goo blog サービス終了のお知らせ 

ビールを飲むぞ

酒の感想ばかり

「おろしや国酔夢譚」 井上靖

2020-06-02 23:10:51 | 読書
大黒屋光太夫の話。序章では様々な人物がロシアに流されたエピソードが語られる。この部分で既に興味をそそられる。
吉村昭の漂流と通じるところであるが、岩しかない無人島という状況に比べると、先住民がいる点ではマシだろうか?序章では先住民に殺害され、持ち物を奪われるという悲惨な先人たちが多かったが、光太夫達は、病死というのはあるにせよ、その点ではラッキーではないだろうか。
先住民と、ラッコやアシカの皮を獲って商売する。そのために現地駐在しているロシア人がいて、そのロシア人は3年周期で人員の入れ替えがある。
長い間待って交代要員の船がやってきた。故郷を思いさみしかったのだろう。半狂乱になって喜ぶロシア人。ところが海が荒れ船が座礁してしまい、大破する。先にいたロシア人は絶望する。後で来たロシア人は、自分たちはこれから残るのでさほど切迫感はない。
先にいたロシア人は大破した船のかけらを集めて、何とか船を再建しようと光大夫に提案する。作ってカムチャッカまで行ったらあとは陸続きなので何とかなるだろうという算段。
与惣松と、続けて勘太郎が病死する。股から足まで青黒く腫れ、齦はぐきが腐る病気。これは脚気か?この2人はアムチトカに残りたがった者たちだ。あれは虫が知らせたのではないかという藤蔵の言葉が悲しい。九右衛門と庄蔵はそんなことは言うなと咎める。
ヤクーツクまでの行程は過酷だった。移動するたびに、ここで留まった方が、移動中の過酷な寒さで死ぬよりマシではないかと思う。そんな選択が幾度も起こる。どうせ日本に帰れないなら、自分達の知らない新しい世界を見た方がいいと考えようとして先へ進もうと決意し続ける。行った先々で寒さと飢えの恐怖は常にあるが、野蛮人的な現地人に不条理に虐殺されるということはなかったようだ。実はこう言った光太夫の苦難が語られる横で、それまで過去には残虐な歴史があったということが並行して語られる。それだけに、今までは残酷で、光太夫は幸せだと読ませるのだ。
ヤクーツクから中枢のイルクーツクまではものすごい距離である。移動時期が真冬であり今までの体験から、死と隣り合わせの行程と想像される。そこで、知らないなりに万全の準備をする一行。巻頭にある地図で見ても確かに長い距離だ(それでも同じ治世範疇にある)。しかし、その道中は意外と穏やかだった。確かに今までの行程より緯度が高く、暖かそうである。それでも北海道より低い。しかし乾燥していて極寒というものではない。そうではあるが庄蔵は足に凍傷を作る。イルクーツクに着いたとき足を切断することになる。麻酔もない時代だろうから激しい痛みだったに違いない。
ラックスマンという人物。鉱物調査官。愛想はなく気難しそうだが、力があり、日本へ帰国させるため力になってくれそうな人物。
そこに出入りするシェリホフという人物も帰国に力になってくれ、力もありそう。
第4章。官に申請していた帰国の申請書の返事が帰ってきた。帰国は諦めイルクーツクのために働けと。兵隊か商人になれば生活全般の面倒を見る。しかし光太夫は帰国することの方を望む。するとその当て付けか、それまで月に300文あった支給を止められてしまった。それまで支給されていたことが驚き。生活に困ることを心配し絶望感にうちひしがれる光太夫。ラックスマンに相談するともう一度申請して待ってみよと言う。生活費は住民たちが寄付するだろう。学問に対する寄付は渋るが、困った人を助ける寄付は喜んでするだろう。そうすることで天国へいけると信じているから。帰ってみんなに相談する。最悪帰国は叶わずこの地で生涯を終えることになるかもしれない。すると以外にも小市は、日本語の教師でやっていけばいいと言う。そもそも日本に帰れるとは考えていなかったと言うことだ。望まれて招かれたわけでもない自分達のために、何の義理があって日本へ帰るための船の都合をつけてくれようか。という。力強い言葉だ。九右衛門以外はこのままロシアで生きてもいいと思っている。まあ、その決意があるなら、今申請した帰国希望の結果を聞いてからでもいいだろうと光太夫は判断する。その間寄付してくれた人の家々を回って大工仕事などし、重宝がられる。
