担当授業のこととか,なんかそういった話題。

主に自分の身の回りのことと担当講義に関する話題。時々,寒いギャグ。

<読書感想文1110>思考の整理学

2011-12-31 17:40:18 | 
外山滋比古,思考の整理学,ちくま文庫(1986年発売以来の超ロングセラー!らしい。)


読み終えたのはいつだったかもう覚えていないが,まだ残暑の厳しいころだったと思う。
大晦日も日が暮れてから大慌てで溜まっていた読書感想文のノルマを果たそう。

この本はエッセイ集である。

冒頭は「グライダー」という,「思考」だの「整理」だのとどう関係があるのかさっぱりわからない不思議な題名のエッセイである。
なぜグライダーなのかは読めばわかる。そしてこのエッセイが先頭におかれている理由もついでに痛いほどよくわかるであろう。

本書では主に著者自身が実践してきた思考の整理法が具体的に開陳されている。

僕の友人 gk 氏は手帖なぞ古いと言っておったが,僕は尊敬するある先輩を真似して小さいノートに計算やアイデアを書き付けるという試みを数年前から始めていたので,手帖の使い方の解説は大いに参考になった。
というより,ここまでの手間はなかなかかけられないぞ,というのが正直な感想であるが。

「醗酵」だの「寝さす」だのの項に書かれたことは,自分の今の状態だからこそ共感を持って読めるように思われた。もっと若いときにはピンとこなかったかもしれない。

ただ,「寝さす」という語は僕の耳には新奇に響く。「寝かす」の方が通りがよいように思うのだが,どうだろうか。
もっとも,文学者の著者のことであるから,なんとなく自然にほったらかすというニュアンスのこもった「寝かす」よりも,より意図的に強いて放置するという意味をこめて,使役の意志がはっきり感ぜられる「寝さす」を選んだのだろう。
そして,「寝さす」という,僕にとっては耳慣れない用語が頻繁に使われているからこそ,強く印象に残ったという効果も重要である。

「カクテル」,「エディターシップ」,「情報の“メタ”化」などは僕には見えていなかった,研究活動の一側面にスポットライトを当てる内容であって,実に新鮮であった。
そうして学んだものの見方は,現在,僕の中では,新しいものをほぼゼロから創造する「一次的な研究」,見かけの異なる既存の複数のことがらを結び付ける「二次的な研究」といったような,研究行為の分類法として別の名前が付けられている。

「しゃべる」の項目で,ふと思いついた,自分としては面白いと思えるアイデアを,すぐには人に話すなと教え諭しているのだが,どうやら著者の周囲には酷い先輩しかいなかったようで,話されたアイデアを潰そうとやっきになられたトラウマが著者には深い心の傷として残っているらしい。
幸い,僕はそういう全否定に出会ったことがないので,ついついくだらないことでもすぐさま口に出してしまう癖がある。
このことについては,著者に同情を禁じえない。

僕にはそういうお互いに思いついたことをすぐに言いあえる gk 氏のような友人がいるのは,実にありがたいことだと言わなければなるまい。

「垣根を越えて」の項で,思いがけずロゲルギストの名が出てきたのには驚いたが,思いついたことを何でも話し合える良き仲間の大切さを示す「創造的雑談」の一例として挙げられていた。
著者が終にはそれに似た知己を得たというのは読んでいて素直に喜べる話であった。

あと,数年前にある大学教授の口から聞いた「三上」の元ネタはどうやらこの本であったことが判明した。
僕にとっての三上は,ひとつは本家と同じ枕の上,しかも眠るときであって,もう一つはトイレではなく,シャワーを浴びているとき,あと一つは馬上ならぬ電車に乗っているときである。
というわけで,これらはほぼ著者が新たに提案している「三中」と同じものである。

特にシャワー中はくだらないことがたくさん思いついて困る。

ちなみに,僕にとってのもう一つの「中」あるいは「上」は,「枕上」ではなくて,「講義中」がしっくりくるかもしれない。
今年思いついた喩えの一つ,「合成関数は外側から殻をむくように計算していく」というのは,講義中にしゃべくっているときに思いついたものである。
そして,朝シャワーを浴びているときに考えているのはその日の授業のことである。そして電車に乗ってキャンパスへ向かう。

なんのことはない。僕にとって,脳が活性化する大きな「中」とは,「授業期間中」だというだけの話である。

我ながらうまい落ちがついたところで,本稿を締めよう。

ともかく本書はどの項目も知的な刺激に満ち溢れている,面白い書である。
五年くらいおいて読み返してみると,また違った読み方が出来るに違いない。
そういうわけで,五年に一度のペースで読み返したい本のうちの一冊である。

なお,最後の「コンピューター」の項目では,コンピューターに人間が追いやられるのではないかという懸念が記されているが,本書が世に出てから25年ほど経った今,その懸念はあまり問題ではなかったのではないかという気がする。それよりも,きっと当時想像だにできなかったような問題が持ち上がっているのではないかと思う。この項目に関しては,現在の情報化社会が著者の目にどう映っているのか,かなり興味がある。外山氏がそのことに関連する文章を最近書いてないかどうか,しばらく気にかけておこうと思う。
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