日々雑感

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  エラワンの神様0

2019年03月30日 | Weblog
          エラワンの神様


 人はこの世にいる限り、さまざまな願いを持っている。そしてその願いごとがかなうように、神々に願をかけて祈る。それは洋の東西、時空を超えて、地球上みな同じである。ところが願かけしてもよく願をかなえてくれるところと、そうでないところがあるみたいだ。
心願成就をさせてくれる神様は、当然のことながら、お参リのご利益が多い分、お礼まいりの人も多くなる。それは日本でも、タイでも同じこと。
人気のある評判の良い神様は、ますます多くの人の信仰を得て、人々の心願成就のために多くの汗を流しなさることだろう。
 それを知ってか、知らでか、人間の方も心願成就の暁には、咸?の意味を込めて、神様のすきそうなものを奉納する。賽銭はもちろんのことだが、生け花や香華・神楽舞ダンスなどを奉納してお礼の気持ちを表す。そしてそういう人間心理は世界共通のものだろう。これは心願成就のお礼ばかりではない。御利益の程を見越して、先に神楽ダンスなどを奉納して神様の気を引く、ちゃっかり者もいる。

 さて、これはタイ、正確にはバンコクでの話である。
バンコクで御利益隋ーとされる神様は、エラワンの神様だそうである。その名前の由来は、おそらくエラワンホテル、あるいは町名にあり、それはエラワンホテルのすぐ隣にあるからそういう呼び名がついたのだろう。
 精霊・ピーの名前はなんというか知らないが、エラワンの神様で十分わかる。バンコクでは各家庭でも、殆んど祀られている。その神は日本流に言えば、神棚に祀ってあるとはいうもの、丁度鳥の止木の餌場のように、地中から高さ1mほどの柱を立てて、一枚の正方形に近い板の中心部を支えるように作られていて、その板の上に社殿、両側には電気で灯した、赤い色の灯明がある。その社殿の中に瀬戸ものに色づけした神像や金ピカの神像が鎮座まします。

 ところが、さすが大勢の人々がお参りし、一日中香華が絶えず、タイの巫女として、正装した女性が舞う神楽ダンスは休む間もない盛況である。工ラワンの交差点の南東角にまつられている神様は、特別別格のようで、毎日お詣りの人波が絶えない。

 ひやかしの気持ちがないといえばうそになるが、ぼくは手を合わせる気持ちはもちろんある。どんな流儀であろうと、神様には敬意を表したくなるのが僕の性分だ。どんなやり方でお願いしたり、お祈りしたらよいのか、全く分からないから、一礼・二拍手・一礼と日本流に拍手を打って頭を下げた。

 タイのあの大きな寺院の何分の一かのミニチュア版のような神殿の中には、四つの方向に一つずつ顔を持つ金色に輝く神様の像があった。体の部分は一つで、顔だけが四つあリ、東西南北を向いていた。顔は金銅製で、ほそ面でなかなかの美しい感じがした。この神像を見る限り男女の区別はつかない。オトコガミとい思えばそう見えるし、オンナガミかと思えばそう見える。神様なんて男女どちらでもよいのだが、お供えものを見ても、その区別はつかなかった。お供えものは、まず黄色の花だ。この黄色の花は、ここではたぶん菊ではないのだろうか。
その花の首だけを摘んだものもあり、花首を寄せ集めて、首飾り風にしたものもあり、しかも御神殿の囲いは、この花で埋め尽くされている。中には白い花もあった。これは黄色の花の1/3ぐらいの大きさで、主に首飾りになっていた。中にはつぼみのままの蓮の花もあったが、これだけはどれも開花はしていなかった。
 お供え物としては、果物などはあったが、さい銭箱は見当たらなかった。その代わりに工ラワンの神様奉讃会に寄付をする、金属製の箱は正面入口の所に置いてあった。

 
 お参りグッズ必須の、線香、ろうそくは白ではなく、すべて黄色、線香は日本のものと違い、線香花火みたいに、途中までは燃えるが灰にさす分は竹ヒゴでできていた。

 無料でタイダンスが見られる所として、ガイドブックには、この工ラワンの神様に、人々が心願成就のお礼のために奉納をする、奉納舞踊(日本ではさしずめ神楽)のことが紹介されている。実物は初めて見るのだが、楽士は3人でタイコ(鼓)と木琴が二人の合計5人。
踊子は奉納者の納めるお金の額によって、多くなったり、少なくなったりするらしい。
 フルキャストで8人、720バーツであると書いてあるが、中には、額が少ないのだろう、8人のうち何人かはぬけて後方で休んでいた。
踊り子たちは足のくるぶしには装飾のついた足輪・きんきらきんの衣装、それに烏帽子ならぬ金銅性の冠を付けて、歌いながら踊る。特に注目をひくのは指先の曲げ工合である。
きっとこの動作で何かを表しているのだろうが、指が折れはしないかと思うほど曲げていたのが印象的だった。

