モノ・語り

現代のクラフトの作り手と作品を主役とするライフストーリーを綴ります。

江戸期庶民と浮世絵

2019年06月07日 | 「‶見ること″の優位」

さて今回からは、日本の近代から歴史を少しさかのぼって、近世における「見ることの優位」を見ていくことにします。
江戸期は、日本の美術がある意味で世界の美術史の先端を走っていた時期であると私などは考えていますが、
その一翼を担った現象として18世紀後半から19世紀前半にかけての浮世絵の流行ということがあります。
歌麿、写楽、北斎、広重といったスーパー絵師が顔をそろえた時期ですね。

江戸時代というのは日本の出版事業の歴史においては発生期として意義づけられていますが、
その初っ端において、文芸の世界では黄表紙や洒落本、読本などと呼ばれた一般庶民向けの娯楽本が大量に出版され、大量の読者を生み出しました。
また狂歌という、和歌の形式で世相を詠み社会を風刺する文芸が流行して、様々な職業の人たちや文化人によるサロンが形成されたりしました。
本は木版刷りで制作されましたが、その木版技術の領域から浮世絵版画も生まれてきたわけです。
出版物には挿絵が挿入されて読者のもうひとつの楽しみでした、
歌麿も北斎も最初は挿絵師として出発して、作画の腕を磨いていくとともにその分野での人気を獲得していっています。

折から、エンターテインメントの世界では歌舞伎、寄席に庶民の人気を集め、また江戸の吉原に代表される廓では、世相、文化などあらゆるジャンルに渡る情報の発信・集積されていくエリアの役割を果たしていました。
浮世絵版画は、そういったエンターテインメントや出版物といった新しい文化領域における広告媒体であり挿絵としての役割を果たす一面を有していました。
そしてそれが後世に語り継がれていく文化にまで高めていったのは、江戸期庶民の美的判断力(見ることの優位)にほかなりませんでした。



北斎や広重は西洋絵画の遠近法を活用した作画がひとつの特徴をなしています。
遠近法が日本の美術に大いなる影響を与えていることは確かですが、
彼らは西洋絵画の空間構成法に、日本美術の後進性を認めていたというふうには感じられません。
むしろ遠近法を面白がり、空間表現のひとつの方法として自分なりにアレンジして、浮世絵独自の表現方法に昇華していったと見るべきでしょう。
そこに浮世絵絵師たちの見識と矜持、そして浮世絵のファンたちの美的判断力が伺えます。

歌麿や写楽には対象を捉える観察力や洞察力の深さを、北斎や広重に画面の構成にエスプリやウイットが楽しめますが、
そういったものはこの時期の江戸文化の総体――出版、演劇、詩文、工芸など――の中で培われたものに他なりません。
ここに言わば「見ることの優位」の江戸庶民的な特徴が認められます。

マルチクリエイターのいとうせいこうさんと、浅草のセンス職人荒井修さんの共著による『江戸のセンス』(集英社新書)によりますと、
「職人にとって大切なのは、一つのものからどれだけ広げられるか、その知識を持っているかということ」
とあります。
浮世絵の世界を創造した絵師たちの機知やウイット、ユーモアのセンスといったものは、
上記のような想像力と、その想像力を育てていく日々の訓練や経験の蓄積、そして観察力や思考力の深さに基づいているわけですね。
それは絵師や職人のみならず、江戸の庶民が互いの情報交換を通して育てていったものであると思います。
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