明日に十五夜を控えた今日の月。
満月になる前の月が良いか、満月を過ぎた月が良いか。多分意見は別れるのだろう。
その答えは意外と年齢によって異なるような気がする。
「完全」に向かう途上に想いを馳せるのが若者。
盛りを過ぎた月に「もののあわれ」を見いだすのが大人。
「まんまるがいい!」って言うのが子供。
勝手ながら僕にはそう思える。
仏教では、草木・山川・大地など心を持たないものを「非情」というらしい。
人間の感情や想いの外にあるもの、それはみな非情なのだ。
人間がどんな想いを寄せようと、「ただそこにあるだけ」の存在。月も桜もおんなじだ。
だからこそ思う。人はみな色々な想いを持って月をみる。願わくばその想いが邪悪なものでないのなら、全て叶えてやって欲しいと。
満月になる前の月が良いか、満月を過ぎた月が良いか。多分意見は別れるのだろう。
その答えは意外と年齢によって異なるような気がする。
「完全」に向かう途上に想いを馳せるのが若者。
盛りを過ぎた月に「もののあわれ」を見いだすのが大人。
「まんまるがいい!」って言うのが子供。
勝手ながら僕にはそう思える。
仏教では、草木・山川・大地など心を持たないものを「非情」というらしい。
人間の感情や想いの外にあるもの、それはみな非情なのだ。
人間がどんな想いを寄せようと、「ただそこにあるだけ」の存在。月も桜もおんなじだ。
だからこそ思う。人はみな色々な想いを持って月をみる。願わくばその想いが邪悪なものでないのなら、全て叶えてやって欲しいと。