顔はもちろん化粧をしているが、休憩している時は、女の子らしく紅をひいていた。
さていよいよご利益の方である。ご利益は直接得たわけではないが、日本人体験者から聞いた話はすごかった。

彼と僕は空港からホアランポ-ン駅へ行くバスの待合所で知り合った。
バックバッカーとおぼしいぼくに、彼が直接「日本のかたですか」と声をかけた。行く方向が同じなので、バスの中でどうして僕が日本人だとわかったのかと聞くと、鍵の名前が日本人の名前になっていたからということだったが、僕は
「いや、実はこれは鍵の番号を忘れたときのために、僕が考え出した暗号ですよ」と説明を加えた。それから話がはずんで行きつくところ、エラワンの神様に落ち着いた。

ガイドブックに簡単に説明されているから、いわゆるその程度のことは知ってはいたが、直接大きなご利益をもらったという体験談などを聞いた事がなかった。
ところが彼は友人4人で出かけた時に、生じたある事件を取り上げて
「詳しく話をするから、このバスを降り、私の自宅で話をしよう」と誘った。彼はもちろん日本人だが、タイ雑貨の商売をしていて、このためバンコクに駐在しているのである。バスはパャタイ通りとペップリ通りの交差点近くで止まったので、そこで降りて彼の家に向かった

彼は単身赴任だし、タイの語学学校に通っているので、日本人の友人、知人も多い。携帯で連絡取ったので、先ほど書いた友人4人も集まった。
 そして話は始まった概略はこうである。
冷やかしの気分もあって、4人でー度ご利益があるというエラワンの神様に見学かたがた、お参りにこうということになって出かけた。
ちょうど昼時だったので、レストランに入り食事をしていたら、隣にいた男がかばんをひったくって逃げた。四人は席を立って追いかけたがサイアム通の人込みの中へ消え、見失ってしまったので、仕方なくあきらめ、その食堂で食事をとってから、工ラワンの神様にお参りに行った。
珍しさも手伝って誰も早く帰ろうとは切り出さず、お参りの人々がしているようにお祈りして帰途についた。ただ彼ら四人は笑い話みたいにして、さきほどの盗まれたバックが手元に戻りますようにと異口同音に祈った、というのである。今までバンコクは東京よりは安全なところだとしか思っていなかったので、きょうの出来事は4人にとっては、相当な衝撃を与えたことだろう。

そうこうするうちに、バスが来たので乗ったら、さっきひったくられて、盗まれたバッグを持った男が乗っているではないか。四人は身柄はともかくバッグを取り戻した。男は混雑した車内をうしろから前に逃げて、バスが止まるやいなや、走って人込みの中に姿を消した。四人にとってみれば、犯人を捕まえるよりは、バックが元通り手元に戻る方が先決で、犯人を捕まえてこらしめてやろうなんて気持ちは、あまり起こらなかったそうである。結果的にはバッグは元の持ち主に戻った。
めでたし、めでたしである。

 偶然とはいえ、ひったくりにあったバッグが、無事戻ってきたのだ。バスに、もう1台早かったり、もう一台遅かったりしたら、犯人に出会うことはなかったし、満員のバスの中でも、前から乗ったのではなく、うしろから乗ったので、犯人と偶然はちあわせになり、バッグを取り戻せたのである。
偶然といえば、あまりにも偶然。
 

こんな偶然が重なって、ハッピーエンドになると、だれが予想できただろうか。4人とも不思議に思ったそうだ。そして今日の出来事はすべて
工ラワンの神様の思し召しに違いないし、ハッピーエンドに終わったのは、ひとえエラワンの神様の御利益に他ならないという結論に達したそうである。ただし四人共、どちらかといえば、宗教には関心などなく、工ラワンの神さん参リも、いわゆる信心気なんて毛ほども持ち合せていない。

だが、そんな4人の共通した一致点はこの世に神様がいて、信じる者にはご利益をもらえるということだそうだ。そして彼ら四人は今でもエラワンの神様は、人々に多大なご利益を与え続けていて、人々の尊崇を集めているという結論である。

なるほど。そんな話しもあるのだな。特別願掛けする必要はないが、次回に来たときにでも、ひとつお参りでもしてみるか、ぼくはそんな気持ちになった。今回幸いにも時間があったので、お参りと言うよりは見物に出かけた。
 このエラワンの神様を信仰したり、願掛けをして、無心に祈る人々の姿を見て、たとえそれが欲の先走るご利益信仰であったとしても、祈りの姿というのは本当に、美しいものだとつくづく思った。