トッペイのみんなちがってみんないい

透析しながら考えた事、感じた事。内部障害者として、色々な障害者,マイノリティの人とお互いに情報発信したい。

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日記風に 「我が窮状」は今日聴けそう

2008-09-17 18:25:24 | 透析
 最近気になるのは、足のしびれ。透析をしていると色々合併症が出てくる。閉塞性動脈硬化症になるリスクは透析患者の場合は高くなる。今、服用している薬の副作用も考えられる。週3回の透析時には、医師の回診がある。その時に、透析患者には、不定愁訴まで話す患者もいるが、案外、医師に変調を伝えない場合も多い。病人の心理で、悪い結果が出るのが嫌で、結構我慢してしまうのだ。おいらも、まだ、しびれの事は言っていない。様子を見てからと思っているのだが、本当は何でも早く相談するのが良いことは分かっている。足の血管の脈動を調べてみる。自然に良くならないかな。

 今日は、沢田研二の「我が窮状」をテレビで、初めて聴けそうだ。NHK総合の午後11時からの「SONGS 沢田研二 Part1」でだ。録画しておこう。ジュリーの平和への関心は昔から強かったという。ある時にバンド仲間が、戦争を人の喧嘩に例えて、「攻められたら守るだろう」と言った。ジュリーは、一対一の喧嘩と国家間の戦争とは違うと思い至った時に「少しプチっとはじけた」そうだ。
 「麗しの国 日本に生れ 誇りも感じているが 忌わしい時代に遡るのは賢明ではない」「この窮状救うために 声なき声よ集え」

 12日放映の、きらりと生きるの録画を見る。岐阜市に住む川島さん親子。二人とも同じ障害にある。シャルコ(ー)・マリー・トゥース病。運動神経が正常に働かなくなる病気で、筋肉が衰えたり骨に変形が生じる。進行性の病気だが、進行の速さは個人差がある。遺伝子の変異によって起る病気だが、必ずしも遺伝するとは限らない。
 母親の久枝さん(46)は、物心ついた時から歩けなかった。「私は口で生きてきた」とい言う。喧嘩も口で出来ます。息子の生君(15)は、握力が無く、立っても静止することはできない。自分の希望の普通高校へ、母親の意思に反して通っている。母親も、免許を取った時は、親の反対にあったという。お互いによく話をする親子の性格は似ている。地域で自立して暮らせる社会になることを希望している。出来ないことは、気軽に健常者に言葉をかけられる社会を。でも、久枝さんも、一人で飲食店に行く時は、うどんなどの汁物は頼めないという。こぼすことを避けるためだ。焼きソバなどの注文になってしまうと言う。本当は、気軽に声をかければ良いのだが、やはり雰囲気で声をかけにくい所があるという。バリアフリーの社会はまだまだだ。生君は成績も優秀で、将来は分子生物学の研究者を目指している。
 

NHKスペシャル「日本軍と阿片」②

2008-09-17 02:18:42 | 戦争と平和
 昭和7年、「五族協和」「王道楽土」の偽りのスローガンの下、日本の傀儡国家「満州国」が建国された。満州国の防衛を担当していたのが日本の関東軍だった。関東軍は、傀儡国家の建設に深く関わった。奉天の阿片工場では、年間30トンのアヘンが製造され、アヘンからヘロイン・コカインも生成されていた。取材班は、アヘン売買に携わった関東軍元特務機関員から次のような証言を得た。「資金作りのためには麻薬を売る暴力団のようなことをしていた。暴力団が資金源にするのと一緒ですよ」。満州国には、アヘン中毒者救済の名目で、政府指定のアヘン窟が各地につくられた。実体は、アヘン中毒者でなくてもアヘンが自由に吸引出来る場所であった。そこで売られたアヘンの代金は政府が吸い上げていた、結局は、阿片患者を増やすだけだった。昭和12年の満州国の資料では、阿片・麻薬中毒者の数は110万人に上った。
 戦前、中国に進出した大倉財閥の資料が見つかった。その中に系列会社の大蒙公司の内部文書が存在した。関東軍の命令により阿片取引に関与し、軍事物資の調達を行っていた。当時、関東軍参謀副長の板垣征四郎の指示書も残っていた。彼と、部下の関東軍参謀の田中隆吉は軍中央の方針に反した行動を行おうとしていた。内蒙古に傀儡政府をつくることだ。その工作活動にもアヘンを使った。そのために、チャハル省でケシ栽培を農民に行わせた。
 昭和12年、日中戦争が勃発した。関東軍は軍中央の意向を無視して、戦線を拡大した。ここに、当時第五師団長だった板垣征四郎と関東軍参謀長だった東條英機が登場する。3つの傀儡政権を作ったが、当時の極秘文書に東條が、アヘンを傀儡政権の財源として、敵に奪われないようにとの指示を出している。
 こうしたアヘン政策は、日本の世界からの孤立を決定づけた。日本は、昭和8年に満州国不承認から国連を脱退していたが、完全なる孤立を避けるために、外交上、国連の各委員会とは協力関係は続けていた。19世紀以降、イギリスなどの欧米列強は、中国やアジアの国々に阿片を流通させて、植民地経営を行った。その後、阿片の国際的規制が強化されるが、日本は阿片に関わり続けた。しかし、国際連盟アヘン諮問委員会で、日本代表は虚偽の発言をして阿片政策を否定するが、世界の糾弾を受け、これ以後完全に孤立してしまう。昭和13年6月。今回の放送で外交面に与えた影響も浮き彫りにされた。アヘン政策は国際的孤立の要因にもなっていたのである。
 日本は膨大な中国で8年にわたる侵略戦争を続ける。やがて板垣、東條は軍中央に進出。軍中央でもアヘン政策がとられるようになった。昭和13年度の国家財政に締める軍事費の割合は76.8%に上った。ますます、日本軍はアヘンに依存するようになった。阿片マネーで兵器の調達も行われた。軍中央が関与した阿片の量は約3万3千kg。33トン。現在の末端価格にして110億円に上る。日本の中国侵略が、アヘンによって支えら得ていたという戦争の実相。麻薬生産量は世界一だった。旧日本陸軍の中枢部と末端まで、阿片マネーが浸透していた。昭和17年8月、日本の専横指導者が一堂に会した「支那阿片受給会議」では「大東亜共栄圏のカギは阿片政策」とアヘン増産が決められた。

 日本の国家的犯罪の「阿片政策」に関しては、戦後、関わった軍人たちを沈黙を続けた。今回の放送は、スクープといえるものであった。こうした日本軍が取った非人道的な事実に対しては、先の戦争を自衛戦争とか大義ある戦争、聖戦と捉える人たちは、無視するのだろう。