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「八本目の槍」今村翔吾

2022-05-30 23:40:02 | 読書
 
虎之助=加藤清正
甚内=脇坂安治
助右衛門=糟屋武則
市松=福島正則
権平=平野長泰
孫六=加藤嘉明
助作=片桐且元
 
佐吉=石田三成を中心に賤ヶ岳七本槍のメンバーとの交流を書く。
各章がそれぞれ七本槍の1人に対応していて、連作とも言える。
一本槍(第一章)は虎之助、つまり加藤清正との話。あまり読んだことはないが朝鮮出兵の話で興味深い。肥後に配置された清正。清正自身は文官の人間ではないかと思っている。それが肥後に配置されどちらかと言うと武官として任されたようだ。文官としてなら中央から遠く離されたと言うことで、出世コースからはずされたとも言える。その口添えをしたのが三成のようだ。やはり自分をおとしめるためかと疑う。しかし真実は、秀吉も三成も清正は武に優れ、文にも優れておりいろんな部署を経験させようと考えていたらしい。さらに三成は家康を早くから警戒しており、そのための布石を打っていた。その片腕として幼馴染みである清正に協力を求めていたわけだが、先をみすぎていた三成と食い違いが生じていたのだった。佐吉と虎之助の友情が感動的な話。司馬遼太郎「関ヶ原」で石田三成が好きになり、加藤清正が嫌いになる。しかし司馬遼太郎「城塞」で清正を少し見直す。この小説で清正も好きになった。因みに黒田長政は心の狭い、(官兵衛から見て)二世の田舎侍に思え、また小西行長は商売しか考えていない義のない男に思えるのだった。
二本槍は糟屋武則。小寺の家に仕えていたが、同じ家に仕えていた黒田官兵衛の推挙で豊臣に仕える。それまでに三成と出会っていて、槍が得意だが武士らしくないところをみこまれていた。戦のない時代になったときにそれが活きると。賤ヶ岳の戦に参戦する。そこで敵方の槍の名人宿屋七左衛門を倒すその最後に発した言葉がいつまでも助右衛門の心に残る。それは異父の兄である朝正を討たねばならなかった過去の事。別所攻めの時敵味方に別れた二人だが、兵糧攻めによって姿、そして心も変わってしまった兄の朝正。最後には正気を取り戻すが助右衛門は討つより他なかった。それがトラウマになってしまい。以後は活躍がなくなった。そのため腰抜け助右衛門と蔑まれるようになった。しかしそれも実は秀吉も三成も知っていて、秀吉のそばで守る役に敢えて回されていたのだった。関ヶ原では三成側の西軍についた。戦を避けていた助右衛門だが、三成のために最後の戦をしようと決めたのだった。この友情も感動。あとでwikiを見ると、確かにそれに沿った内容だった。ただあまり多くは書かれておらず、作者の創作を十分発揮できる。
三本槍。甚内の話。甚内はお市に憧れていた。浅井長政に仕えていた片桐直貞の息子の助作から木下藤吉郎に仕えないかと誘われる。木下は急速に出世しており譜代の家臣がおらず、分け隔てなく登用の機会を与えてるのだ。募集会場に行った二人はそこで還俗したての14、5歳の少年に出会う。何か特別扱いされている。それこそ、石田三成だ。みなと同じように面接を受けるため推薦書は持参してこなかった。何を目指しているかという問いに、戦を無くしたいと答える佐吉。甚内は出世と女の事ばかり考えている。それを呆れつつ理解しているのが助作で、もう1人佐吉はそれが大事だという。男女平等、機会均等の世にしなければならないと何百年も先を行っている。色々な女性に惚れやすい甚内だが、敵方の八重という女性に出会い一目ぼれ。しかし八重は大野定長の妻であり多重スパイだった。しかしそれはただただ大野家を守るため、そして自分の息子3人を守るための行動だった。時は流れやがて八重は秀頼の乳母となる。そう大蔵卿局。大野治長の母だ。