド7は死せずとも、作者よお前はもう死んでいる。
読者と原作を完璧に馬鹿にしているとしか思えない。

久しぶりの最低漫画家を見た。

この漫画家が、複数漫画家による「ワイルド7 トリビュート」の復活
リメイク連載に名を連ねてふざけた作品を掲載していたのが実に
腹立たしかった。この作者の姿勢や実際の作品からは原作および
原作者へのインスパイアは一切感じられない。

「作品製作者」というのはね、どんなジャンルでも恐いところに立って
いるものですよ。
その作品を見れば、製作者の表現者としての質があけすけに見えて
しまう。いくら「~に私淑した」とか「~を尊敬して」とか「~に敬意を
表して」とか、あるいはほかにも口先だけで表明しても、作者の人的
真実は作品に現れる。
読者、視聴者、鑑賞者をナメてはいけない。
あんた、背中が透けてるぜ(苦笑


火山

2015年05月25日 | 文学・歴史・文化・科学

中国地区には火山が二つしかない。
しかも、最後の噴火は3000年前と3600年前だ。
現在は「休火山」「死火山」という言葉は使わないので、すべて「活火山」
となる。

しかし、噴火の兆候はまったくない。







日本列島の各火山の活動状況には充分ご注意ください。
なんとなく、嫌な予感。


→ 各火山の活動状況(気象庁)


馬鹿

2015年05月23日 | バイク・車

過去記事改変してやった(笑
ツイッターでリンク貼ってまで人の事を揶揄してる岡山県人をまともに
相手にするだけ馬鹿らしい。


セクシーヒップ

2015年05月22日 | バイク・車

なんというセクシーなヒップだ。



すばらしいプロポーション。最高。


神業バイクパフォーマンス/モータースポーツジャパン2013

2015年05月20日 | バイク・車

神業バイクパフォーマンス/モータースポーツジャパン2013


1190ccのバイクでこれだ。
気持ちわり~~(^^;


そういえば、世の中変わったようで、筑波の走り方も少し前とは
まるで違うようです。
直線を登って右の第1コーナーは、すべて進入時から二輪スライド
させています。
理論的にはグリップ走法が一番早いとされてきましたが、これまで
コーナーのエイペックスから出口にかけてドリフトすることはあっても、
進入でキャスター角を変えてフロントの荷重を抜き、ブレーキングを
より強度にできるようにするためにスライドを使う理論は確立して
いなかった。
これはかなり驚異的だ。現在ではMOTO GPでもこうした走りが時と
してはまま見られる
。世の中すっかり変わった。
筑波-1コーナ全日本ロードレース・スーパーバイク級 進入リヤスライド走法のオンパレード。


ただ、進入突っ込みから旋回にかけて、タイム上いろいろな問題も
あることはライダー本人が開示している。
しかし、筑波第1コーナーの路面のブラックマークを見れば、いかに
多くのライダーがスライドを使っているかが判る。


えとの読み方覚え方

2015年05月19日 | 文学・歴史・文化・科学





日本刀学習には欠かせない「干支(えと)」の読み方と覚え方については
私がまとめた記事が→こちら(2012年2月19日)
にあるので参考にしてちょ。
日本刀学習というよりも、これは日本人として知っておくべき日本文化の一つ
なんだけどね。
ネズミやウシ年生まれというのは知っていても、「かのえナニ」とかいう
のはよく分からないことが多いと思う。
え?今では自分がなにどし生まれかも知らないシトばかりだって?
あら、そう・・・。
まあ、家の家紋も知らない人がほとんどだしなぁ・・・。

日本刀は五行と密接な関係にあり、かつては焼き入れの日なども
それに依っていたとのことです。
今は五行ではなく、大安吉日とかを重視するのは残ってるよね。
でも、読みを「たいあんきちじつ」なんてこと言ったりしてる。
こちらは仏教用語だから「だいあんきちにち」が本来正しいだろう。
と、金田一先生は言っていた(笑)。
ま、言葉は変わるしねぇ。情緒も「じょうしょ」が正しいのに「じょうちょ」に
なっちまったしよ~。
信長が舞った最後のあれは「人間五十年~」だけど、あれは「じんかん」
ではなく「にんげん」が正しいんだよ~ん、と。中途半端に知ってると、
あれは「じんかん」だとか言いだしそうだけどさ。

