A Rider's Viewpoint

とあるライダーのものの見方

2013年1月3日~6日・初夢をまだ見てない

2013-01-26 23:53:42 | つれづれ
初夢をまだ見てない。断片的に何か夢らしいものは見ているようなのだが、それが記憶できるほどの意味をなしていないため、夢と認識出来ていないのだ。だからあえて言う、僕は今年、まだ初夢は見ていない。

新幹線の中で目覚めた。東京から盛岡に向かう車中。
母親の容体が良くないと聞かされて、病院へ向かう途中だ。

なんか、今の方が夢の中にいるような気分だ。
醒めない悪夢の中、近未来に訪れるであろう出来事を怖れる心の晴れない霧。
トンネルの中、窓に映る自分の顔は、何かにおびえているように見える。

とにかく今は何もする事はできない。早く病院に行って状況を把握しなければ。
今できる最善の事を僕はするだけだ。



病院に着いたら、父が待っていた。微弱だった脈が点滴をしたら復活したとのこと。体は既にむくみがでており水分を受け付ける余裕がないのだが、点滴で改善するならと、利尿剤を入れた点滴をしてくれたとのこと。
しかし相変わらず病状に変わりはない。母の状況が「ファイナル・カウントダウン」であろうことは推測できる。

父と話し、容態を聞いて駆けつけてくれた伯母と話す。
僕自身は今日から数日、家族控室で寝泊まりすることになった。父と伯母を見送り、部屋に案内され寝具を受け取った後、最寄りのコンビニに夕食を買いに出かけた。
病院を出ると雪が降り積もっている。温度の低い、サラサラの雪が降り積もったキュッキュッという音が足下から聞こえる。歩道はそうでもないが車道は踏み固められた雪の表面が凍って氷のようになっている。交差点を渡るたびに滑らないように、転ばないように気をつけなければならない。
コンビニに付いて夕食と朝食、歯ブラシと石鹸とタオルを買う。
着のみ着のままで出かけてきたのだ、何の用意も出来ていなかった。
病院の家族控室に戻ると夕食を食べ、母親の病室に戻る。
消灯の時間まで子供の頃の思い出話をしていたのだが、母には聞こえていただろうか?



ソファーベットの背もたれを水平に倒し、枕と毛布を用意する。部屋のエアコンは30度に設定しているが暑いということはない。20:00時点での気温が氷点下6度8分。寒いというより凍えるような気温だ。
ベルトをゆるめ、ベッドに横になる。あえて靴下すら脱がずに仮眠の体制に入る。
ドアの曇りガラスから射し込む蛍光灯の灯りが意外と眩しい。そうか、ここは病院だ。深夜であろうが廊下の照明が消えることはない。

暑いとか、寒いとかはあまり感じない。ソファーベットの革の窪みが妙に気にかかる。
僕は寝られたのだろうか? 夢も見ず、浅い微睡みを何度か繰り返しているうちに朝がやってきた。
相変わらず、まだ夢は見ていない。



1月6日朝。昨日の夜は少しは暖かく寝られた。
追って容態を見に駆けつけた娘。一泊で様子を見に来た娘を盛岡駅まで見送りに行き、着替えと膝掛けを買ってスーパー銭湯に寄って来たからだ。

昨日は叔母に、祖母を介護して迎えた最後の瞬間の話を改めて教えて頂き、その内容に涙した。
祖母は献身的に介護してくれた叔母に向かって「あんたも疲れただろ? ちょっと休んでおいで。私も疲れたから、ちょっと寝るから」と言って叔母を休ませ、ひとりで眠るようにこときれたという。
奇しくもその日は、叔母が祖母の介護の日々を綴った「絵手紙」の展示会が催され、その展示会が無事終わった日であったということだ。
95歳で亡くなった祖母。母はまだ80歳にもなっていないというのに。

また、もうひとりの大叔母からは父と母が諍っていた頃の話を聞かされた。
プライドが高く、自分が間違っていることを認められない父。そんな父に困惑した母は、父方の親戚~姑であった祖母の親戚にまで、父の身勝手さを訴えていたというのだ。
父の性格を知っていた親戚は父のことを諌めるのではなく母に耐え忍ぶように諭し、事態が大事にならないよう、父の耳にその事が届くことのないよう、母の訴え自体を封印した。
父は母の訴えを感づいていたようではあるが、あえて気付かないようにしていたらしい。
しかし、その代わり、母が認知症になったことを殊更に周りに訴えた。『自分は何もしていない。全ては認知症になった母の繰り言だ』と自分を正当化するように。
しかし、人はそう愚かではない。普通は隠すであろう自分の妻の精神疾患を吹聴して歩く父は、それ故に「何か裏があるのだろう」と周囲の人の信頼を失った。

自分の父のそんな話を外から聞くのは快いことではない。しかし、僕自身も肉親としてではなく、ひとりの男として父が認められないことがある。
父は自分が不幸だと嘆く。何で自分だけがこんな目に遭うのかと泣く。
しかしそれは自分が招き寄せたことだ。自分の責任として人生を受け入れ、毅然としてそれに立ち向かう姿勢が感じられない。
「自分のことを憐れむヤツは最低だ」というセリフがあったのは『ノルウェイの森』だったろうか。
自己弁護に終始し、自分の大変さを声高に訴える父は、肉親というフィルターを通してさえ、いや肉親であるからこそ、余計に見苦しい。



今、伯母が見舞いに来てくれた。母親を呼び捨てにできる唯一無二の肉親。
凛とした声で「順番が違う」と優しく叱責する声を聞いただけで、思わず涙がこぼれるところだった。
伯母が帰った後、体を横たえに家族控室に戻る。

家族控室の中で簡単な昼食を摂る。コンビニのサンドイッチとチョコレートバー、それにペットボトル入りの玄米茶である。交互に口にするのでなければ、サンドイッチと玄米茶の組み合わせは悪くない。もっとも玄米茶は朝食のおにぎりに合わせて買ったのではあるが。サンドイッチと玄米茶の方が、おにぎりとミルクコーヒーの組み合わせよりはましに思えただけだ。
身体をソファーベットに横たえると引き込まれるように眠りがやってきた。病院泊も三泊四日目、身体の芯に疲れが蓄積されてきたようだ。
はっと気付くと時刻は12:58。あっという間に50分が経過していた。夢なんか見ている暇すらなかった。
続けて眠りに引き込まれそうになるのを押さえて荷物の片づけをする。明日は会社だ。今日中に自宅に戻らなくてはいけない。幸い16時台の新幹線の末席に予約が取れた。20時までには自宅に戻れるだろう。
明日は仕事始めで相当に忙しい。たぶん今日も倒れ込むように眠りにつくことになるのだろう。

そうか、僕が初夢をみられないのはたぶん自明のことなのかもしれない。
何故ならば、僕自身がいま、醒めない夢の中にいるようなものなのだから。

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