kasaruの今日も有り難う

僧侶歴46年。講演依頼受付中
サルコイドーシス・バセドウ病の旦那
岡山へ就職長男23歳
アペール症候群次男19歳

悲しみは突然に・・・

2013-10-07 | 

そう。。。何時だって別れは突然です。

覚悟を決めた時間があっても、「今」ではないことを祈ります。


私の職業は悲しいところから始まります。

その悲しみを生きる力に変えるお手伝いをする

それが使命であると考えてきました。

別れの覚悟は人一倍あるとおもっていても、

突然の悲報にあふれる涙を止められません。


先ほどお別れをしてきた人は、

十数年前にご主人を亡くし、

毎月欠かさずお墓参り、事ある毎寺の行事にも

良くおいでになっていたご婦人でした。


見た目は70代前半?先日も秋のお彼岸にお会いして

会話をしたばかり、

突然の事に「まさか!?」そんな思いで向かった先で

横たわる無言の姿に言葉がありません。


お坊さんが言葉がない!なんて申し訳ないですけど、

やはり、何時だって悲しいものです。


聞けば突然の出来事。

家族もまだ事態を飲み込めていな様子。

当たり前ですよね。



テレビでも「桜塚やっくん」の訃報に

誰もが信じられない気持・・・わかります。



人生の一端のお付き合いですが、

最後の瞬間に立ち合う重みを噛み締めて、

手を合わせてきました。


最後にかけることばは、

やっぱり「有り難う」です。






命は誰のものか。。。

2013-01-12 | 
この世に生まれて自らの意思ではどうする事も出来ない。

そんな命があります。

運命では片付けられない奪われる命があります。

そして間違いなくこの世に未練を残し散っていった命があること。。。

昔も今も命に対する扱いはそんなに変わりはありません。


情報網の発達した今だからこそ

世界の命の実情が瞬時に分かるだけのこと。

そんな歴史の中でも、いつの時代でも

『命』は誰のもの?なのか

そう自問自答する瞬間があるはずです。


救急車が同姓同名の違う家へ向かったばかりに、

救えなかった命。


そして、未だに反省もしない、学習しない大人たちによって

まだ生きながらえるであろう、

10代という人生を自ら終わりにする以外

考えられなかった子どもを救うことが出来なかったこと。


『いのち』は誰のものなのか。。。

「いきる」ことの責任を誰が背負うべきなのか?

