担当授業のこととか,なんかそういった話題。

主に自分の身の回りのことと担当講義に関する話題。時々,寒いギャグ。

今年の更新打ち止め。

2011-12-31 19:19:21 | Weblog
今年のブログの更新はこれでおしまい。

授業関連のページの更新は,大学の冬季休業終了に合わせて,1月7日から開始する予定。
学生の皆さんは実質的に1月10日(火)にいろいろなプリントと対面することになりそうです。

あと,結局,年末の一週間に一日100ページずつ本を読むなどの企画は一日もたずに企画倒れとなった。orz

ではみなさん,よいお年を。


あっ,残りの年賀状書かなくちゃ・・・。(泣)
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<読書感想文1112>数学者の視点

2011-12-31 18:47:09 | 
深谷賢治,数学者の視点,岩波科学ライブラリー35.


著名な数学者の手になるエッセイ集である。

特に印象に残ったことを二三述べるにとどめる。

「3. クッキングコース」では,著者がアメリカで実際に教えた経験を元にアメリカにおける大学教育の問題点を浮き彫りにされているのであるが,戦慄を覚えるような衝撃的な内容である。

「4. 遥かなるブルバキズム」の脚注2に,ブルバキの『数学原論』の位相の巻は専門書ではないと述べられているのには違和感を覚える。僕にとっては位相の専門書にしか思えないのだが。これを専門書と言わずに,どんな本なら位相空間論の専門書だと言うのだろうか・・・?

「5. 評価は客観的であってはならない」を読んで,『評価』なるものを数値化するという話が出てきたのでハッとした。
これは最近特に興味のある「量と数」の理論の課題の一つなのである。

「補遺―あとがきに代えて」に,薩摩順吉氏から『数学セミナー』紙上でコメントをいただいたとのコメントがあるが,その記事がいまだに見つからない。もしかすると1995年3月号の記事にあるのかなぁ。今度調べてみることとしよう。


さて,2011年内にはっきり読みきったと言えるのはこの12冊のみである。
例によってつまみ食いして部分的には読み進めている本が何冊もある。
新年の目標はいつも通り,まずは読みかけの本を読み終えること,となりそうである。
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<読書感想文1111>大学教授という仕事

2011-12-31 18:18:46 | 
杉原厚吉,大学教授という仕事,水曜社,2010年。


杉原先生のご講演を聞いてからというもの,僕はすっかり自称杉原教の信徒である。

この本は,正直なところ,一般の人が読んでも大して面白くはないかもしれない。
ところが,著者と同じ理系の大学の関係者にとっては非常に貴重な一冊なのである。
特に,これから専任教員として大学業務に携わろうとする若手研究者にとってはバイブルだと言っても過言ではないと思われる。

そもそもこの本を知ったきっかけは,敬愛する先輩の一人であるA木先生がこの本に杉原先生からサインをもらっていたのを目撃したことであった。
その先輩は大学の講師になって数年で,まさにこの本を読むべき人の一人なのであった。

その後すぐさま図書館で借りて読んだところ,実に面白い。とても参考になる。
興奮した僕は友人の gk 氏に強く売り込んだところ,彼はさっそくこの本を購入してくれたが,実は二冊目だったことが発覚し,一冊を僕にくれた。ありがたいことである。

もう一人,大学の教員に決まった大学の同期がいて,彼にも売り込んだが,売り込み方が甘かったように思われるので,春に顔を会わせる機会があったら,改めて薦めてみるつもりである。

こんな風に人に本を薦めることなどめったにしない僕をそうまでさせるのであるから,この本のインパクトたるや,いかほどであろうか,ちょっと察してもらいたい。

さて,もっと若い読者の場合はどういう興味を持って本書に向き合えるか,ちょっと考えてみたい。

例えば大学を受験しようという受験生は,7章の「入学試験」が,入試を課す側は何を考えてどんな風に取り組んでいるのか,舞台裏が垣間見えて興味深いだろう。

あるいは,学部生ならば2章「講義の担当」を読めば,講義を行っている大学の教員が一体どんな思いで教壇に立っているのか,心情の一端を知ることが出来よう。
また,卒業研究を指導されている四年生などは,3章「研究と学生指導」あたりが気になるだろう。

この本に述べられた話のほとんどは,懇親会などで話好きの大学教員と一緒になったら話して聞かせてくれるであろう内容である。
逆に言うと,そういう機会がなければ耳にすることのない話がてんこもりなのである。

