前日の酒盛りは日付が変わる頃まで続いた。友人は僕の実家に泊まり、翌朝出勤に備えて早めに起きて帰って行った。世間は普通の月曜日、休んでいるのは僕だけなのだ。
遅めの朝食をとり、親父と一緒に郵便局に行く。娘の(親父からすれば孫の)名義でかけていた保険が満期になるとのことで、その手続きに同行したのだ。その後、地元のせんべい店へ。この土地に南部せんべい店数々あれど、僕の町のせんべい店におよぶせんべいはない。客観的な評価ではもちろんない。僕の思い出にすりこまれた懐かしい味なのだ。
ここで自分用に、ごませんべい、豆せんべい、ごませんべい(醤油味)、の3種類を購入して自宅へ送る手続きをする。
午後、近くの「道の駅」へ。会社用のおみやげを購入し、その後祖父母の墓参りに行く。墓参りの帰りに隣町へ行き、親父のリクエストの「なんばんみそ」を購入して帰る。とれたてのキュウリにこのなんばんみそをつけて食べるのがうまいのだな。
翌8/21は、朝からツーリングにでかけた。R4を北上。途中の町で東北ツーリングマップを購入して青森県へ。すぐに進路を西に向け、にんにくの栽培で有名な町を越えて秋田県に。秋田県では環状列石~ストーンサークルが発見された遺跡があるのだ~を見学した跡で南下。秋田側から八幡平アスピーテラインを走破しようという試みだ。しかし、このあたりで降り出した雨が本降りになる。道端にオートバイを停め、レインウェアを着込み、シートバックにカバーをかける。雨はますます強くなり、シールドが曇り始める。八幡平の入り口を左折して峠に向かう。
しまった。この峠は標高が高いのだ。麓で雨が降っていたなら峠は濃霧の状態であることは容易に予想がついたはずなのだが。
濃霧で目の前10m先も見えない。コーナーをゆっくりゆっくり曲がりながら次第に高度が上がってゆく。ときおり霧の向こう側から対向車が現れ、横を通り過ぎ、すぐまた濃霧に消えてゆく。
僕はこのような見通しの利かない霧の中では平衡感覚が鈍くなることがある。オートバイに乗っているときに平衡感覚が鈍くなるというのは致命的に危険な状態に陥るということだ。要は、いつもは簡単に曲がれるコーナーが曲がれなくなり、対向車線やコーナーの外側に飛び出しそうになるのだ。この日、峠を通過するまで、合計5回ほどこの状態に陥った。それでも事故を起こしたり転倒したりすることなく、峠を通過することができた。
八幡平の頂上から少し降りたところに温泉があり、その温泉で休んでいこうと思ったのだが、緊張の連続でとてもそんな気は起こらない。ともかく早く麓に降りようと思っていた。
岩手側・楽しみにしていた樹海ラインも、濃霧の中で楽しむどころではない。しかし、すこし高度が下がったあたりで霧が晴れ、周囲が見渡せる程度には天候が回復してきた。
しかしながら樹海ラインは雨の後だ。コーナーに沢水や川砂が流れていないとは限らない。ゆっくりと安全にコーナーをクリアして麓に降りてきた。
樹海ラインの終点は、地熱発電所のある松川だ。この松川にある温泉で小一時間ほど露天風呂につかって休憩をして、実家に帰ったのであった。
翌8/22。実家から自宅に戻る朝。5:00に起きて6:00には出発をした。理由はふたつ。ひとつは午後早めの時間に自宅に戻り、ディーラーに印鑑証明書を二通届けなければいけないこと。もうひとつは、午後から雨が降り出すという天気予報であるということである。
6:00頃、実家を出発したときは降り出していなかった雨であるが、花巻IC~花巻南ICの付近で多少雨足が強くなってきた。途中の花巻PAでレインウェアに着替え、さらに東北道を南下する。水沢、一関、古川と南下するうちに雨の気配は遠のき、むっとした熱気が立ちこめてくるようになった。給油のため立ち寄った鶴巣PAでレインウェアを脱ぎ、再び南下を続ける。仙台~福島~郡山を越え、鏡石PAに11:00頃に立ち寄る。朝食が早かったからか空腹を感じ、天玉蕎麦を食べる。携帯電話に友人からの着信履歴が残っていたのでかけ直すと岩手は今土砂降りとのこと。途中ほとんど雨に遭わなかったことを告げ電話を切った。鏡石PAを過ぎるとじきに白河の関を越える、みちのく=東北地方ともお別れだ。「そして僕はまた都会の喧噪に戻ってゆくのだな」という寂しさを伴った感慨がある。僕にとっての「都会」は、ふるさとへの決別と自立への決意を意味する言葉だ。寂しいけれど乗り越えなければならない。そう考えていつも峠を越える。
