モノ・語り

現代のクラフトの作り手と作品を主役とするライフストーリーを綴ります。

安倍安人さんと桃山の文化

2010年03月13日 | 安倍安人の備前焼

かたち21のHP



美術界でいま話題になっている長谷川等伯は西暦1600年ごろの桃山時代のトップスター。
ライバルに狩野永徳とか俵屋宗達とかいます(この3人が桃山期のビッグ3ですね)。
工芸関係での代表者といえば千利休と本阿弥光悦というところでしょうか。
そして利休は等伯の後ろ盾となり、光悦は宗達とつながっていたことは周知の事実です。

大雑把にいって、利休・光悦・宗達・等伯、それに古田織部を加えて、
「日本の造形美」の骨格というものが形成されました。
宗達と等伯、利休と光悦と織部、各々を比較してみるのは興味が尽きませんが、
利休と織部の比較でいえば、利休が「静的・無作為的」と言われ、
織部は「動的・作為的」と見られて、非常に対照的であるとされてきました。

ところが備前焼の陶芸家安倍安人さんは、利休が創案した楽茶碗と織部の沓茶碗を並べて、
両者は同じ造形方法でできている、ということを言ってます。
つまり利休の方法と織部の造形は同根であるという説で、
両者をまとめて「織部様式」と呼んでいます。

利休と織部は同根である、あるいは「織部様式」として同一視される造形方法は
何を意味しているでしょうか。
私は10年以上も前に安倍さんからこの話を聞いて以来、
このことにずうっと関心を抱いてきました。

ところで利休には「利休七哲」と呼ばれたお弟子さんたちがいて、古田織部もその一人です。
7人とも大名で、しかもキリシタンでした。
これって何か意味深なものを感じさせます。
たとえばまなざしの方向をはるかヨーロッパまで及ぼすと、
当時活躍していた画家で代表的な人といえば、カラヴァッジョとエル・グレコなんですねえ。
1600年前後の世界を一望すると、
利休、織部、光悦、宗達、等伯、カラヴァッジョ、エル・グレコといった人たちが立役者です。
さらに中国は明末といわれた時代、韓半島には李朝の民画とか高麗の茶碗とかがありました。
そんなわけで、美術造形的な観点からしてこの時代に一体何がグローバルに起こっていたのか、
非常に興味津々なものがあります。
そしてそういった眺望の中で、日本の桃山期の美術はやはり世界の最先端に位置して、
一際光彩を放っているという印象です。

この四月から年末までの間、何回かに分けて「安倍安人さんの話を聞く会」を持つことにしました。
桃山期のやきものの話から始まって、「日本の造形美」とか「東アジアの中の日本文化」とか、
「現代造形のこれから」といったところまで話を広げていこうと思ってます。
今回の会場は東京の銀座の「吉水」というお宿のコンサートホールです。
どなたもご参加いただけますが、人数は30人限定ですので、
お早めにお申込みください。

お申込みは「安倍安人さんの話を聞く会」からどうぞ。



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「いいもの」の条件(つづき) | トップ | 千利休の空間感覚 »
最新の画像もっと見る

安倍安人の備前焼」カテゴリの最新記事