同じ頃、庄蔵がロシア正教に帰依しフョードル・シトニコフと改名する。片足を失った庄蔵は日本へ帰ることは諦めた。4ヶ月ラックスマンは調査旅行に出ていたが帰ってきたとき、調査報告をするため都に上るがそれに光太夫も同行するように言う。皇帝と対面するのは困難だが自分がいれば容易だ。そこで懇願しようという。しかし、その頃九右衛門が病気になる。みるみる元気を失う。同じ時新蔵も病気になる。そして光大夫のペテルブルグへの出発の直前九右衛門が病死する。
第5章。ラックスマンについてペテルブルグに向かう光大夫。今までの行程よりはるかに長い距離である。寒さの厳しい時期であったが、特に事件もなく2か月もかけることなくたどり着く。途中、様々な街の描写がある。日本人からすれば珍しい建物や風景であった。ペテルブルグについたらラックスマンは自分の用事より、真っ先に光太夫たちの帰国の申請をしようと言う。それが幸いした。ラックスマンは間もなく病気になり、一時は生命の危険さえあった。回復はしたが、3か月ほど看病のため何もできなかった。そして、帰国の許可は一向に降りてこなかった。エカチェリーナ女帝はこの時期になると、ツァールスコエ・セロに移動してそこで過ごすという。そのためラックスマンは光太夫だけ先にツァールスコエ・セロに行くよう勧める。その前日光大夫に事件が起きる。夜の街を歩いていると、日本語で呼ぶ声がする。まさか日本人などいるわけはないと思っていたが、何と出発するとき大病を患っていた新蔵がそこにいる。聞くところによると、この病気は回復しないだろう。それで日本に帰ることをあきらめた。神に帰依したら回復するといわれ、その通りになった。帰依したら日本に帰れなくなるだろうが、自分は何としても帰りたい。そこで光太夫に相談しようと追いかけてきたのだった。しかし、その道中で、やはり日本に帰ることはやめて、ここで庄蔵とともに日本語を教えて暮らしていこうと思うようになったという。
この時期はロシアはトルコと戦争中であった。女帝エカチェリーナの寵臣ポチョムキンが外交問題に大きくかかわっており、ア・ア・ベズボロドゴという名前が出てくるが、彼は、ペテルブルグについたときラックスマンが提出した嘆願書の宛先人である。プロイセン、オーストリア、英国、ポーランド、デンマーク、スウェーデンなどか干渉しあっていたという。動乱の時期だったのだ。
第6章。エカチェリーナ2世に謁見する。ラックスマンは親切で、手取り足取り教え、フォローしてくれる。逆にベズボロドゴは不親切で、思い返すたび眠れないくらい打ちのめされる。エカチェリーナは光太夫の体験を細かく聞き、いたく同情する。そして帰国させて欲しい旨お願いするとうなずいてはくれる。しかしいつまでたっても帰れそうな気配は見えてこない。間にある事実が判明する。何度も嘆願書を出していたいたが、女帝はその事を全然知らなかった。どうやら途中で止められていたようだ。それを知った女帝はその官を1週間の朝参を認めなかった。
