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酒の感想ばかり

「城塞」 司馬遼太郎

2018-04-17 22:52:16 | 読書
  
 
上巻
淀殿は浅井長政の娘だ。秀吉との子に秀頼がいる。その秀頼に輿入れしてきたのが千姫である。千姫は家康の孫であるが、母は、家康の息子、秀忠の妻であるお江である。お江の父親は浅井長政である。つまり、淀殿とお江は姉妹である。従って秀頼と千姫は従姉妹ということになる。恥ずかしながら知らなかった。ついでに織田有楽斎は淀殿とお江の伯父だ。それはそうだ。
今、同じ司馬遼太郎の「翔ぶが如く」と、酒見賢一の「泣き虫弱虫諸葛孔明」と平行して読んでいる。「翔ぶが如く」と比べると、その明治という複雑さから、この「城塞」は分かりやすい。比べるのもどうかと思うが「・・諸葛孔明」もハチャメチャな文調であるため痛快ではあるが、「城塞」のほうが簡潔で美しい。
6章目の「有楽」を読んでいるが、既に家康や本多正純(正信ではなく息子の)の狡猾ぶりが発揮されている。有楽斎は「へうげもの」に登場する有楽斎のキャラに近い。
「関ヶ原」では福島正則と共に素行のよくない加藤清正と思っていたが、ここでは忠義に厚い人物のようだ。ただ秀頼に対してだけ。それも宗教的レベルとも言える。
家康から京に来るよう言わば命じられた秀頼であるが、それに危険を感じ取った清正、正則、幸長は、命に代えても秀頼を守ると家康の指示を無視して万全の体勢で臨む場面に胸がすく。
小幡勘兵衛が登場。この人物が本作の主人公だ。一応実在の人物。しかしWikipediaにも大して記述はない。ここでは兵法に長けたもので、無作法で粗野な人物として描かれる。これが徳川に雇われた、豊臣へのスパイなのだ。今のところ粗野な面しか発揮されず好きになれない。
「加賀」の章。豊臣の側室である宰相局が加賀に行く際に護衛として小幡が付くことになった。その流れから前田利家に始まる前田家の話が出てくる。「関ヶ原」にも触れられていたのだが、賤ヶ岳の戦いで、柴田勝家と豊臣秀吉という同僚の間にあって、持ち前の誠実さを活かして、どちらにも角がたたないよう乗り切ったところがすごい。「関ヶ原」では柴田勝家を裏切っていたと、さりげなく理解していたが、ここで深く納得することができた。
前田家に仕える本多政重。家老ではあるがその名の通り本多正信の二子であり、前田家が旧主豊臣の反徳川の旗振り役にならないように監視する役目で、そもそも前田家が自ら徳川に媚びるべく招いたということだ。そんな政重もまた狸だ。Wikipediaにはそこまで狸に書かれてはいない。これも司馬遼太郎らしさなのか、徳川一門をすべて狸に描くという徹底ぶり。この小幡勘兵衛もしかり、なのだが、豊臣方のお夏に興味を持つようになり、本多政重に嫌みをいいに行く場面で少し勘兵衛に対する見方が変わる。
ここでまた新たな曲者が登場する。崇伝という僧である。この僧は宗教家というより政治家、それも悪徳政治家だ(というのは司馬遼太郎の脚色かもしれないが)。ただこの僧がかの方広寺の鐘の事件の計画者だと言う。段々家康一派の狡猾な罠が仕掛けられ始めてきてゾワゾワする。
正直、読むのが辛い。と言うのは、面白くないというわけではなく、家康一派のあまりの悪辣さに「もうその辺にしてあげて」という気持ちからだ。歴史の結果は明らかなわけだが、何かスッキリする話に早くならないか期待する。
片桐且元は家が存続することが第一と、怪しい行動であるのに対し、大野修理は、徳川はただ戦をしたいのだろう。ならばこちらも戦の準備をするまでと爽やかだ。大河ドラマ「真田丸」では優柔不断なキャラクターであったのとは違う。
 
