トッペイのみんなちがってみんないい

透析しながら考えた事、感じた事。内部障害者として、色々な障害者,マイノリティの人とお互いに情報発信したい。

靖国が修学旅行のコースに!?

2008-07-23 19:24:49 | 歴史
 右傾化って何だろう。「国家」を個人」の上に置くことなのだろう。「国」ではなく「国家」原理が重んじられる。個人の権利を主張すれば、義務を強調してくる。既得権益論を主張することもある。日本という「国」を愛するのではなく、日本「国家」を愛する。「国家」が「国民」のために存在するのではなく、「国民」は「国家」のために存在する。自由民権家が主張した天賦人権説もありえぬ話だ。

 神社新報(6月2日付)で報じられたこと。
「占領下の昭和24年に出された国公立学校の靖国神社・護国神社訪問などを禁止する文部事務次官通達をめぐり、政府は5月23日『我が国が完全な主権を回復するに伴い覚書(神道指令)が効力を失ったことをもって、失効したものと考える』とする答弁書を閣議決定した」

 つまり、学校主催で靖国神社・護国神社を訪問しても良いということを認めた。政教分離原則と個人の思想信条の自由、信教の自由が現憲法下で、どれだけ守ることができるか。
 


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3 コメント

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私は (くんま)
2008-07-23 21:33:02
靖国の思想や展示品等々が正しいか否かは別として、ほんの少し前に現実にあったことを目にして考えるには行く事も無にはならないと思う
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個人として (トッペイ)
2008-07-23 22:17:33
 やはり、学校で行くのはまずいでしょう。
ただ、立場がどうであれ、個人として遊就館の展示を見て、自分で判断することは必要かもしれません。
 アメリカからの抗議に対してだけには、展示の見直しをしたことは理解できません。
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ありがとうございます (芙蓉峰)
2008-07-23 23:12:19
トッペイさん、右傾化のご説明、ありがとうございます。

社会契約論を思い出しました。
市民は契約の範囲内で国家に義務を負うということですね。

何もかも、義務、義務、義務。。。では息苦しくてやりきれませんませんからねぇ。

だが、権利、権利、権利。。。と、権利ばかり主張していると、人間、辛抱する心が育たず、最近の無差別殺傷事件のような犯罪者が増えて来るような気もするんですよね。

権利と義務もやはり文質彬彬のようなバランスが必要ということでしょうか。

坂口安吾が、何かの本で、戦前都電(市電?)に乗って靖国神社の前を通る時の不愉快な体験を書いていたのを読んだ記憶があります。

大学受験の際、友人に誘われ明治神宮に行った時でも、お賽銭を上げなかったぼくには、礼拝を強制されるなんておぞましい限りです。

とは言え、無事合格できたのですから、明治天皇と昭憲皇太后の両神様には感謝しなければなりませんが。

ぼくは大体が、思想とか哲学という頭だけで考えることは苦手、と言うよりも、思想家や哲学者の言に余り信を置いてないんですよね。

すみません、又だらだらと長話をしてしまいました。
どうか、これからもよろしくお願いします。
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