那須高原を越え、宇都宮を過ぎる。往路で最初に休憩した大谷PAを通過した時点で時計を見る。後、おおよそ2時間から3時間の行程か。往路に比べ復路はペースが速い。往路に比べ約1時間近く早く自宅に到着するペースだ。
鹿沼、栃木と大学の友人宅の近くを通過する。彼は元気でいるだろうか、また9月に会えるだろうか、そう考えて高速を走り続ける。土地の名前に思い入れはない。その土地に住む友人がいればこその感傷だ。
二車線だった高速道は途中から三車線に変わる。それに伴い車の数も多くなってくる。関東平野は今日も暑い。オートバイのメーターについているボタンを操作して外気温モードにすると、温度計は40度を表示した。いくらアスファルトからの照り返しや、周りの車からクーラーの廃熱を浴びせられるとはいえ、あまりといえばあまりの温度である。人間の集中力の方が枯渇して事故になりそうだ。給油サインが表示されたのをいいことに佐野SAで一休み。オートバイにはガソリンを、人間にはソフトクリームを与えることとする。
12:00過ぎ、東北道川口料金所から首都高に入る。この料金所から混雑。首都高を降りるまでほとんどをすり抜けで通過する。
平日の首都高。混雑と熱気。事故を起こさないよう集中して車間をすり抜ける。ここを一気に通過しないと、途中、暑さで倒れてしまいそうだ。幸い何の事故もなく首都高を降り、橋を渡って13:00過ぎに自宅に戻り着く。総計7時間強の所要時間だった。
その後、印鑑証明を取ってディーラーに渡し、最終の入金額を確認した後、家に戻る。
さて、明日は銀行へ行ったり、夏休み後半のイベントの準備だ。
遅めの朝食をとり、親父と一緒に郵便局に行く。娘の(親父からすれば孫の)名義でかけていた保険が満期になるとのことで、その手続きに同行したのだ。その後、地元のせんべい店へ。この土地に南部せんべい店数々あれど、僕の町のせんべい店におよぶせんべいはない。客観的な評価ではもちろんない。僕の思い出にすりこまれた懐かしい味なのだ。
ここで自分用に、ごませんべい、豆せんべい、ごませんべい(醤油味)、の3種類を購入して自宅へ送る手続きをする。
午後、近くの「道の駅」へ。会社用のおみやげを購入し、その後祖父母の墓参りに行く。墓参りの帰りに隣町へ行き、親父のリクエストの「なんばんみそ」を購入して帰る。とれたてのキュウリにこのなんばんみそをつけて食べるのがうまいのだな。
翌8/21は、朝からツーリングにでかけた。R4を北上。途中の町で東北ツーリングマップを購入して青森県へ。すぐに進路を西に向け、にんにくの栽培で有名な町を越えて秋田県に。秋田県では環状列石~ストーンサークルが発見された遺跡があるのだ~を見学した跡で南下。秋田側から八幡平アスピーテラインを走破しようという試みだ。しかし、このあたりで降り出した雨が本降りになる。道端にオートバイを停め、レインウェアを着込み、シートバックにカバーをかける。雨はますます強くなり、シールドが曇り始める。八幡平の入り口を左折して峠に向かう。
しまった。この峠は標高が高いのだ。麓で雨が降っていたなら峠は濃霧の状態であることは容易に予想がついたはずなのだが。
濃霧で目の前10m先も見えない。コーナーをゆっくりゆっくり曲がりながら次第に高度が上がってゆく。ときおり霧の向こう側から対向車が現れ、横を通り過ぎ、すぐまた濃霧に消えてゆく。