中巻
冒頭からいよいよ真田父子の登場である。真田昌幸は知略の将として描かれているし、家康に2回勝っている自負から今後の負けることはないと大きな自信に満ちている。しかしその勢いも病には勝てず、勝つ自信があるのに時がないという悔しさを募らせる。作戦はあるが、息子の幸村に授けたとしても、自分のようなネームバリューがないので成功は難しい成功は難しいという。単純に力の大小、戦略の精緻さで決まるものではなく、謀者の履歴で微妙に変わってくる。
秀頼から幸村のもとに城に入って助けよと誘いが来る。当然受けるわけだが、どうやって軟禁状態の九度山を監視役の浅野家に見つからず抜け出すか?ここは大河ドラマ「真田丸」で見た通り、法要と称して村人達と祝宴を開き、それに紛れて抜け出す。ただこそっと抜け出すわけでなく堂々と抜け出したようだ。ただ村人は何も言わず当然のように見逃した。
真田幸村はかっこよく書かれている。小幡勘兵衛はさすがに用心している。徳川方の間諜なので、大阪方を勝たせるわけにはいかないが、ここまで入り込むと大阪方にも愛着がわいてきており、悩ましい心境である。真田幸村を大将にするのはまずい、しかし最近頼りなげな大野治長はないなと、丁度いいのが明石全登か。と興味を持つ。しかし接してみるとキリスト教への信仰心が強すぎて、大将には向いていないと判断する。信者以外は付いて来ないだろうというのだ。続いて毛利勝永が登場する。色黒で坊主頭で海坊主のようだったと言う、「真田丸」では岡本健一が演じていたが、イメージが違いすぎる。元の苗字は森だったらしい、秀吉が毛利にした方が立派そうだと言うことで変えられたそうだ。したがって、中国の毛利家とは家系が異なる。次に後藤又兵衛が登場。それぞれしっかりした人物のようだ。真田丸では浪人衆と言うことで、荒くれ者のように描かれていたが。
家康は京から僅かの兵だけつれて、奈良に移動する。その動きを真田幸村は察知していた。手薄なこの機会に家康を撃ち取ってしまえば運を味方に付けることができるだろうと大野治長に進言するが、消極的な大野には受け入れられなかった。一番のチャンスを逃したか。
先鋒の藤堂高虎のさらに先鋒の渡辺了。堺を占拠した大坂側は新宮行朝。藤堂と渡辺は仲がよろしくない。新宮は全体の事は考えず自分の名前を売ることしか頭にない。そしてむしと新宮を囮にして、藤堂軍の側面を大勢で攻めれば勝機が訪れると進言する真田幸村に対して煮え切らない大野治長。全てがグダグダだ。結局囮にされるのを嫌った新宮は城に帰った。何か罠かもしれないと恐れた渡辺は何もできず見逃した。ここでも大坂方はひとつのチャンスを失った。
後藤又兵衛は木村重成を気に入っている。官僚の中では比較的まともだからだ。鴫野蒲生今福の戦いは冬の陣で大きなものだった。上杉景勝と佐竹義宣が大坂方の柵を攻略したが、木村重成、後藤又兵衛の活躍により形勢を逆転した。
真田幸村、後藤又兵衛の考えと、大野治長側の意見がことごとく食い違う。大野の考えと言っても淀殿の意見なのでいかんともしがたい。主は秀頼であるが、ほぼ飾り状態だ。そんな秀頼も後藤又兵衛には一目おいており、武断的な考えも芽生えてきている。あくまで戦おうという牢人達の考えに傾きかけているが、やはり淀殿の考えに押しきられてしまう。冬の陣は結局和睦という形で終わる。但し真田幸村のみが秘かに、今この機会に家康さえ討ち取れば形勢が変わると諦めなかった。但し、それを大野治長に相談したのがまずかった。その案も大野にはじかれる。
下巻
大野治長がピックアップされる章。何だかボロクソだ。楽観的を通りすぎて能天気。お幸せすぎる。家康から追い詰められているのも気づいていないのか楽観的に考えている。その上、他に誰も統率するものがいなくなっただけなのに、自分は才能があるから総大将に抜擢されたかのごとく勘違いしている。ような扱い。