しばらく音沙汰はなく、ツァールスコエ・セロに留まり無為な時間を過ごしていたが、ある時帰国の許可が下りた。その信じられなさに光大夫は夢見心地だ。本当なのか騙されているのか戸惑う気分。それはもっともだ。その気持ちはわかる。それ以降光大夫は周りで起こっている事象や景色が夢のように感じる。これこそがタイトルの酔夢譚が意味するところだ。一般的にはエカチェリーナは冷酷であるが、そのエカチェリーナを感動させ、今回の措置に至るところや、ラックスマンが本当に光太夫に対して好意的で、幸せだったように思う。帰国が決まってからかかわってきた周囲の人は様々もてなしてくれる。毎日送別会、そして帰れると確定したからこそロシアの風景を楽しむことができ、まさにVIP待遇で帰国までの日々を楽しんでいるように見える。そんな中で気に病むのは、帰国できる光大夫と小市と磯吉だ。ロシア正教に帰依してロシア人となってしまった、新蔵と庄蔵は帰国することを許されなかった。その二人をどうするか?その葛藤がつらい。ただ、ロシアに残る二人は日本に帰ることを多少望んでいるが、潔くこの地で生涯を全うしようとさせた。帰りたい思いは多少あるが、ここでの生活に希望を見出し、帰国する三人に気を使ったのかはわからないが、あとくされの無いように別れを告げる。そのように井上靖は描いた。
この当時のロシアの人の人柄、そして風景、そして特に日本にはない、一年のうちほぼ雪である寒い国の風景へのあこがれを感じる。現在はロシアに対する見方はあまりポジティブなものはないが、ラックスマンといい、その家族、ツァールスコエ・セロでの下宿先のブーシュ。エカチェリーナ、腹心であるベズボロドゴ(はじめは冷酷と思っていたが、帰国が許されてから餞別をくれたりした。意外とやさしい)そのほかもろもろの人が光大夫に対して非常に好意的。そんなところに井上靖の思いが感じられる。
日本に帰ることが結論ではないのだ。日本に帰りついた時点で残り、4分の1から5分の1残っている。
日本に戻って(根室で)小市は病に伏す。どうやら壊血病だ。↑で脚気と自分が書いていたのは壊血病だった。吉村昭の漂流で出てきた病だ。
p353。小市は死ぬ。故郷ではなく、北海道の最果て。ここは、アムチトカと全く変わらない。アムチトカで死んだ仲間は一緒に葬られた。しかし小市は一人葬られた。どちらが幸せか?
将軍の前で質問された。なぜ日本に帰りたいと思ったか。母や妻子に会いたかったからと答えた。それがこの時代における日本人にはいい回答だと思ったからだ。しかし、本当のところは、母親は恐らく死んでいるだろうし、自分は養子であったため、妻は子供を連れて再婚したか新たに婿を迎えただろう。だから家族のことははじめから考えないようにしていた。多分ロシアで多くの珍しいものを見てきた。それを日本人に伝えてみたかったと言うのが本当の動機だったのだろうと考えた。ただ、鎖国中の日本ではそれを口にすることも憚られるのだった。
これが書かれた当時までの研究では、光太夫と磯吉は江戸で、死ぬまでほぼ軟禁状態であった。鎖国をしていた当時の日本では、光太夫が経験したことは奇特な事とされたが、世の中に知れては困るものだった。漂着した時こそ大変な苦労をしたが、異国であるロシアの方が手厚く扱われ、故郷である日本の方が冷たい扱いを受けたという、作者の解釈だ。昭和61年というごく近年になって新しい資料が発見され、実際はそこまで窮屈な生活を余儀なくされたわけでもなかったようだ。前に読んだ吉村昭「漂流」でも主人公が故郷の土佐に帰るとき、既に死んでいるだろうと思われた自分が現れると、却って地元の人から疎まれるのではないかと心配した。漂流したものにとってはその時も辛いが、帰ってからも辛い思いをする。遭難するのは望まないに関わらず運命だが、それによって死んでも生き残っても不幸になるというのは不条理だ。
 
20200516読み始め
20200602読了

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。