僕はこのような見通しの利かない霧の中では平衡感覚が鈍くなることがある。オートバイに乗っているときに平衡感覚が鈍くなるというのは致命的に危険な状態に陥るということだ。要は、いつもは簡単に曲がれるコーナーが曲がれなくなり、対向車線やコーナーの外側に飛び出しそうになるのだ。この日、峠を通過するまで、合計5回ほどこの状態に陥った。それでも事故を起こしたり転倒したりすることなく、峠を通過することができた。
八幡平の頂上から少し降りたところに温泉があり、その温泉で休んでいこうと思ったのだが、緊張の連続でとてもそんな気は起こらない。ともかく早く麓に降りようと思っていた。
岩手側・楽しみにしていた樹海ラインも、濃霧の中で楽しむどころではない。しかし、すこし高度が下がったあたりで霧が晴れ、周囲が見渡せる程度には天候が回復してきた。
しかしながら樹海ラインは雨の後だ。コーナーに沢水や川砂が流れていないとは限らない。ゆっくりと安全にコーナーをクリアして麓に降りてきた。
樹海ラインの終点は、地熱発電所のある松川だ。この松川にある温泉で小一時間ほど露天風呂につかって休憩をして、実家に帰ったのであった。
翌8/22。実家から自宅に戻る朝。5:00に起きて6:00には出発をした。理由はふたつ。ひとつは午後早めの時間に自宅に戻り、ディーラーに印鑑証明書を二通届けなければいけないこと。もうひとつは、午後から雨が降り出すという天気予報であるということである。
6:00頃、実家を出発したときは降り出していなかった雨であるが、花巻IC~花巻南ICの付近で多少雨足が強くなってきた。途中の花巻PAでレインウェアに着替え、さらに東北道を南下する。水沢、一関、古川と南下するうちに雨の気配は遠のき、むっとした熱気が立ちこめてくるようになった。給油のため立ち寄った鶴巣PAでレインウェアを脱ぎ、再び南下を続ける。仙台~福島~郡山を越え、鏡石PAに11:00頃に立ち寄る。朝食が早かったからか空腹を感じ、天玉蕎麦を食べる。携帯電話に友人からの着信履歴が残っていたのでかけ直すと岩手は今土砂降りとのこと。途中ほとんど雨に遭わなかったことを告げ電話を切った。鏡石PAを過ぎるとじきに白河の関を越える、みちのく=東北地方ともお別れだ。「そして僕はまた都会の喧噪に戻ってゆくのだな」という寂しさを伴った感慨がある。僕にとっての「都会」は、ふるさとへの決別と自立への決意を意味する言葉だ。寂しいけれど乗り越えなければならない。そう考えていつも峠を越える。
那須高原を越え、宇都宮を過ぎる。往路で最初に休憩した大谷PAを通過した時点で時計を見る。後、おおよそ2時間から3時間の行程か。往路に比べ復路はペースが速い。往路に比べ約1時間近く早く自宅に到着するペースだ。
鹿沼、栃木と大学の友人宅の近くを通過する。彼は元気でいるだろうか、また9月に会えるだろうか、そう考えて高速を走り続ける。土地の名前に思い入れはない。その土地に住む友人がいればこその感傷だ。
二車線だった高速道は途中から三車線に変わる。それに伴い車の数も多くなってくる。関東平野は今日も暑い。オートバイのメーターについているボタンを操作して外気温モードにすると、温度計は40度を表示した。いくらアスファルトからの照り返しや、周りの車からクーラーの廃熱を浴びせられるとはいえ、あまりといえばあまりの温度である。人間の集中力の方が枯渇して事故になりそうだ。給油サインが表示されたのをいいことに佐野SAで一休み。オートバイにはガソリンを、人間にはソフトクリームを与えることとする。
12:00過ぎ、東北道川口料金所から首都高に入る。この料金所から混雑。首都高を降りるまでほとんどをすり抜けで通過する。
平日の首都高。混雑と熱気。事故を起こさないよう集中して車間をすり抜ける。ここを一気に通過しないと、途中、暑さで倒れてしまいそうだ。幸い何の事故もなく首都高を降り、橋を渡って13:00過ぎに自宅に戻り着く。総計7時間強の所要時間だった。
その後、印鑑証明を取ってディーラーに渡し、最終の入金額を確認した後、家に戻る。
さて、明日は銀行へ行ったり、夏休み後半のイベントの準備だ。