澁澤龍彦の唯一の長編。
高丘親王がきっかけではなく、澁澤龍彦の小説というのが読むきっかけだった。なので高丘親王と言う人物は架空の人物だと思っていた。そこで、高丘親王について調べてみると、平城天皇の息子であることがわかる。その側室に藤原薬子があり、平城上皇となった際に薬子の乱を起こす。その時天皇であった嵯峨天皇により、高丘親王は皇太子を廃せられる。それから仏門に入る。実はこの高丘親王の兄弟に阿保親王がいる。大阪の河内地区に詳しい人なら聞いたことがあると思うが、松原市に阿保神社と言うのがありその名の通り阿保親王にゆかりがある。ついでに言うと阿保親王の五子にかの有名な歌人、在原業平がいる。こう繋がってくると楽しくなってくるではないか。
どの話も不思議な幻想的な話だ。
「儒艮(じゅごん)」に始まる。船旅の途中で親王が退屈紛れに笛を吹くと海からジュゴンが現れる。これを動物好きの秋丸が船上で飼いたいという。いずれ片言ながら言葉を話すようになる。いずれ水から上がっての疲労からか死を迎えるが、その時に完全な言葉を話す。
その後大蟻食いが登場する。連れの円覚が突然怒り出す。何やら大蟻食いという生き物が発見されるのはずっと後年にコロンブスの時代だとのこと。アナクロニズムが登場し不思議な話だ。
次に「蘭房」カンボジアの不思議な後宮の話。ジャヤバルマン1世の80回目の誕生日を記念して後宮の一般開放を行うということなのだが、興味本意で入った親王ではあるが、衝撃の内部。しかも、これまたアナクロニズム。ジャヤバルマン1世とは200年前に生きた王という事で80回目の誕生日などあり得ない。
「獏園」獏と言えば夢を食べることで有名だが、いい夢を見ればそれを食べた獏がいい香りのする糞をし、悪い夢を見ると臭い糞をする。最近は臭い糞しか出さない。そこでいい夢しかみたことのない親王に白羽の矢がたつ。獏は望み通りいい糞をするようになったが、親王の方は夢を食べられたせいで朝起きても夢を見た感覚がない。いい夢を食べ栄養の行き渡った獏はその後、輿入れ前だというのに憂鬱病になった姫の治療のため、その肉を食べられる。最後の1匹になった獏と快復した姫の行動は、獏の食べた親王の夢を写し出しているに違いない。
「蜜人」のっけかから犬の頭を持った人が登場する。そしてアラビアの商人が登場し、蜜人を探してきてほしいと、不思議な空を飛ぶ船を貸し与えられる。蜜人とは、僧が最期を迎えるときに蜜だけを取り、断食を行う。そしてミイラ化した体は蜜でできている。その蜜を薬として売るらしい。それを探しつつ、師である空海との再会の話。
「鏡湖」ここではデジャヴュが印象的、鏡にまつわる不思議な話。湖に自分の姿を映して自分の姿を映して、それが映らなかったら1年以内に死ぬと言うエピソード。これはよく日本のどこかで聞く話だ。濡れてしまった大きな鳥の羽根を乾かす少女。これが蘭房に出てくる、頭は人間で下半身は鳥と言う話を想起する。また少女は卵から生まれたと言う。これは薬子がかつて夢見た話だ。少女は秋丸と瓜二つであったため春丸と名付けた。合わせ鏡に怯える王子。消えてしまった秋丸の話。
「真珠」立ち寄った島で大きい真珠の貰う。不吉だ、いやそうでないと安展と円覚がもめるが結局親王は受け取った。ここで先のジュゴンが再登場する。船が魔の海域を通過したとき幽霊船が現れる。その乗組員が不気味だ。実体はなく、ひゃらひゃらひゃらと気味の悪い笑い声で親王の真珠を奪おうとする。思わず真珠を飲み込んでしまう。そこから、親王は喉の違和感を感じるようになる。
「頻伽」スマトラ島に流された一行。そこでは仏教の影響を多いに受けた。つまり天竺に極めて近い国にたどり着いたと予想できる。まず驚いたのは巨大で肉厚な花弁を持つラフレシアという花に驚く。そして、「獏園」で登場した姫と再会する。この国へ王の妃として輿入れしたパタリヤ・パタタ姫という。ラフレシアは代々の王女をミイラにするために必要不可欠。しかも王女は子供を産んだら用済みとされラフレシアの上に座り体の水分を奪われミイラとなり、陵墓の中で永遠に生きるらしい。懐妊した、つまりミイラ化される日が決定したという姫と、先の章で湖面に姿が写らなかった、そして真珠を飲み込んで喉に違和感を覚え、何となく死期が近いのではないかと悟る親王は意気投合する。出来れば天竺にたどり着いてから、いやたどり着くと同時でもいい、それまでは生きていたいと願う親王に姫はある提案をする。その手段とは全く奇想天外ではあるが、考えてみれば釈尊も同様のことをなされたという。全く悲しい結末であるが、どことなく清らかであたたかな余韻を残す。
本当に不思議なエピソードに満ちた物語だ。ともすればグロテスクで暗い話になるのだが、高丘親王が仏教を極めた僧であることや、安展、円覚といった側近が現実を思い出させてくれること、澁澤龍彦のストーリーテリングによって、まさにフワフワした感覚で夢を見るように読むことができる。もっと読みたいが、長編小説はこれだけしかないのが残念だ。
20171007読み始め
20171009読了
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