日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

生きよう今日も喜んで

2019年03月25日 | Weblog
c・・(平澤 興恩師)

宮司の尊敬する平澤興恩師の語録『生きよう今日も喜んで』この本は、手放せない座右の書です。

腹中に書あり」・・・・のその一冊は『生きよう今日も喜んで』です。、

○朝には、希望と張り合いをもって仕事をはじめ、夕には、その日の仕事を終わり、感謝を

もって、緊張をときほぐし、静かに喜びながら、万物を拝む気持ちになることです。

○今が楽しい。今がありがたい。今が喜びである。それが習慣となり、

天性となるような生き方こそ最高です。

○仕事は祈りであるということは、自らの最善を尽くして、それ以上は神に祈るということである。

この気持に徹すれば、いつも楽しく仕事が出来、たとえ仕事の上に、一時的にいろいろの波

があっても、大局的には必ず仕事は順調に進み、しまいには楽しさのなかで、

仕事が仕事を導いてくれるようになる。

○欠点をなおせというよりも、長所をのばしなさい。長所といえども癖である。

この方の癖をのばせば、悪い癖もその大きさの中にかくれてしまう。

大木も小さい時は曲がっていても、大木になればまっすぐになるようなものである。

そしてかくれた癖は時に応じてその人の味わいとなり花となって、その人に芸術味を与えることになる。

○感謝するということは、人間が楽しく生きて、周囲を明るくし喜びを与える最高の姿である。
○感謝ということは、よく見てよく考えて、他の人が見落とすようなところでも、

見落とさずに見る。そうすると、平凡なことも平凡でないことがわかる、

そこでありがたい、ありがたいことだなあと心から思うようになる。

○人間に生まれたことを本当に感謝し、その幸せを喜び、まあ、へまばかりやって来たが、

しかし私は私なりに一生懸命生きて来た、更に、自分もご苦労であったが、他人様のご苦労

もよくわかる、こういう風に思うようになると、この自分を拝み、他人様を拝むことが出来るようになる。

○顔は自分の顔であって、自分の顔ではない。人々から見る顔でもある。

全体としていつでも明るい顔は、心に明るさをもっているからである。

明るい顔は、明るい心。明るい心は、やすらぎの心、感謝の心である。

それは人を明るくし、自分の健康を保つためにも一番大事なことである。

習慣的に、明るさを身につけることである。常に明るくあるためには長い修練が必要である。

致知書房出版の本ですね。私も座右の書として暇を見ては味わいながら、

かみしめながら先生の教えを受けています。

僕は以前から高名な先生を知っていました。大学が違うから直接の教えを受けたわけではないのですが、

先生からは人間の基本的な部分でいろいろなことを、この本によって学びました。

活字の大きな短い文章の寄せ集め、平沢語録といった方が良いのかもしれません。

一度読んでみてください。きっと何かを示唆されていることに気がつくでしょう。

僕が出会ったとき、大腸がんで手術を受け便器を体にくくりつけて生活をしておられるときでした。
病苦のかけらも見えない笑顔をしておられました。

解剖学では世界的な権威だとも聞いていたが、気安く誰にでも話しかけ、

胸にじーんとくる言葉を何回か、いただきました。すばらしい出会いでした。



聴覚を失った中で曲を紡ぐ

2019年03月25日 | Weblog
聴覚を失った中で音を紡ぐ。

ベートーベンが晩年、聴力を失った事は、広く知られていることだ。

作曲は聴力と重大な関係があり、聴力を失う事は即作曲を不可能にすると常識では考えられている。

しかし僕は自分が作曲することについて考えてみると、元はイメージであり、音は関係ない。

言葉から来るイメージや、もっと広い範囲からやってきて、心をふるわせるものが音群となってメロディーを構成する。


僕が作曲する場合、極度に精神を集中させ、イメージに沿った音群を絞り出し、それを楽譜に書き留め、楽器を使って音を確かめ、

不自然だと思う所を、編集して曲を完成させる。

この延長線上で聴力を失った作曲家、を考えてみると、心の琴線によるオーケストラか、それとも実音を伴うオーケストラかの

違いはあっても曲は存在しうる。

そうはいっても、管弦楽法や和声学や対位法などなど諸々の技法が身に付いていないと交響曲は書けない。

聴力のレベル低下は編曲をする際には、大きな障害要因だ。天才はそれを乗り越えてオーケストラ曲を書いた。

「ベートーベンの生涯」を読むと、聴覚のレベル低下を乗り越えて、作曲をする姿が読み取れる。

そこにあるのは、才能とそれを駆使して継続的努力をする神々しいまでの精神力である。