下巻の序盤でいきなり小幡勘兵衛が遁走する。もともといけすかない奴だったが、いよいよ大坂での立場が危なくなってきた。ところが徳川側に戻っても大した処遇も与えられない。この辺りの顛末は小さい。虫けらのような扱いだ。読者としてはせいせいする。大した能力もないのに軍師ぶって偉そうにしている。蓋を開ければ、元の徳川方からは小さく扱われているし、スパイとして入り込んだ大坂側には怪しまれ立場がない。作者もそれを意図したのかなかなかうまい。
またこの序盤は強烈な狸ぶりを発揮する家康と、ある種無邪気な大坂方の女たちとのやり取りがクローズアップされる。なにも知らず必死に家康にすがり付こうとする大坂の女たちが憐れでならない。
「古入道」ここで上田宗古が登場する。
「池の端」面白いのは武士道に関して。武士道とは死ぬことと見つけたり、というように、武士とは戦で死ぬことに美学を見いだすものと思っていた。しかし、戦国最盛期には戦って死ぬより、仮に敵に捕まったときに、何とか生き残り、いつか仕返しをしてやろう、というのが本質だった。それこそが士と。負けたら、いや、負けるかもしれないが突撃しよう、それで死んでもいい、捕まったときには自ら死のう、という感覚は寧ろ平安期、江戸初期、特に江戸中期に生まれたものらしい。
後藤又兵衛は三千の兵だけを率いて、とくがわぐんの先方の水野勝成の兵に立ち向かった。真田達もそうだが、冬の陣と違いこの戦に勝ち目はない。いかに良く戦うか?だけが本懐だった。後藤又兵衛の最期は、腰と胸に銃弾を受け、自力で下馬し味方に首を落とさせ、その首を田に埋めさせた。
色々馴染みのある地名が出てくる。藤井寺、羽曳野、誉田、国分、葛城山、二上山、埴生野、大和川、石川、応神天皇陵
司馬遼太郎は真田幸村に特別な思いがあるのだろうか。かなり活躍するように描かれている。元々負け戦というのが承知で、そんな中から家康本人を討ち取って花を咲かせようとしていた。そのために綿密に作戦をたてていた。しかし、世の常で、完璧にたてている作戦なのに、初っぱなの行動で一切が狂い、後はなすがままとなり、なし崩しとなる。
はじめの作戦では、先方の毛利勝永が敵方をできる限り引き寄せ、敵陣が伸びきったところを襲う。それと平行して間隙を狙い明石全登隊が家康を狙うということだった。しかし、初っぱなに毛利隊の雇われ兵が我慢しきれず突っ込んでいったため作戦が台無しとなる。
そんな中毛利勝永自身はもう始めてしまった以上はやるしかないということで、敵に突っ込んでいく。それでも善戦し敵を突き崩していく。作戦が崩れてしまったことを悟った真田幸村もそれでも粘り善戦する。家康を何度も追い詰める。追い詰められた家康は何度も自殺を考えたほど。しかし、家康は逃げ仰せ、豊臣軍は撤退を余儀なくされた。真田はしんがりをつとめ、毛利には城にもどり秀頼のそばに戻るよう頼んだ。真田幸村はその時点で死を覚悟していた。そんな幸村の最期はさびしい。力尽きてたどり着いた所に、無名の敵兵に無言のまま首を切られる。しかもその本人はそれが真田幸村とは自陣に帰るまで気づかなかったという。
明石全登の最後も面白い。死んでいないから最期ではない。明石は、キリシタンで、この戦で勝った暁にはキリスト教の布教を秀をりに頼もうとしていただけで、豊臣に恩があってそれに殉じようという気は全くなかった。なので、家康本陣を襲うという目的が崩れ去った今、自殺を許さないキリスト教の教えと相まって、行方をくらませてしまった。戦死したかどうか不明なのだ。伝説によると九州に逃げたとか、そこからさらに海外へ流れたなど。
 
上巻
20171014読み始め
20171024読了
中巻
20180121読み始め
20180206読了
下巻
20180325読み始め
20180417読了

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