量子論とタオ(老子)に多くの共通点があるということですが。
タオを全く読んだことがないので、はっきりとはわかりませんが、本屋での立ち読みから察するに何となく、「無理をせず自然に生きよ」みたいな、よく言えば大らかな、悪く言えばニヒルな考えのように思えます。どちらかというと宗教的というか倫理観というのか、哲学と言うよりは生き方のノウハウみたいな印象ですね。そう考えると量子論とタオの相似というのが「たまたま」似ていたと考えられなくもなく、ちょっと残念に思うところもあります。
量子論とタオ(老子)に多くの共通点があるということですが。
タオを全く読んだことがないので、はっきりとはわかりませんが、本屋での立ち読みから察するに何となく、「無理をせず自然に生きよ」みたいな、よく言えば大らかな、悪く言えばニヒルな考えのように思えます。どちらかというと宗教的というか倫理観というのか、哲学と言うよりは生き方のノウハウみたいな印象ですね。そう考えると量子論とタオの相似というのが「たまたま」似ていたと考えられなくもなく、ちょっと残念に思うところもあります。
超ひも理論、ますます不思議な世界に入っていくようです。
4つの力・・・重力、電磁力、強い力、弱い力は昔、1つのものだった。それが分岐して4つの力になったという。
何か力であったり、波であったり、私たちが感じているこの世界とは全く想像できない世界です。私たちのこの物質世界も、実は物質というものはそもそも存在しなくて、力で構成されている。とでも言うのでしょうか?
ここにあるボールを掴みました。確かに物を握っているという実感があります。しかしそれは「ボール」のような光の波を見ながら、「手」のような力と「ボール」のような力の反発を感じているだけなのかもしれません。
超ひも理論、あるいは量子論。いずれにしても私たちの想像し得る世界を超えた世界。説明することも、理解することもほとんど不可能。この常識を越えた世界をどう解釈し表現するか?
東洋哲学においては言葉でなく認識するのでもなく、経験、体験、感じることでそこに接近しようとしました。そして科学は数学という言語を使って接近しつつあります。
こうしてみると根源を追求するという目的において、東洋の哲人も科学者も過程こそ違え、結局同じのように見えます。
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はじめての“超ひも理論”―宇宙・力・時間の謎を解く 価格:¥ 840(税込) 発売日:2005-12 |
を買ってみました。
序文だけ読みましたが、量子論もさることながら超ひも理論となると、もう私たちが想像しうるこの世界を超越してしまってます。つまり想像することさえできない世界です。私たちの言語にも表現の限界があると言うことですが、超ひも理論はもはや数式でしか表現できない世界です。逆に言えば数式がこの世界の言語。ということなのでしょう。
時間は前にしか進まない。逆戻りしないのでしょうか?
時間が経つとはどういうことなのでしょうか?
時計を見たら確かに秒針が1秒ごとにコチコチ進んでいます。
でも電池を逆さまに入れたら1秒ごとに逆戻りします。
それは時間が逆戻りしているわけではありません。
何も無い状態・・他者もなく自分も無い、物質というものがなければ時間が進んでいるのかどうかもわかりません。比べようがないからです。
時間が経っているなと感じるのは、周りのものがどんどん変化していく。変化といっても色あせていったり、形が崩れていったり、腐敗していったり・・・。自分自身を見れば、長期的に見れば年をとって体が丸くなってきたり、しわができたり、肌の艶が無くなったり・・・短期間では疲れを感じる、集中力が無くなる、気力が無くなる。など、衰えていくというか、エントロピーが増大するというのか、そういうことで時間が経っていることを実感するのだと思います。でもそれは感じているだけであって、実際には時間が反対に進んでいるのかもしれません。
では、全人類がせめて一致団結して、何か形あるものを壊すのでなく、より完成させていこうと動き出すと、時間があたかも逆戻りしているように感じるのでしょうか?そんなお芝居を完璧に演じきることができたときに、時間というのは前に進んでいると感じることができるのでしょうか?
時間が前にしか進まないというのは、そう感じるだけのことであって、実際には時間が進んでいるときもあれば、時間が止まっていたり、反対に逆戻りしていることもあるのかもしれません。