つまり息子3人というのは治長、治房、治胤のことだった、夫(つまり治長からしたら父である)定永の名には「治」の文字はない。つまり甚内(のちに脇坂安治と名乗る)からとったというのだ。そして八重は当時身ごもった甚内との子であろう4男の治純は家康に仕えさせている。大坂の陣前夜八重は甚内に家康に付くことをすすめるが甚内は佐吉の義理立てから豊臣側につこうと考える。息子の安元は徳川についたほうが得策と安治に進言するが、自分は豊臣に、息子には徳川につくように答える。不思議な話だ。甚内と八重の出会いは、明智が丹波攻略の時代のことだ。八重は敵である明智、つまり秀吉・織田からただ大野家を残すために画策してきたのだが、最終的には豊臣秀頼の乳母となる。四男は徳川につかせた。甚内は秀吉に仕えていて、たまたま明智の丹波攻めに派遣されたのだがそこで八重と出会う。甚内はそのまま秀吉に仕え続ける。大坂の陣の時には七本槍の何人かは徳川に付くことは知っていたが、自分は豊臣につく。しかし息子は徳川にやる。八重と甚内は丹波攻めの時に結ばれている。八重の息子である大野治長は淀殿と通じ秀頼を産んだという。それをうまく物語にした。
四本槍。助作がメイン。(2度の朝鮮出兵の間か?)七本槍が数十年ぶりに拾丸に土産を持参するため集合する。それぞれが披露する場面が面白い、というか作者につられ感動する。片桐且元は夢を持たない。そこを佐吉に見込まれ、豊臣家を存続させる手段を託した。といいながら三成自身は関ヶ原では戦って散った。話は大阪の陣まで流れる。司馬遼太郎「城塞」に出てくる内容が出て来て復習になる。清正は家康と戦うことになったら自慢の熊本城まで入城させ、そこで大いに戦うことまで考える。また家康との会見で毒を盛られ帰りの船で死ぬという史実があるのだが、実は自ら毒を飲み、家康に暗殺の疑いを向けるように仕向けたというのだ。命と引き換えに家康の攻撃を抑えようとした。佐吉が助作に指示したのは。ただ堪えること。そうすれば家康は寿命でいなくな和睦こそが豊臣家の存続につながる。和睦の条件を何とか徳川側から取り付ける。その場面はまるで直江状のよう。和睦の条件を取り付けたのだが、淀殿や大野治長ら強硬派からは、助作が徳川に寝返ったように解釈される。秀頼にも同様に言われ失望する。且元は大阪の陣後も生きていたが、茶の席で毒を盛られ暗殺される。毒を盛った相手というのは明かされてはいないが、七本槍の1人のようだ。「城塞」に続き加藤清正をさらに見直した。片桐且元も実はそんな裏事情があったと考えると見直した。
五本槍。孫六、加藤嘉明。前章で片桐且元は七本槍の一人に暗殺されたというところで終わったが、本章でいきなりその犯人が加藤嘉明であることが明かされる。そして一旦話は過去に遡る。驚いたことに孫六の父は家康に仕えていた。一向一揆の時に一向宗側についたため流浪の身となる。馬喰として一方どこかの大小名に仕官しようと全国を流れていた。しかし息子である孫六は馬術を見込まれ、加藤家にゆうしとなり、秀吉に仕えることになる。七本槍の同僚との青春があるわけだが、一方で父親が家康に仕えていたことが気にかかる。実は一向一揆で解雇されたものの、実は諜報役として未だに家康側と通じているのだった。最大の相手である織田家に息子を潜入させたことになる。
六本槍。権平、平野長泰。七本槍の中では最も出世しなかった人物。史実では関ヶ原では東軍につき、家康の死後も秀忠に仕え、天寿を全うする。実はドラマがあったのだ、もちろん創作だと思われるが。賤ヶ岳の戦いで活躍し、小牧長久手でも活躍した。実は他力本願的なところもあったのだが、自分を偽って実力があったからだと思うようにしていた。ところがピークはその時で終わったようで、5千石で止まったまま。秀吉からも存在を忘れられていたと思い込む。かつての同僚たちもどんどん出世し、自分から疎遠になってしまっていた。