トッペイのみんなちがってみんないい

透析しながら考えた事、感じた事。内部障害者として、色々な障害者,マイノリティの人とお互いに情報発信したい。

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ETV特集「手の言葉で生きる」を観て

2008-09-24 02:59:04 | 手話
 ろう学校では、最近まで手話を使うことを禁止していた。ろう教育は、相手の口の形を読み取り、声を出すために発音の訓練をする口話法に専ら依っていた。ろう者には、日本手話というろう者にとっての母語があった。ろう者の間に自然発生し、時間をかけて形成されてきた独自の言語である。日本語の文法とは異なる言語体系を持っている。しかし、手話が教育現場で使われることはなく、ろう学校では、先輩から後輩へと、非公認の状況下で伝えられていった。
 聞こえ方が様々な生徒達に対して、一律に口話法の教育をすることは無理もあり、ろう学校では口話法に多くの時間を割くために、勉強の授業が遅れることも普通であった。最近では、国際的にも少数言語の認容と共に、手話も独自の言語であることが認められ、国連の障害者の権利条約にも記載されている。ろう文化の担い手であるろう者の運動も背景に、ろう学校でも授業に手話が取り入れられる様になった。しかし、使われている手話は、日本語対応手話が多い。日本語(の語順)に対応させた手話である。中途失聴者には使いやすい手話だが、ろう者が母語として使っている「日本手話」とは全く違うものである。手話講習会で教えられている手話は、日本語対応手話である事が多く、ろう者とのコミュニケーションには実際は向いていない。
 番組では、神奈川県立平塚ろう学校の取り組みが紹介されていた。大正時代に創立してから80年の伝統を持つこの学校では、生徒の聞こえ方の違いや父母の希望で、教え方を分けている。日本語対応手話を使っているクラスもある。小学部1年生の国語を担当する加藤先生は、声を出さない日本手話による教育を行っている。加藤先生もろう者である。こうした取り組みはまだ全国的に珍しい。豊かに手話で表現する子供たちも、日本語を書くことは苦手である。手話には、「てにをは」といった助詞が存在しない。文章を書くことは大変なことである。加藤先生は、授業を工夫して進めていく。
 休み時間、子供たちの手話を使ったコミュニケーションは生き生きとしている。
 聞こえない子供の親の90%は聴者の親である。ろう学校は、同じ聞こえない子供と接することのできる、手話で交流できる貴重な場所である。また。加藤先生のようなろうの大人に接することは、自分の将来のモデルを見ることになる。以前、ろうの子供の中には、大人になる前に自分は死んでしまうと信じていた子供がいたという笑えないエピソードがある。自分の周りにろうの大人が誰一人いなかったからそう思ったのである。

 聞こえない子を持った親は、我が子に聞こえて欲しいという葛藤に苦しむ。番組に登場した大橋さんもそうであった。娘さんが聞こえないのではないかと思ったのが生後10か月の頃。1歳の時に診断が確定して頭が真っ白になったという。聞こえないことをなかなか受け入れられないことから、3歳の時に人工内耳の手術を受けた。頭に電極を埋め込むのである。番組では、人工内耳を付けた時の音声のシミュレーションが出てきたが、ひずみがあって明瞭には聞こえない。この音を言葉として理解するためには、粘り強い訓練が必要である。大橋さんの娘さんの場合は、訓練がうまくいかず、娘さんからは笑顔が消えるようになった。
 娘さんが、ろう学校の幼稚部の時に、手話を使う2人の子供が入ってきた。彼らの手話を使ってのコミュニケーションをみた親子は、その時を契機に手話を学んで使うことを決心する。
 人工内耳の点検で、医師のもとにゆく親子。医師は、人工内耳を使っていないことに驚いていた。医師としては、音声言語の習得に励んでもらいたかったのだ。手話を母語として使うという母親の発言に、医師としては同意しかねていた。言葉の習得の臨界期を過ぎてしまっていたのだから。医師の立場の違いが分かった。また、人工内耳の限界を認識できた。

 2年生になった加藤先生のクラス。子供たちの作文が紹介されていたが、助詞の使い方も含めて、文章力に大きな進歩が見えた。算数の文章題の理解も出来るようになっていた。
 まだ、手話による日本語の教育方法は確立されていない。加藤先生は、「人間関係をつくる」「考える力を育てる」「想像力を広げる」「概念を形成する」ためにもコミュニケーションが重要だと言っている。まず、子どもたちに手話によるコミュニケーションが出来るようになってから、日本語の使い方を習得して欲しい、手話には書き言葉がないから、日本語を使って記録を残す便利さを知ってほしい、日本語の楽しさを知ってほしい、先生の試行錯誤は続く。

 ろう学校でも、日本手話による教育が始まったことは喜ばしいことである。この動きが全国に広がればいい。しかし、今、自立支援教育の名の下にろう学校の統廃合や、寄宿舎の廃止といった問題も生じている。