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パラリンピック開催日・「障害者とスポーツ」を読んで

2008-09-06 20:32:21 | 障害
 高橋 明「障害者とスポーツ」(岩波新書・2004年)

 今日、北京パラリンピックが開幕します。13回目の夏季大会です。北京オリンピックが第29回ですから、あれと思いました。昔から、オリンピックと同時開催されてきたと思っていました。この件に関しては、本書を読んで納得した次第です。今回の大会は、前回アテネ大会の136カ国・地域を上回る、145カ国・地域の参加になります。約4,000人の選手が20競技で熱戦を繰り広げます。日本からの参加は、選手162人・役員132人です。

 今回は、本書によって、パラリンピックの歴史や障害に対するリハビリテーションとしてのスポーツについて、多くを学ぶことができました。

 パラリンピックの生みの親は、イギリスの神経外科医のグットマン博士です。もともとドイツの出身なのですが、ユダヤ人故に、1939年にイギリスに亡命しています。当時のイギリスは、第2次世界大戦で多数の戦傷者が出ることを予見して、救急医療から社会復帰までを受け持つ一貫した専門病院を設立します。その中にストークマンデビル病院がありました。ここの国立脊髄損傷センターの所長にグットマン博士が就任します。ここから、身障者とスポーツの歴史が始まったといっても過言ではないようです。その頃の脊髄損傷者の救命率は2割でした。また、助かっても社会から孤立した引きこもりの生活を送っていました。博士は、看護師・理学療法士をも含んだ医療スタッフによる「包括的医療」を行い、受傷治療から社会復帰までに大きな成果を出すことができました。その要因の一つになったのが、医学的リハビリテーションにスポーツを取り入れとことです。スポーツには身体機能の回復訓練の他にも心理的効果も大きかったのです。障害者スポーツの指導者である著者によれば、障害の受容が出来ない、死すら考えた障害者がスポーツをすることで、身体機能ばかりか、生きる希望を回復させた例をたくさん見ているそうです。グットマン博士は「失った機能を数えるな、残った機能を最大限に生かせ」という言葉で、車椅子生活者を励ましました。

 当時は、脊髄損傷患者の多くが排尿困難による感染症で亡くなっていたそうです。スポーツにより、排尿・排便困難が改善されたことも、生存率の向上に役立ちました。こうしたことは、本書により初めて認識しました。

 パラリンピックの出発点は、グッドマン博士が1948年(国際大会としては1953年)からリハビリ―ションの成果を競う大会としてストークマンデビル病院で毎年開催していた「国際ストークマンデビル車椅子スポーツ大会」が発展したものです。最初は、アーチェリー大会。脊髄損傷者だけの大会でした。やがて、オリンピックに合わせて同じ開催地で開きたいという希望が出て、ローマ、東京と開催されていきました。パラリンピックの愛称が使われたのは、東京大会の時です。この大会の愛称は日本人が付けたと言われています。特定の誰だかは分からないそうですが。

 パラプレイジア(対麻痺者)とオリンピックを合成した言葉でした。しかし、その後は1984年のロスアンゼルスオリンピックまで、大会開催地がいつも一緒という訳ではなかったということです。パラリンピックという愛称も使われることがありませんでした。

愛称が復活したのは1988年のソウル大会でした。この時に公式名称としてIOCにも認めらました。しかし、東京大会から24年目になる大会には、対麻痺者以外に、目の不自由な人、手足を切断した人、機能障害の人、脳性麻痺者など色々な障害を持った人が参加するようになっていました。ですから、「パラリンピック」のパラは、パラレル(並行した、もう一つの、同時に、同じもの)という言葉から取られることになりました。1989年に、正式に国際パラリンピック委員会(IPC)が発足します。

 今年の北京パラリンピックから、オリンピック委員会がパラリンピックも運営するという組織の一本化がIOCとICPの間で2001年に交わされました。

 パラリンピックも本書によれば様々な問題点を抱えているようです。エリート主義化、ドーピング、スポンサーが付きにくい上にお金がかかる、クラス分けの問題等です。

 本書は、パラリンピックも言及していますが、本来は、リハビリテーションにスポーツが積極的に取り入れられることの有効性を述べたものです。スポーツ療法士といった専門職が確立されることの重要性も訴えています。是非、関心のある方は本書をお読みになって、ノーンマライゼーションの社会をつくる上での参考にして下さい。今日は、パラリンピックの開会式がありますね。パラリンピックを問わず、実際に障害者スポーツを観戦すること、あるいは、一緒にスポーツを楽しむことを著者が提唱しています。高齢者問題も、身障者問題に通じることが多くあります。

※国際大会には、ろう者の「デフリンピック」、知的障害者の「スペシャルオリンピック」等があります。
 

 

日記風に プラス 「しょうが祭り」②

2008-09-06 01:15:38 | 透析
今年のしょうが祭りの天気の方は大丈夫そうです。一応、小雨決行という事になっています。この日に、紙で出来た軍配うちわが縁起物として配られます。これは、江戸中期に活躍した八王子出身の名力士、八光山権五郎(はっこうさんごんごろう)に由来するものです。彼は、京都や大坂場所へ巡業する際に永福稲荷神社に必勝祈願をしたと伝えられています。そんな訳で、永福稲荷神社は、勝負の神様といても信仰されました。2007年12月には、境内に八光山権五郎像も建立されました。
 夜7時からは、奉納演芸大会が開催されます。野外寄席です。臨時に作られた舞台をパイプ椅子に座って楽しめます。プログラムは次の通りです。

☆司会・落語  鈴々舎馬るこ
☆江戸曲独楽  三増れ紋
☆落語     鈴々舎やえ馬
☆落語     二代 林家木久蔵 つい最近父親から木久蔵を襲名したばかりですね。

 ショウガは昔から風邪薬として扱われていました。また、食欲を増し、消化器に効果がありそうです。そんな訳で、夏の弱った胃腸の調子を整えるために食されたのかも知れません。透析が終わって、時間があったら、少しのぞいてみようと思っています。

 さて、夏になると、新潮文庫と角川文庫の販売促進のフェアがありますね。今年の全員プレゼントは新潮文庫はYonda?のエコバッグ、角川文庫は去年同様ブックカバーでした。今日、ようやく申し込みました。のんびりしていると締切が来てしまいます。おいらは、どうも直前にならないと実行しない性格なので、やっと申し込みました。
 今年はスヌーピーとエヴァンゲリオンのブックカバーにしました、

 5日付の朝日新聞夕刊に、全日本ろうあ連盟の創立60周年記念映画「ゆずり葉」の記事が載っていました。早瀬憲太郎さんの脚本・監督で制作されます。樋下さんの運転免許証裁判をめぐる運動や、早瀬さんの奥さんが、ろう者として初めて薬剤師の国家試験に合格した(それまでは、欠格条項の壁が存在していました)エピソードが描きこまれた作品になるそうです。まさしく連盟の運動を背景にした作品です。多くのろう者が制作に参加します。映画に関する公式サイトに、ブログ左のブックマーク欄にリンクさせておきましたので、時々訪問して進行具合やインフォメーションを確認してみてください。一般の映画館で上演されると良いですね。