トッペイのみんなちがってみんないい

透析しながら考えた事、感じた事。内部障害者として、色々な障害者,マイノリティの人とお互いに情報発信したい。

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最近のニュースから

2008-09-14 22:13:51 | 社会
 ① 精神障害者団体連合会主催の第10回全国大会開かれる

 埼玉県さいたま市で、12,13日の両日「わかちあおう、こころの叫びを」をスローガンに開かれました。開会式には、全国から900人余りが参加したそうです。講演や、テーマ別の分科会が行われたそうです。統合失調症やうつ病など、家族でもなかなか理解されにくい病気について、患者同士が交流を通じて情報交換や体験を語り合うことで(自殺願望や薬の副作用など)、病気の理解や、社会への働きかけがうまくいくことを望んでいます。
 最終日の今日は、障害者自立支援法の抜本的見直しをはじめ、精神障害者に対する政策の大転換を求める宣言が採択されたそうです。
 会が発展しますように。

②アフガニスタンで死亡した米兵は過去最高

 去年は、年間死亡者数は111人。11日のアメリカメディアの報道によると、
今年死亡した米兵は113人となった。アメリカがアフガンに侵攻したのは2001年。約3万3千人が駐留。

③来年の元旦は「うるう秒」

 午前8時59分59秒と午前9時0分0秒の間に「8時59分60秒」を追加。総務省と情報通信研究機構が発表。電子時計と天文時の誤差が0.9秒以上にならないように調整。世界標準時の午前零時(我が国は午前9時)に全世界で実施。

十五夜ですね。

2008-09-14 19:56:26 | 音楽
 今日は15夜,仲秋の名月です、窓の外には満月が見えています。でも、昔の人は旧暦でしたのでしょうね。
萬のことは、月見るにこそなぐさむものなれ。或人の、「月ばかり面白きものはあらじ」といひしに、又ひとり、「露こそあはれなれ」と爭ひしこそをかしけれ。折にふれば、何かはあはれならざらん。

渡辺美里 - ムーンライト ダンス



「たましろの郷」訪問②

2008-09-14 01:13:07 | 障害
 たましろの郷では、入所施設長の花田克彦氏のお話を聞くことができた。短い時間だったが、サークル員を前に、手話と口話法を使った話は印象深い有意義な内容だった。その中で、3つだけここに書いておくことにする。

 はじめは、「施設の解体」とノーマライゼーションについての話。何年か前から、行政から「施設の解体」という事が言われるようになった。身障者を施設から、地域の生活へと移行させる施策である。おいらは、当初は、この方針が実際に実行出来るか、また、施設の意味が完全に解消してしまうのか疑問であった。確かに、福祉の方向性としては、社会のノーマライゼイションの実現という面では正しいことである。しかし、何か、行政の対応に引っかかる所があった。※精神病院では、社会的入院の解消という厚労省の方針を受けて、一部の病院で取り組みが始まっているが、全国的な広がりは見られないようだ。

 県単位で、施設の解体が進められ、入所者が地域にあるグループホームでの生活を始めた所がある。障害者数名と、スタッフが共に一軒家で生活をする。テレビで紹介されていたケースでは、近所の人も支援活動として、家事を手伝ったりしていた。この場合は、地域の理解が一応あったようだ。

 花田氏も、身障者が地域で暮らすという方針には賛成である。しかし、現実には受け入れる市民の方に理解があるか疑問を持っている。結局は、いつも我慢を強いられるのは身障者の方で、市民には「心のバリアフリー」が見られないようだ。要は、自分たちの近所に重複障害者のグループホームが出来る計画が持ち上がった場合に、近所の市民はホームを歓迎して、身障者を共に生活を送ることができるかということだ。一般論としては賛成しても、自分に関係した場合には、彼らを受け入れられないのではないか。たましろの郷には、周囲の地域から仲間が入所ないし通所している。地元の青梅の仲間は2名だけで、八王子からは4名も利用している。この人数でいけば、八王子にグループホームを作ることができる。しかし、市民の側に果たして受け入れられるのか。花田氏は具体的に、地域で暮らすろうの夫婦のケースを話したが、ブログでは詳しくは書けない。あるマンションに知的障害者の女性が暮らしているが、エレベーターに彼女がいると住民は誰一人として一緒に乗ろうとしないという。彼女を気持ちの悪い存在のように避けているという。
 八王子駅の南口に、市の計画で高層ビルが建築中だ。一部の市民の反対も押し切って、高層住宅と、新たな市民会館が中に出来る。
 花田氏によれば、当該ビルの1階のスペース全部を、高齢者の居場所と、身障者の共同作業所にするくらいの行政側の施策が無いと、なかなか市民の意識の変化は望めないだろうと言う。都庁の下の階の広いフロアも身障者のための作業所にするくらいのことを、まず行政が行うこと。そうすれば、市民も身障者に接する機会も多くなり、意識改革も進むだろう。
 今の段階では、施設から地域に身障者を返す取り組みは、市民の意識改革と行政の取り組みから困難であるという結論だ。
(※施設自体、普通は街の中にあるべきなのに、大抵は、街から離れた所に立地されている。「たましろの郷」を表す手話は、段々の状態を手で表すが、これは当初建設が予定されていた場所の傾斜に由来する。ところが、地元の大きな反対に会い、今の場所に建設された。手話だけが、前の計画の時のまま残った訳だ。

 次に、施設の職員の仲間たちへの対応の話があった。施設内の壁には、48ヶ所位の穴が開いているそうだ。仲間がパニックを起こした時のものだ。ガラスも割られるという。パニックの状態になったのが女性の場合、男性職員4人でも抑えるのが大変だという。そうした時は、職員は、仲間がパニックを起こしたことに対して深く反省する。パニックを起こしている時の本人は自分が理解できない。仲間がパニックを起こす前に、何らかのサインが出されているはずなのだ。手話ではない、目の輝き、落ち着きのなさ等、普段から職員がなかまたちに寄り添って観ていれば分かったであろうサインを見逃したことへの後悔である。施設では、こうしたサインを読み取るように努力した結果、パニックが減少しているそうだ。まだ、他にも仲間に関する話があったが、今回は省略する。

 最後に、手話サークルに求められるものは、社会の人に、聞こえない人の存在を知らせることだ言われた。ろう者は、外見からは判断できない。そこから、すでにコミュニケーション障害が始まっている。聴者の周りには、ろう者が存在し得ること、不便な事が多いことなどを、社会に向かって発信するのも手話サークルの目的である。

 話された事の一部だがここに記しておく。