うむ。たしかにめっさかわいい。


富士スピードウェイの残像

2015年05月19日 | バイク・車

馬鹿が富士スピードウェイの30度バンクを見に行くと、こうなる。


これは結構貴重なレポートだ。2014年の最近というのが泣かせる。

私が初めてFISCOを走ったのが1977年、高校2年の時だった。四輪
ではF1でジル・ヴィル
ヌーヴのマシンが空を飛んで観客と警備員に激突、
死亡事故が起きた
年だ。
すでに30度バンクは閉鎖されて3年が経ち、ヤマハのサテライト系チーム
の先輩に
30度バンクまで見学で連れて行ってもらった。ピットから徒歩で
ある。
30度バンクは
あまりの壁であることに驚いた。
スキー場で30度斜面の上に立って下を見下ろすとどんな斜面であるか
想像してほしい。

そこで多くの人が死んだことも先輩に克明に聞いた。
超高速サーキットだったが、30度バンクは路面の基礎工事がしっかり
しておらず、いろいろなトラブルを抱えていたため74年に閉鎖された。
中学生だった私はクラスで「バンク廃止だってよ」と話題になっていた
のをよく覚えている。




第1コーナーをショートカットするヘアピン状にした新生FISCOは、
それでも1983年に高橋徹が最終コーナーでクラッシュして死亡
したことにより最終手前にシケインが設置されてもなお超高速コース
だった。

私が最終コーナーでクラッシュしてぶっ飛んだのもそのダンロップ
シケイン(後のBコーナー)が設置された後のレイアウトだった。
飛んだ原因は無理なセッティングのための焼き付きだった。
当時は
1周4,410mだった。
その直後に1コーナーが鋭い複合ヘアピンにと改修され、1コーナー
への侵入は直線で従来よりも減速する必要があるレイアウトに変更
された。それでもタイヤはコーナリング途中でニュルニュルとスライドした。
さらに87年に100R手前の左250R(得意だった)の高速コーナー
減速のためのシケインが設置された。ここはAコーナーと名付けられた。
レイアウト変更のため、ここでは250R
コーナーから伸びた直線でフル
ブレーキングして直角に近い左コーナー
にターンしてそのまま速度を
乗せながら右に切り返して100Rを大きく
回り込むようなレイアウトに
なった。かなり難しく感じた。

私が知る富士はここまでだ。

その後、FISCOという略称は所有会社がコースの所有権を売却した
ため、このサーキットは富士スピードウェイと本来の呼び方で呼称
されるようになった。
さらに、後年、最終コーナーが大幅に改修され、まるで米国のデイトナ
のインフィールド部のような超テクニカル連続コーナーを設けたが、
これは安全設計のための変更で、やはり超が付く高速サーキット
だった富士の魅力は半減した。まあ、攻めぎ合いのポイントが増えた
ので観客にとっては面白いことにもなったのだろうが。

高速度でいえば、鈴鹿のデグナー手前あたりでも200km/hは超える
だが、富士には富士の魅力があった。テクニカルなレイアウト設計
部分は鈴鹿にはかなわなかったし、超高速サーキットということでは
安全設計に隙がなかった菅生にも富士は立ち遅れていたからだ。
コースレイアウトをテクニカルインフィールドコーナーを新設する
ことで、あらたな「味」を出していかなければ富士は存続できなかった
のだろう。
また、筑波はまるで室内コースのようなこじんまりした峠と変わら
ないコースだったので、全日本選手権は開催されていても、国際
選手権コースとは成り得ないようなサーキットだった。
でも、筑波は人気あったけどね。東京から一番近い本コースだったし。
短いコースだからコンマ1秒に何十台いるのよ、というような激戦区だった
のだが。ノービスで1分1秒台後半でも予選落ちだった時代もあった。
(ノービスでも決勝は83年頃で0秒台。A級とさして差はないが実は
100分の1秒台の差はレースではとてつもない大差なのだ)
当時フレディが仮に筑波を走ったら、250でも58秒台と言われていて
(フレディ・スペンサーがWGPで250を走る前)、日本の国際Aでも0秒台
だったのに、世界の頂点に立つWGPライダーはなんなのだろうと思った。