問い続ける「いのち」


人はひとりでは生きていけないし、生きることは出来ない。

いつも、そう書いている。

繋がっている命。

人との繋がりの中で良いことだけ、強がることだけで

誰かと繋がっていることは とても危険なことなのです。

一番の身近にいる家族にさえ弱いところを見せられないということ、

弱みを見せれば良いということではないが・・・

そして、見てみるふりをすることこそが、

一番 卑怯であると私は思っています。


今回の体罰を苦に自殺という報道に、

心から哀悼の意表します。

現実に見たわけではないので憶測で物事を言いきることは

難しいとは思いますが、

聞く限り、少なくても救える命であったように思えてなりません。


大人の真摯な対応を子どもたちは見ています。

不誠実な態度の中で教育は出来ないことを、

改めて露見した形になったこの度の出来事は、

今生きる全ての人が心してかからねばならない問題でもあるのです。


絵空事でも、小説でもドラマでもありません。

現実に一人の人間が心痛め、他の道を選ぶことが出来ず、

悲しみの中で死んでいったのです。


人生に選択肢は必ずあります。


その事を一緒に入る中で伝えてられなかった

周りの大人たち責任は重大です。


確かに繰り返される生活の中で、

学ぶということの意味をきちんと、

理解していない者が多すぎような気がします。


朝起きて ご飯食べて トイレ行って 寝る

そんな 日常の中で「命は誰のものか」

そのこと命がけで学んで欲しいと思います。






いよいよ

2012-10-12 | 
誰だってこの世に誕生した日がある。

それを祝うのか、そうでないのかは個々の問題である。

我が家は度々登場する家族含めて盛大なるお祝い会などをするのが慣例。

誕生会などと子どもが小さいとき以来記憶にない人や、

別に!と思っている人から見たら何とも大変なことだと思うだろう。


現に妹の旦那は「僕の誕生日は無かったことに・・できないかな~」なんて

冗談とも本気とも捉えられるつぶやきを1度だけではなくつぶやいている。

我が家も忙しさを理由にスルーしている会が2件ほどあって、

未だに周りからの督促が入る。



本日 かおるが二十歳になる。

誕生時間は夕方なのでまだ厳密には19歳といってもいいと思うが、

そう 今日から成人だ。

だ。いっても我が家では急に大人扱いするわけでも、

何か変わるわけでもなく、淡々と時間が過ぎていくのだろうが、

本人は分からないが、私はなんだか言いようのない気持ちになっている。


自分の二十歳の時の気持ちを思い出そうとしても あまり記憶になく、

それでも大勢の人が祝ってくれたこと、着物を来て写真を取ったことを時折思い出す。

そんな程度の20歳の日だったが、

かおるにとってどんな日になるのだろうか・・・



今まで家族写真なんて撮ってこなかった我が家(子どもたちが嫌がって)

急にさとるの発案で家族の集合写真を撮る予定にしているが、

なんとか少々スリムになって写真に写りたい私の我がままで

今すぐの撮影ではなく何とか来年の成人式までという

先延ばしにした形で返事をしたのだが・・・


え?無理? 間に合わない?

私もそう思う。。。

でも、集合写真は欲しいので努力してみたいけど。






二十歳の君へ

これからは自分の責任において世の中の罰則を背負ったわけだ、

何時もと変わらぬ日常の中で、

気持ちの変化に戸惑いながらも今までと変わらぬ正義を貫いてほしい。

かおるのことだから何も心配していないが、

学生という身分に甘えることなく、自分と向き合い、人と寄り添い

豊かに感性をを磨き、何事にも挑戦して尚一層の努力を惜しまないでほしいと願う。

成人を迎える我が子の成長に

私もまた自分を律し、快楽だけではない楽しい人生を過ごしていきたい。


改めて おめでとう!!

誕生日は本当に「今」存在するいのちを祝うものだと感じる。



今日は我が家だけでお祝いである。



起こってはならないこと・・・

2011-12-11 | 
K子ちゃんの電話で皆既月食を知り慌てて外へ、

雲の遮りも無く老眼間近の目にもくっきりと

自然の神秘を感じながら携帯片手にパチり。

家族で見上げた夜空の寒さはきっと忘れることないと思います。


夜11時前後の出来事に夢心地のそんな最中、

今朝のニュースで皆既月食を見に行った帰り道、

兵庫で小学生の兄弟が酒気帯び運転の車にはねられ

尊い命を亡くしたことを知り・・・ショック


なんで? 家族は今もその思いで、のたうち回っているに違いありません。

子を持つ親でなくても、そんな理不尽な運命があってはならない

そう思うのは間違っていないはず。。。

11年ぶりの自然の贈り物に少年の胸には希望の光が灯った、

そんな矢先の出来事に今は祈ることしか出来ません。



毎日 こうしている時にも世界では理不尽な

仕打ちを受けている人がたくさんいること、

そしてそのことを解決する手段を自分が見いだせていないこと。

全く考えないのではなく、

考えても仕方ないと思わず、気に留めて生きたいと思います。


どうか兄弟の見た灯が周りの人々の心を照らし続けてくれることを願って・・・


法話

2011-10-16 | 

日本人の平均寿命が80歳を超える時代になりました。

今までは如何に長生きするか。

という事にこだわっていましたが、

これからは、長生きの先をどう生きるのか?

どう生きたいのか?それを問う生き方になるのではないでしょうか?

