日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

命の共生き

2019年03月20日 | Weblog
命の共生き

「自分が支えられる立場になって、

世の中には支える人と支えられる人の2種類の人間がいるんじゃなくて、

みんな支えてもらわなきゃいけないことがあるし、逆に誰かの役に立てる、お互いにそうなんだっていう。

だから困ったときには,助けてって言いやすくて、自分のできることで誰かを支えるという

ことを誰もが少し気軽にできると、みんなすごく楽になるんじゃないかなと思ってます」

(村木厚子さん)
以上はインターネットから引用

村木さん。事務次官まで登られたあなたが、無実の罪で拘置所に入れられるなんて不条理も甚だしい。

しかしその不条理をいかることだけではなくて、反転して命の共生きに気づかれ

若草ハウスを作って困難な事情を抱えた女性たちに宿を提供されたことは、とてもすばらしい。心が熱くなる。

村木さんのこの考え方を行政や国がバックアップする方法はないものだろうか。

個人の善意に頼るだけでは、限界がある。

村木精神は永遠に引きついて行けることを心から願うものである。

僕はこういうことを四天王寺の瀧藤管長猊下から教わった。猊下はすべての生物の命が共生だと言われた。

共生は普通は共に生きると考えるが、命はすべてつながっている。

それはすべての生き物に通じることだ、といわれた。

僕は共生はせいぜい人間の範囲でしか考える事が出来ない。すべての生物の命までは共生の

範囲を広げることは出来ない。ちっぽけな人間だ。自分のことをそう思う。

又いじめ自殺者が、、

2019年03月20日 | Weblog
自殺した少女の SOS を受け止めないで、逆に叱る教員もいたそうな 。

なべて教員 学校 教育委員などすべての段階に働くのは、責任からいかに口実をつけて

逃れるかという人間の本能である。

悪い結果を招いたとしても、責任から逃れたいというダイナミズムが働く限り

教育現場や教育委員会や文科省の役人など皆同じ穴の狢である。

究極は命を救うためにどう取り組んでいくかではない。口先だけで、そんな力は働かない。

ではどういう対策が必要か考えると、加害者を押さえつけるのが即効があると思うが、

いかがだろう。これも一つの方法だ。

やはり警察からの警告が効くのではないか。警察という強制力が働かない限り永遠に

この問題は解決しない。加賀者を罰することを徹底的にやったらよい。

いじめをすると、どういう結果を招くのか、加害者に思い知らせることである。

いじめは精神的暴力や肉体的暴力であり、立派な犯罪である。

子供だから言って容赦はしない。人をいじめたらどういう結果を招くか教えてやるがよい。

これは立派な教育だ。

第三者委員会の設置は屋上屋 となっている。 愚かな行為だ。

この国では誰も、大局的立場に立って命の尊さを考えようとはしない。

だから重大な結果が起こってから、調査調査と声を張り上げている。

すべては後の祭りである。この構図は滑稽ですらある。

この現状を虚しいと思わないか。解決とは程遠いとは思わないか。