そして,ここが非常に大事な点だと思うのだが,ゴシップや悪口の類は一切ない。本書の筆致は,著者の人柄を偲ばせるような紳士的な態度で貫かれているのである。
ステレオタイプな物言いを許していただければ,理系の,それも特に工学系の研究者らしく,簡にして要を得た叙述なのである。
しかし堅苦しい報告文というわけではなく,大変読みやすく,時にはユーモアさえ感じさせる,とても柔らかい文章である。
なぜそのような文体が可能なのかという点に関しては,著者自らが5章「論文の生産」や12章「著作活動」で秘密を開示しておられるので,興味のある方はぜひ目を通してみてもらいたい。
僕は本書を読んだころ,漠然と著者のと非常によく似た考えに到達しており,そのような主義をこのような大先生が明確に主張していることに目からうろこが落ちる思いがしたのと同時に,わが意を得たりと快哉をあげたものである。

かくて,本書は僕にとって忘れられない書の一冊となったのである。
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<読書感想文1110>思考の整理学

2011-12-31 17:40:18 | 
外山滋比古,思考の整理学,ちくま文庫(1986年発売以来の超ロングセラー!らしい。)


読み終えたのはいつだったかもう覚えていないが,まだ残暑の厳しいころだったと思う。
大晦日も日が暮れてから大慌てで溜まっていた読書感想文のノルマを果たそう。

この本はエッセイ集である。

冒頭は「グライダー」という,「思考」だの「整理」だのとどう関係があるのかさっぱりわからない不思議な題名のエッセイである。
なぜグライダーなのかは読めばわかる。そしてこのエッセイが先頭におかれている理由もついでに痛いほどよくわかるであろう。

本書では主に著者自身が実践してきた思考の整理法が具体的に開陳されている。

僕の友人 gk 氏は手帖なぞ古いと言っておったが,僕は尊敬するある先輩を真似して小さいノートに計算やアイデアを書き付けるという試みを数年前から始めていたので,手帖の使い方の解説は大いに参考になった。
というより,ここまでの手間はなかなかかけられないぞ,というのが正直な感想であるが。

「醗酵」だの「寝さす」だのの項に書かれたことは,自分の今の状態だからこそ共感を持って読めるように思われた。もっと若いときにはピンとこなかったかもしれない。

ただ,「寝さす」という語は僕の耳には新奇に響く。「寝かす」の方が通りがよいように思うのだが,どうだろうか。
もっとも,文学者の著者のことであるから,なんとなく自然にほったらかすというニュアンスのこもった「寝かす」よりも,より意図的に強いて放置するという意味をこめて,使役の意志がはっきり感ぜられる「寝さす」を選んだのだろう。
そして,「寝さす」という,僕にとっては耳慣れない用語が頻繁に使われているからこそ,強く印象に残ったという効果も重要である。

「カクテル」,「エディターシップ」,「情報の“メタ”化」などは僕には見えていなかった,研究活動の一側面にスポットライトを当てる内容であって,実に新鮮であった。
そうして学んだものの見方は,現在,僕の中では,新しいものをほぼゼロから創造する「一次的な研究」,見かけの異なる既存の複数のことがらを結び付ける「二次的な研究」といったような,研究行為の分類法として別の名前が付けられている。

「しゃべる」の項目で,ふと思いついた,自分としては面白いと思えるアイデアを,すぐには人に話すなと教え諭しているのだが,どうやら著者の周囲には酷い先輩しかいなかったようで,話されたアイデアを潰そうとやっきになられたトラウマが著者には深い心の傷として残っているらしい。
幸い,僕はそういう全否定に出会ったことがないので,ついついくだらないことでもすぐさま口に出してしまう癖がある。
このことについては,著者に同情を禁じえない。

僕にはそういうお互いに思いついたことをすぐに言いあえる gk 氏のような友人がいるのは,実にありがたいことだと言わなければなるまい。

「垣根を越えて」の項で,思いがけずロゲルギストの名が出てきたのには驚いたが,思いついたことを何でも話し合える良き仲間の大切さを示す「創造的雑談」の一例として挙げられていた。
著者が終にはそれに似た知己を得たというのは読んでいて素直に喜べる話であった。

