kasaruの今日も有り難う

僧侶歴46年。講演依頼受付中
サルコイドーシス・バセドウ病の旦那
岡山へ就職長男23歳
アペール症候群次男19歳

2月終了日

2006-02-28 | Weblog
 
 ついこの間 年賀状を書いていたのに・・・

 明日から3月

 いま 一番イチゴがおいしい時期

 今から イチゴを買いに茂木まで。。。

心の師・・・

2006-02-27 | Weblog

まっちゃんが 学生の時から(筑波大学)師匠と慕う

料理人の大将がいます。

(昔は寿司屋。こどもに譲って 今はトンカツやさん)

昔はヴイヴイいわせていたそうで・・・今でも博学!!

ヘラブナつり、和太鼓、都々逸、歴史、文学など・・・

どれも玄人、あらゆるジャンルに精通。

しかも 奥の深い こころに染み入る教訓をさりげなく

伝授してくれる 学生たちの師匠兼兄貴的存在。

誰からも愛される 4人息子の良き父でもある。

かといって堅物かというと・・・

何ともウェットに富んだジョークを 軽々披露

悔しいくらい 男気のある愛妻家である。

昨日も さとるの術後の挨拶兼ねて食事に。。。

久しぶりの対面に 忙しい合間をぬって会話も弾む

映画を劇場で見るのがお気に入り 

先日の見に行ったときの話を・・・

洋画を(題名を聞いたが覚えていない)奥様と。

>大将<
 丁度 風邪なのか鼻水が垂れていたんで 

 大きめのマスクをしていったんですよ。

 でも見始めてしばらくしても 鼻水が止まらないので

 隣のカミさんからティッシュを貰って左の鼻に詰め

 しばらく 見ていたんです。

 終盤であんまり浸してもいけないと思って

 何気なくティッシュを引っ張ったら・・・
 なんと 千切れて 残骸が鼻の中に、

 慌てて取ろうと指を突っ込んだら 意志に反して奥へ 

 もう 映画どころじゃないですよ。

 「フっ~~」って鼻息では出ず、
  
 「クヮ~~!!ング~~~!!」とやっても口に落ちず

 最近の鼻うがいのお陰で 通りは抜群

 でも いくらなんでも 飲み込むわけにもいかず・・・

 隣でカミさんが「うるさい」と言ってても

 気持ち悪いったら ないでしょ?!

 なんとか 吐き出しに成功したんですが、
 映画の内容なんか 覚えちゃいませんよ。

 あんまり 面白くなかったね~。。。(え?分かったの?)

 隣で聞いていた奥様・・

 「今度から席は離します。」

 そのほうがよろしいようで・・・

いや~~本当に 粋で鯔背な大将。。。

次回までまた 斬新な話を温めていて下さいね

皆さんも機会があったら、

つくば市豊里支所前の「松五郎」

ヒレかつカレーは絶品 他も

まっちゃんの名前を出すと 良いことがあるかも??よ。

かえるべき場所

2006-02-26 | Weblog

皆さんは帰る場所がありますか?

愛する人の待つ家。

大事に育てられた家。

孤独と共存する家。

守らなければいけない家。

それとも 住所不定??

どちらにせよ 帰るべき場所があるということです。

人は 帰るべき場所があるから 

安心して家を出ることが出来、活動も出来るのです。

ウダウダすることだって・・・

なかには 帰りたくないこころを抱いて

生活している人もいますが・・・



人生は戻るべき 拠り所が必要です。

どこへ行っても、何をしても、誰といても、

戻るべき場所がなければ 落ち着いて

仕事も、遊びも、自由もありません。

今日の安住の地を、雨風をしのげ、疲れを癒し 

こころ解き放す場所の存在は 生きる上で不可欠です。

今日の帰るところがあるから 大手を振って歩けるのです。

帰るべき場所を持つことは 目に見える家だけではありません。

皆さんは 自分のこころが 戻るべきところを持っていますか?

