A Rider's Viewpoint

とあるライダーのものの見方

故郷とは何だろう・2

2013-08-16 21:01:19 | 所感
叔母が亡くなって2週間経つ。
僕はまた故郷に帰っていた。そもそもはこちらが本予定。母の新盆のため、旧盆に合わせて帰省したのだった。
帰省当日は、昼食を作り、墓参りと菩提寺への挨拶に行き、2日目は父の名代として、親戚の家を2件回って来た。
友人達とは都合が折り合わず、法事以外は特に何もすることはなかった。
退屈だった。
持ち込んだ文庫本は行きの新幹線を含め早々に3冊を読み終え、帰りの新幹線用の1冊を除くと他に読むものはない。
高校野球と新聞が暇つぶしの切り札だった。
今回、「一人暮らしは大変なんだ」と愚痴る父の対処に困った。
母や叔母が亡くなり自分の世話をしてくれる人がいなくなった大変さと寂しさを父は訴えるが、それに具体的な対策はない。僕は就職先のないこの町には戻れないし、戻る気もない。
父だって勝手気ままに暮らす生活や知り合いを捨てて都会に出てくる気もない。
つまりは具体的な解決策がない問題に対し、ただただ感情的な愚痴を聞かされるのは滅入る。理屈ではなく感情だから反論する気もない。事実を冷静に指摘したところで詮ないことだ。
だから僕は黙る。黙ってやり過ごそうとする。
しかし、一日に同じことを何度も繰り返す父が疎ましく思える。正直、嫌悪感すら覚える。どうしようもないことではあるのだが。

父が健康でいられる期間がどれだけ残っているのか解らない。いずれは病に倒れる時が来るのだろう。
そして、その先、父が亡くなる時がくれば、その「後片付け」に奔走しなければならないのだろう。
今でさえ、親戚や近所の人の名前と顔が一致しない。
高校卒業時からまともに関わっていない町で僕は一体何をすればいいのだろう。

故郷はいまや僕の心の中で、また違う意味を持つようになった。

それは感傷の中に存在する失われた過去。取り戻せない幸福だった時間。煩わしい未来の予感。自覚すると気になる心に刺さった棘。

だから僕は逃げるように自分の家へ帰って来た。自分で築いたことに多少の矜持を感じている自分の城へ。自分の世界へ。

新幹線が白河を越え、みちのくから関東圏に入る。ここで風景も季節も僕の心も切り替わる。
僕は、北上川に架かる橋のたもとに住んでいる父の息子から、遊園地の近くに住んでいる娘の父に、オートバイが好きな普通の会社員に戻る。

しかし、目を背けてきた「故郷」は、現実として存在する。
逃げ帰ってきた僕が現実に立ち向かうのに、あと何年の猶予が残されているのだろうか?