そんな中孫六だけは心から友と思ってくれているようで、たびたび邸に迎えてくれる。ある時孫六の中間として仕えていた猿と呼ばれるものが、今は権平と同じ5千石持ちとなり孫六の家臣となっていると聞きショックを受ける。それ以来孫六とも疎遠になってしまった。そんな時佐吉が訪ねてくる。佐吉から孫六はずっと権平のことを気にかけていた、万石の禄で家臣として迎えてもいいと。しかし権平が傷つくと切り出せないでいたという。また秀吉が権平を加増しなくなったのは権平が学ぶことをやめたからだという。佐吉は戦がいずれ起こる。その時に万石を得るチャンスがあるという。その時が来たら知らせると言い残し去る。その戦とは関ヶ原だった。佐吉は家康に付けと助言する。そして佐吉は自分の考え出した勝敗の理論を権平につたえる。さて関ヶ原では東軍に付いた権平だが、悪路の行軍のため間に合わず手柄はたてられなかった。その後は佐吉の理論を確認するため関ヶ原に通い、15年かけて理論を証明して見せた。迎えた大阪の陣。権平は今度は大阪につこうと考え、佐吉の作戦は優れたものだったことだけを伝えたいと家康と面会する。そこで佐吉を未熟者だから負けたと言う家康に対して、佐吉の理論の証明を示し、家康が紙一重の勝利だったことを指摘する。感服した家康は、口止め料も兼ねて河内に1万石を提示する。しかし、立派になると立ち小便できなくなるという訳のわからない理由で断るのだった。ただ佐吉の強さを証明したことで満足したのだった。結局、大阪の陣には参加できず、江戸留守居を命じられる。それで生き残ったというわけだ。
七本槍。市松、福島正則。司馬遼太郎「関ヶ原」から品のない言動にあまり好ましく思っていなかったがここでは違った人物に描かれる。大津城でさらし者になっているときに福島正紀、そしてその後に黒田長政に連れられた小早川秀秋が通る。佐吉は市松が豊臣寄りの人間であることを、徳川方のスパイである黒田長政に悟られまいと、自分を罵るように指示する。そして佐吉。市松の応酬が始まる。実は二人にしかわからないメッセージを伝えあっていたのだった。佐吉と市松は今でも友情で結ばれていたのだった。佐吉は関ヶ原のあと家康に呪詛をかけたという。それによって家康は10年戦を起こすことができないという。その秘密が何なのか、市松はかつての同僚の元を訪ね探ろうとするのが主題だ。そして分かったのは金と米を操作し家康に戦に踏み切る機会を与えないという策であることを知る。佐吉たちの作戦は時を稼ぎ、家康さえ死ねば後継者の秀忠といかようにでも和睦できるということで一貫している。しかし、最後に家康は牙をむく、片桐且元が身命を賭して取ってきた3つの和睦案。これをいずれもはねつけた大阪城方に憤りを覚える市松。さらには賤ケ岳の七本槍何者ぞという発言に、誰が今まで豊臣を守ってきたのか?それは八本目の槍(石田三成)だと言ってのけた。司馬遼太郎の「関ヶ原」で嫌いになった福島正則だが、この小説で少し好きになった。
それぞれ個性的な七人で、関ヶ原以降はバラバラの人生を歩んだように見える。しかし深いところでは友情で結ばれていて、豊臣家を残すために心は一つだったのだ。そしてその中心にいたのは紛れもなく石田三成だった。八人の友情が清々しく感動的でもある。
史実に沿っているので歴史小説と言えるが、空白の事実を創作で埋め人情話にするところは時代小説でもある。この人情話的なのは自分の先入観かもしれないが。
こうしてみると時代小説と言っても、人情噺をバックグラウンドに持つこの今村翔吾に対して、山田風太郎はやはりミステリーがバックグラウンドにあるということをつくづく感じた。どちらも抜群のストーリーテラーだ。なかなか読みごたえがあった。
 
20220507読み始め
20220530読了

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