6日のまっちゃんの誕生日を恙無く迎えて
いよいよ18日に迫った私の誕生日
改めて年を重ねる意味を考えてみました
多くの人生はその周りにいる人にしか
知ってもらえない命です
確かに良くも悪くもニュースになる人は
自分の意思に沿ってか
自分の意思に反してかのどちらかですが
メディア越しに名前が報じられても
悪意があってその人を追跡しなければ
何処の何方かなんて覚えていません
だから有名になりたいとかそんなことは
おもいませんが
せめて関わった人の記憶の片隅に生きていたい
そうおもうのです
亡き人を思い出し
集まる機会を与えてくれる法事は
ある意味誰かにとっては必要な時間であって欲しいのです
別に神仏の前に集まらなくても
一人ではなく共有する場所で
追われる生活の中で立ち止まり
自分の命を通して誰かの命を
思いやって欲しいて願っています
いつ別れるともわからない
この時を意味あるものにするのは
自分自身であるのですから
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