路隘庵日剰

中年や暮れ方近くの後方凡走

息吐いて云ふも空しき秋暑かな

2012年09月14日 | Weblog

 9月もなかばだってのになんなんだこの暑さは。
 もはや残暑なんてもんではないザンショ。完全に盛夏の続きである。

 地球がヤケクソになってるかんじだな。


                      


 井出孫六『杏花爛漫 〈小説佐久間象山〉』(1983 朝日新聞)
 先だって神保町で拾ってきたのを帰宅後眺めたらなんと下巻だったので、上巻を某所からパクッてきた。
 で、上巻は四年後発刊の文庫版。書名も『小説佐久間象山』と改められている。

 序章が「黒船出航」でペリー艦隊の出航からが克明に小説のテイで叙せられて、このままいくのかと思っていたら、第二章からは視点が動くというか〈わたし〉語りで作者が時々顔を出してきたり、時代が前後したりする。長い引用文が不意に出てきたりして時々読みづらい。このへんは例えば司馬遼太郎なんかの方がはるかにうまいな。

 最後、象山が暗殺されるのは、松代藩の反象山派の手によることを匂わせて終わっている。


                      


 とまあ、そういうことであるけれど、佐久間、といえば象山、で、これがゾウザンかショウザンか、というのはこれだけ知名な人物にして未だに定説なく、歴史家たちはせっせとゾウザン、ショウザン論争を繰り広げている、らしい。

 本書でも閑話として中途でそれに触れている。

 ザックリ云えば地元では専らゾウザンらしく、松代に象山(ゾウザン)という丘があり、最寄の駅は象山(ゾウザン)口で、象山(ゾウザン)神社、象山(ゾウザン)記念館とそろっている。なにより長野県歌(こいつが元凶だな)では「象山(ゾウザン)佐久間先生」と歌われている。大正二年の『象山全集』(信濃教育会)でも明確にゾウザンをとっている。
 なにより象山自身が自らの雅号の由来について「象山」に由来すると述べているから、そりゃオラガの象山だ、ゾウザンだということになるのだが。
 ただし、現在ゾウザンと呼ばれている「象山」が果たして江戸期にもそう呼ばれていたか、ということになると、サテ、ということになる。この地方で丘程度の低山を呼ぶときはたいがい「○○山(やま)」と呼ぶのが一般的だし、その山容が象を連想させるから象山だと地元の人間が云うそれにしても、はたして江戸期以前の田舎者が山をみてすぐに象を連想したかどうか、そもそも象なんか知らなかったのではないか。で、調べてみればこの山自体が本来「竹山(タケヤマ)」と呼ばれていたもので、むしろ佐久間象山が世間に知られるようになってから象山になったらしいことがわかったりする。

 で、まあメンドくさいので細かいところは飛ばしますけど、現在ではどうやら〈ショウザン〉ということ、らしい。
 松代近郊の某地区には象山に揮毫してもらった大幟が現存しており、当時の村人がそこに揮毫された漢文が読めずに、別に象山に直接書いてもらったらしい読みと解説が書かれた半紙が発見されたが、そこには作者名にも振り仮名があって、たしかに象山自身によって「ショウザン」と読みが振られているという。

 それでも地元ではいまだに「ゾウザン」ではないと納得できない人が多いらしい。
 以前NHKの大河ドラマで「花神」をやったときに、登場するのが佐久間ショウザンで、長野県議会ではバカな県議がわざわざ本会議で「象山がショウザンとはけしからん、県知事は敢然NHKに抗議すべし」とやったらしい。
 誰だかしらんが、長野あたりの選出の低能県議に違いなかろう。