日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

黒田如水

2019年03月22日 | Weblog
黒田如水

黒田までは出た。次の名前が出てこない。だが如水は出てきた。何故官兵衛が出てこなかったのか。

彼の辞世の句が良い。

「思いおく 言の葉なくて ついに行く 道に迷わじ なるにまかせて」

天下人に列する能力の持ち主だから、当然の句だろうが、

人生の晩年にこのような句が詠める人はすばらしい。歴史上何人いただろうか。

道に迷わじ、なるに任せて。というのが特にいい。クリスチャンの彼は神を信仰したから

こう言う心境になったのであろうか。それとも日々の営みの中で思いが積み重なって

結果としてこう言う心境になり、それを言葉に出したのだろうか。感服のほかはない。

単身北条の小田原城に乗り込み、見事に北条を説得したのはただ者ではない。

秀吉も恐れたという。徳川家康もそうだ。40代の若さで九州に引き上げたのも

見事な事であるに違いないが、彼の生活信条は一瞬一瞬を大切に生き抜く事だったんだろう。

ただただ感服だけである。真似しようにも出来る真似ではない。あこがれるだけだ。

是川銀蔵氏の話5-55

2019年03月22日 | Weblog
是川銀蔵氏の話

直接聞いた話だから、嘘や作り話ではない。

株の神様といわれた是川銀蔵氏から壷阪寺に、当時の金で1億円を現金で渡し、

それを風呂敷包みに包んで壺阪寺に持って帰ったという話である。

僕はその現金を運んだ本人から直接聞いた。

是川銀三氏はこう言ったという。

僕は金儲けは出来る。だが儲けた金を生かして使う能力は無い。つまり金を生かしてよう使わない。

僕よりよりもっと金を上手に使う、お宅の先生にこの金を使って社会に役立ててもらいたい。

直訳すると、僕は株で金儲けは出来るが、使い道を知らないから、

社会のために金をうまく使う人に渡して、有効にに使って欲しいということだ。

1億円を託され常盤先生がどのように活用されたかわからないが、

多分インドハンセン氏病救済につかわれたと思う。当時常盤先生の目標は

インドのハンセン氏病患者1000万人を救うという目標を立てておられた。

是川銀蔵氏の常盤先生への信頼はその後も続いた。

両者とも、ずば抜けた実力を持ち、役割分担をされたことがすばらしい。

両氏の基本的な考え方は 、お金は個人のものではなくて社会のため、困った人のために

役立つように使うものだという信念である。


もう二人とも他界されたが、私には忘れられない人である。

常盤先生は日本の社会福祉の原点を作った人。

片や是川銀三氏は株の神様と言われた人。二人のお力でどれだけ多くの人が救われたか。

何の力も無い僕はただ両氏を崇めるのみである。