確かに寄り添う 誰かの胸かもしれません。。。

本、音楽、フィギア、・・・物質的なものかもしれません。。。

しかし、そんな危ういものに戻るのは

一時の慰めでしかないのです。

帰るべきところは・・・自分自身なのです。

どんな試練も、どんな苦悩も、過去も・・

幾つもの 楽しさ、嬉しさ、感動も 

戻るべき自分自身を持たなければ、

一時の幻となってしまうのです。

どんな事が起きても 戻るべき 自分自身の心があれば、

泣きながらも 胸を張って歩んでいけます。

いつも記している「自灯明」【 己を灯火にせよ!!】ということ、

帰るべきところをキチンと整理し 自分をもてなすことが出来る

素敵な家(こころ)を作って下さい。


DIYのアドバイスはいつでもOK 牧場!!
写真は 我が寺 今年の雪の日。山門から見る本堂です。

別れは・・・

2006-02-25 | Weblog

ただいま お寺の事務所。

住職が御葬儀のため 私が法事。

このところ 御葬儀続き・・・

お寺なんだから当たり前?と思われますが、

当山では長生き出来るお寺で有名?!

ここ数年 御葬儀が重なることしばしば・・・

必ず3件はダブル?トリプル?ブッキング。

何とかやりくりをして 必ず住職が行けるようにするのが、

まっちゃんの腕にかかっている。

どのお別れも 決して良い訳がなく、

悲しみの中に静かに 亡き人を偲び、感謝する心を

儀式を通して伝えられるよう精進するのが務め。

幸い大きな事件に巻き込まれて 亡くなる檀家さんは無く、

静かにお送りすることが出来ている。

どのお別れも平等ではあるが、

天寿を全うと言われる御葬儀と、

やはり若くして 

不測の事態で別れなければならないお送りは、

一層気が入る。。。


本日の御葬儀

>33歳 責任ある仕事に従事し、

 いつもと変わらぬ 帰路。

 愛用のバイクとともに 帰らぬ人となった青年は 
 
 家族の、友人の悲しみに

 いちばん 心を痛めてるに違いない。。。
 
 「また明日!」そのことばが 耳元に木霊する。

なんともやりきれない思いは 

責任ある職に誇りを持つ私たちにも

大きな影を落とす。

ただ 一心に亡き心に添い、

なくした家族の涙とともに 手を合わせる。

読経の響きは いつまでも消えることはない。

「有り難う」と聞こえる その声に

私たちは 顔を上げなければいけない。


「南無阿弥陀佛」

私がいただく 佛のこころが 

必ずや 誰のこころにも

灯火を指し示してくれることでしょう。

生きる術 2

2006-02-24 | Weblog

人は許されて生きている。

誰かを責めるこころが動いた時

立ち止まり 振り返る時間が欲しい・・・

責めるとは 

自分の意に添わない事柄を

それを 感情を入れて一方的に発するということ。。。

相手の失敗や失態を 責めるのではなく

上手に感情抜きに 伝える 話すことが出来れば、

複雑な感情の入り交じった 不快感を残さずに済む。

一方通行な道筋より

細くても 

お互いが 譲りながら交互に通過出来る道を目指したい。

人は たくさんの許しの中で生きている。 

許されている自分が 

許さない!なんて傲慢なのかもしれない。

もしかしたら 許す・許さないということすら

おごっているのかも。

何を責めるのか・・・

何を許すのか・・・

言えることは 許されて生きているということだけ。

許される こころは 

きっと 

許す こころを産み出すと信じている。


生きる術(すべ)は?

2006-02-24 | Weblog

人はひとりである。

孤独という名の空間を さまよう無力なイキモノ。。。

わかったつもりでもでいた こころが許せない。

側にいても 遠くに感じる 

この虚しさは永遠に満たされず

添う意味を突きつけられ 後ずさりする

ただ 抱きしめて 愛してるとささやくだけで

優しくはなれないのだろうか・・・


失ったこころの変わりを見つけ出すことは

簡単ではなく

答えなど どこにもない・・・

闇雲に荒げる魂は

どこに向かうのか

永遠など どこにもない・・・

この身をゆだねる 小舟さえ 見失い

満たされぬこころは 呪縛の波に攫われる

呼べど 届かぬ この想い

伝える術は 閉ざされて

懸けた鍵とともに 泡となる

笑顔を見ているだけで 仕合わせな自分は

もういない。。。


最善の道・・・

2006-02-23 | Weblog

私の周りには 何故か ??万人に1人!