だが、やがて日本人も58秒台を出すようになり、今ではコースが延長された
のに57秒台も出ている。
そして、1993年、日本人で初めての世界チャンピオンが生まれた。
世界グランプリ初挑戦の年に世界王者となる快挙を成し遂げた。
それがヤマハの原田哲也選手だった。最終戦で逆転劇を展開し
チャンピオンとなった。ついこの前のことのようなのに、もう22年も経つ。


私は妻と中継で見ていて、肩を抱き合って泣いて喜んだ(笑
原田選手がSP忠男出身だからという訳ではない。
応援していたし、単純に嬉しかったのだ。

日本からのエントリーでは1977年に片山敬済選手がプライベート
なのに350ccと250ccのダブルエントリーで350の世界チャンピオン
になった。だが、片山選手は兵庫県生まれだが、在日二世の韓国人
であり、日本から日本人としてのエントリーであったが、帰化はして
いなかったので、「日本人初のチャンピオン」ではなかった。「日本から
の初チャンピオン」であり、戦後日本の複雑な事情を思い知らされる。
生まれも育ちも日本であり、日本の学校に通い、日本語と英語しか
話せない外国籍の片山選手だったが、マシンには日の丸を貼って
ヤマハのマシンを駆って世界王者となった。

原田選手のチャンピオンマシンはメーカーワークスマシンのYZRでは
ない。市販車ベースにメーカーが手を入れたTZMだ。ほとんど1台
3億円するワークスマシンに近い作り込みだが、あくまでベースは市販
レーサーTZ250である。日本からの77年の初チャンピオンもワークス
ではないTZ、93年もワークスマシンではないTZMで日本は世界王者を
排出したことになる。これは世界王者を出した功績以上に日本製品の
底力として注目に値する。


その後、日本人ライダーは世界の舞台で大活躍し、中軽量級で多くの
世界チャンピオンが生まれた。
だが、グランプリ最高峰の最大排気量クラスにおいては、未だ日本人
の世界チャンピオンは出ていない。やはり、白人が圧倒的に優勢な
状況がまだ続いている。
スポーツは人種を超えても良さそうなものだが、どうしても国の歴史と
経済的問題が立ちふさがる。モータースポーツに黒人選手はいないが、
それはなぜか。水泳に黒人選手がいないがそれはなぜか。水泳の
場合は明らかに差別的な環境問題がある。「(我々白人とは)一緒に
泳がせない」という環境下では水泳の黒人選手は育たない。
身体能力からしたら、将来的には黒人選手が水泳も席巻することが
判り切っていてもだ。
モータースポーツも「白人のスポーツ」という歴史があった。
だが、そこに唯一食いこんで、天地をひっくり返したのが日本人だった。
気付けば、モーターサイクルは日本製4社のマシンのみでトップを戦わ
れる状況が何十年も続いてきたし、今も続いている。四輪でも日本車は
強豪となっている。
日本は実は世界の頂点に立つ「バイクの国」であるのだ。
地球の頂点である。
だが、多くの日本人は、世界中で日本製のバイクが絶賛されている
こと(それはイメージではなく確固たる実力ある良い車として)を知らない。
それどころか「免許を取らせない、バイクを買わせない、バイクに乗らせ
ない」などということを政治家や教育者の大人たちが推進している。
馬鹿な国だと本気で思う。クルマは良くともモーターリゼーション文化が
圧倒的に未開の地であるのが日本だ。
もうね、頭200年前のバカばっかし。
世界をリードしているモーターサイクル王国である日本の実体がこれ
とは、お寒い限り。