あと,数年前にある大学教授の口から聞いた「三上」の元ネタはどうやらこの本であったことが判明した。
僕にとっての三上は,ひとつは本家と同じ枕の上,しかも眠るときであって,もう一つはトイレではなく,シャワーを浴びているとき,あと一つは馬上ならぬ電車に乗っているときである。
というわけで,これらはほぼ著者が新たに提案している「三中」と同じものである。

特にシャワー中はくだらないことがたくさん思いついて困る。

ちなみに,僕にとってのもう一つの「中」あるいは「上」は,「枕上」ではなくて,「講義中」がしっくりくるかもしれない。
今年思いついた喩えの一つ,「合成関数は外側から殻をむくように計算していく」というのは,講義中にしゃべくっているときに思いついたものである。
そして,朝シャワーを浴びているときに考えているのはその日の授業のことである。そして電車に乗ってキャンパスへ向かう。

なんのことはない。僕にとって,脳が活性化する大きな「中」とは,「授業期間中」だというだけの話である。

我ながらうまい落ちがついたところで,本稿を締めよう。

ともかく本書はどの項目も知的な刺激に満ち溢れている,面白い書である。
五年くらいおいて読み返してみると,また違った読み方が出来るに違いない。
そういうわけで,五年に一度のペースで読み返したい本のうちの一冊である。

なお,最後の「コンピューター」の項目では,コンピューターに人間が追いやられるのではないかという懸念が記されているが,本書が世に出てから25年ほど経った今,その懸念はあまり問題ではなかったのではないかという気がする。それよりも,きっと当時想像だにできなかったような問題が持ち上がっているのではないかと思う。この項目に関しては,現在の情報化社会が著者の目にどう映っているのか,かなり興味がある。外山氏がそのことに関連する文章を最近書いてないかどうか,しばらく気にかけておこうと思う。
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2011年の総括。

2011-12-31 14:42:04 | 爺ネタ
思いつくままに。

1. 2011年11月11日11時11分11秒を確認できたことは嬉しかった。

2. 皆既月食をほぼ全て見ることができたのは嬉しかった。

3. インターネットでの文献収集力が飛躍的に向上した。
気になって集めた文献は,もう数を数える気にもなれないが,1000近いのではないかと思う。
とても読むのは無理だけど,集めるのが楽しいのだから仕方がない。

4. 忘れ物がないか確認するという抱負は,一部守りきれなかった。実際,愛用していた折り畳み傘をなくしてしまったのである。

5. 今年必ず読もうと思っていた「三四郎」または「三銃士」はまだ読んでいない。
しかし,年が明けてもまだ数日の猶予が残されている。
「三四郎」を狙っているのだが,どうしても他の本に手を出してしまうのである。
関係ないが,今日,シャワーを浴びているときに,『吾が輩は猫であった』というパロディを思いつき,続きの文章がとめどなくあふれてくるので対処に困ってしまった。それはこんな具合である。

「吾が輩は猫であった。名前はあったはずだがとうに忘れてしまった。
だいたい近頃は物忘れがひどくて困る。
そういえば苦沙弥先生のひ孫の嗚呼中(ahchoo;アーチュー=はっくしょん!)先生もお気に入りのラノベをついもう一冊買ってしまって,己ももう歳かなと頭をぼりぼりと掻いておった。
しょっちゅう出入りしている大嶋冷風君は三冊目を無意識に買ってしまったそうだが,それはさすがに洒落では済まない。其の話を聞かされたときに嗚呼中先生はたいそう真面目に冷風君の脳みそのことを心配していた。」

こんな調子でいつまでもだらだら続けられるのであるから困ったものである。

6. 体脂肪はまったく量っていないので増えたか減ったかとんと予想がつかないが,体重は二ヵ月前には5kgほど減ったのに,いまは完全にリバウンドして元に戻ってしまった。

7. 変化を楽しむという目標は達成したと思う。
これはもともと引越しを予定していたから立てた目標だったが,結局その引越し話は白紙になり,そのかわり,今まで知らなかったいろいろな分野の扉をいくつも開けるという変化を楽しんだ。
また,数年ぶりにゼミ形式で同志と共に論文を読んだり研究するということをやり,お勉強に励むという目標も実現したと思う。
頭の中のアイデアをなるべく多く実現するという目標は,上半期は努力したが,下半期は達成度が低い。

8. 最低15冊は読破するという目標は未達成に終わった。orz
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