という病になった、なったことがある人がけっこういる。

残念ながら 癌はすでに おののく病には入らない。

多くの症例を見聞きして思ったこと、

最近は病院ランキングなる本が目に留まるようになってきた

確かに 肝心な認定医の居る・居ない、

病状に対する対処している症例数は 一番外せない判断基準だ。

医学の進歩はまさに目を見張るばかり、

日進月歩の裏に多くの犠牲があることも忘れてはならない。

しかし、最新の治療法を求め 病の難民が増えたことも事実。

かく言う自分も 何とか情報を得ようと躍起になったときも・・・

“セカンドオピニオン”などということばが先攻し

自分自身の身の振り方に 責任を持たない患者が増えている。

最終的には 薬よりも人と人とのコミニュケーションの中で

自分は「どうしたいのか?!」を決めることだと思う。

技術と機械と薬の進歩で何処の病院でも治療に大差が無くなった、

では 病院選びは何が決め手かと言うと・・・

やはり ハートである。

あるお医者さんは(最近 知人が行った) 

最初から転院を勧めておきながら、

当人や家族が望む他の病院への紹介状を(2カ所選出)

「1ヶ月に1枚しか出せない」という理由で

1枚しかくれなかった。。。初旬に貰ったら 次月の初旬まで

書いてもらえないことになる。

もしそれが決まりだとしたら、命を再生を手助けするものとして、

由々しき問題だと思った。進行性の病だったらどうするつもりなのか?

この医者に 命を握る権利があるのだろうか?

「貴方のお気持ちに添うよう 何枚でも書きましょう。

そのかわり費用はかかりますが・・・」これなら分かる。

セカンドオピニオンは 最初に見てもらった医師に

権限があるような空気があるが、違うと思う。

自分の命は 自分で守り・決めること!!

本人が納得した上で治療をしたい。

病院を変わることは罪ではない。

近くだから、知人の紹介だから、という理由だけで 

不快な思いをするよりも 

多少遠くても、相性のいい先生と前向きなセッションをしたい。

さとるやまっちゃんの担当医を見て つくづく思った・・・

ここでは あえての相性診断は公表しないが。。。

どこが合うなんて 感じ方は個々に違うけど、

自分の命の行方は 最後には自分が決めるべきであると思う。

情報が入手しやすい時代 普段から見極める眼を養いたい。

まっちゃんは 最初に行った病院である程度の検査

その資料を持って「サルコイドーシス」の研究事務局のある

代々木にあるJR東京病院に 5月に行くことに・・・

情報収集して下さっている皆さん 本当に有り難うございます。

とりあえず 多くの症例を見ている病院でキチンと病の把握を!

その前に さとるの検診で病院通いがあるんですけど。。。

病のときだけではなく 人間 温かいが一番ですね。

皆さんも イザって言うときはで判断を・・・


皆様に・・・

2006-02-22 | Weblog

kasaruブログを通し、温かいお言葉ありがとうございます。

自分の中ではサルコイドーシスなるもの、正体が見え始めております。

kasaruとインターネットで検索、うなずくことばかりでした。

そんな中で自分なりに、一つ胸にストンと落ちるものあり、

あるがままに、あるがままで、自分が自分である証なんだなぁと・・・、

いやいや感心している場合ではないのですが、一つ言えることは、

私にとって愛するkasaruを筆頭に家族が一番の宝物であるということ、

そのすべての幸せが自分の幸せだということ、

私にとって、宝物を大切にすることで、

そこから新たな光が見つけられるということです。

只今自身のこころのリニューアルの準備に入りました。

これからもkasaruブログを通して 宜しくお願いします。