この富士スピードウェイの30度バンク探検動画は、かなり感動したので
紹介したいと思った次第。

世界遺産に登録してほしい(無理)。


ヤマハ R25

2015年05月15日 | バイク・車

人の悪口をツイートしてる暇あったら腕磨きな。


城下町

2015年05月15日 | 文学・歴史・文化・科学



姫路城の城内エリアを見ると、現在の市街地中心部の大部分が城内に
入ることが判る。
「城下」というのは城郭の外側周辺部を形成する市街地のことだが、
城内にも住宅街などの町はある。
ただし、城内の住宅地は武家地だ。城内に入るには通りに門があり、
誰でも城内武家地に入れるわけではない。
現在の世の中は誰でもどこにでも行けるが、江戸期には通りには
各門や木戸があり、人の往来を厳重に管理していた。
城下だけでなく、街道筋にも門があり、厳重に人々の通行は制限管理
されていた。門があるのは関所だけではない。
現在の日本の全国の市街地=都市は、ほとんどが江戸期の城下町が
発展したものである。(埼玉県大宮などの例外あり)
(→ 「城下町」 人口10万人以上の城下町

人口10万人以上の城下町


城内及び城下町そのものが軍事都市なのであるが、天守は最大の
軍事施設ともいえる。
領主は普段はこの天守に寝起きしている訳ではない。本丸御殿に
居住する。本丸御殿は平屋の広大な屋敷である。


姫路城下町(天守から南側)。このビル群のあたりまでが武家地だ。
大通りの正面どんつきがJR姫路駅。



姫路城下町(天守から西側)。こちらも武家地である。


戦国末期までの城は山城が主であり、突出した軍事施設でしか
なかったが、天守を造り、同時に町を城の周りに建設して、楽市
楽座を考案して独占的既得権の排除と免税措置により商業を
発達させた織田信長の功績は大きいと思う。
現在の日本全国の都市の大半は信長が着手した都市構想に
始まるといっても過言ではない。
彼は決してウツケではなかった。
個人的には積極的に西欧文明を参考にしていた視野が好きだ。
とりわけキリスト教を禁じていなかった面も。
一向宗に対しては信長はひどいことをしていたから、あくまでも
政策的な政治的思惑でキリスト教を認可していただけだが。
信長の財と武による国内支配はとてつもないものがあったことだろう。
その信長に支配されずに独立独歩を貫徹した雑賀衆などの傭兵
軍団は骨があったと思わずにはいられない。
今の日本の国土の基礎は信長の家臣の秀吉が完成させて、徳川が
法的実効支配を完成させたに過ぎない。

都市に住んでいて、城を意識しない日はない。
私が一番意識するのは東京だ。
なぜならば、道割りがほぼ江戸期のままだからだ。
都内を歩くと江戸を強く感じる。



幕末、近藤勇らの「試衛館」道場があった付近。新宿区二十騎町。
界隈を柳町と呼ぶが、市谷甲良屋敷や加賀屋敷がある地域だ。
箪笥町から飯田橋に抜ける道は神楽坂と呼ばれる。


朱引き線内がいわゆる「江戸」であり、ここ全体が軍事都市の城下である。
朱引きが江戸府内、墨引きは警察権が及ぶ江戸町奉行所の管轄地域を
表している。唯一目黒のみ朱引きを墨引きが突出している。
これは目黒は活きの良いサンマの産地のため押さえる必要があったから(嘘)。
警察権が及ぶ江戸の範囲は目黒と下町を除き、ほぼ現在の山手線の内側
であることが判ると思う。山手線自体が、旧江戸の道割りを利用して敷設
されたので地図上は重なるのである。


ちなみにパスポートを見ればわかるが、日本国のマークは五七の桐である。
これは皇室の副紋として使用されてきた。秀吉はその変形を用いていた。