法要は「時間の経過を数えて年忌法要をする」ということでもありますが、

お経をいただき法要するということは

亡き方を迎え、改めて自分自身の命と向き合い

生きているのではなく、生かされている命に

感謝する時間でもあります。


今まさに皆さんが佛さまに向かって手をあわせていらっしゃいますが、

実は亡き方が皆さん一人一人の前に立ち、

御本尊様や多くの御先祖様と一緒に

私たちに手を合わせられている瞬間でもあります。



残された私達に何が出来るのか。

思い出の中に生き続ける愛しい人や懐かしい人を忘れることはありませんが、

改めて【人は必ず死ぬ】ということを身をもって示し、

教えて下さった命の尊さを再確認することは大事なことだとおもいます。



今 この方がいなければ皆さんも存在しない訳で、

そして私も皆様に出会わなかったかもしれません。

本当に不思議な力で導かれた命との出会い、人との出会いに

この場を借りて感謝申し上げます。

本日はこのような機会を与えて頂き有り難うございました。




法事の時はこのような法話をさせて頂きます。

後は当家と関係ある話をしながら時間を共有しますが、

せっかく法事をする時間を有意義なものにする為にも、

日々の精進は怠ることはありません。

時別な修行は致しませんが、

人生の苦楽を共感出来、心に添うことが出来る僧侶でいたいと願っています。

何を学んだのか?

2011-09-30 | 
3月11日以降人生が変わった・・・きっと

大げさな表現ではないと思う。

世の中も原発事故がなければ明るみに出なかった事が

次々と発覚し、国民の感情は空転し、

個人レベルの判断や対処では何も出来ない現実に

自暴自棄になりかけている人は少なくないのではないでしょうか。

人間の緊張はもって3日程度です。

山で遭難など究極の事態や3日後も引き続きしなければならない

出来事が身になければの話ですが・・・

大抵3日も過ぎると体力も気力も停滞して

思考能力も衰えてきます。

それは当然のことで悪い事ではありません。

人は良くしたもので自分自身を守る為にも

極限状態のまま生かしておく事はしません。

適当に緩める時を与えてくれます。

その時に疲れ果ててしまう人もいれば

奮起する人も出てきて世の中は回っていきます。


今回の3月11日の出来事は、

善悪に捕われず多くの事を学び、考えさせられています。

今まで如何に無知でいたか。

無力であるか。

どう生きるべきか?

直接、間接 今早急に求められる対応に

自分は何をするべきなのか?

出来る事しか出来ない事は重々承知。


国や自治体の対応を待つだけでは立ち行かない現実。

それでも生きていかなければならない今を

胸を張って、笑って行かなければならないのならば、

自ら進んで知らなければならない事があるようにおもいます。


世の原発反対と声を出す人たちも、(私も諸手を上げて賛成ではありません)

ただ反対の声だけを出すのではなく、これからの生き方を示す努力をしなければなりません。

反対と言うだけなら誰だって出来ます。

しかし、現実には与えられる電力によって

生かされてる以上それに変わるべき対処法を学ばなければ

同じ事の繰り返しになってしまうのではないでしょうか。



日本人は優秀です。

現にこうしてこの国を守り、歩ませてきたのですから、

それがリスクを伴う事だったとしても、

多くの犠牲を出した歴史であっても、

なかった事にするのではなく、

過去の事をあげつらうのでもなく、

過去の反省から学び、新たな臨機応変の考えや、

行動を自らに課さなければならない時だとおもいます。



先ずは自分が元気であること。笑えること。

どんな道を歩もうとも前向きな発想が自らを支えることになるのですから。


皆さんも何を学んだのでしょうか?

人間は考える葦である。



考えて下さい

2011-07-26 | 


【腸内細菌叢の話】子供と大人の内部被爆は50倍以上違う

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セシウムに汚染された牛が数頭から、いつの間にか1千頭を
超えてしまった!


「今更」という気もしますが、牛乳、魚貝類、野菜などこれか
ら本格的にマスコミが動き出すでしょう。


これだけの事件になってもやはり「広告宣伝費」の関係で日本
のマスコミの動きは鈍く、報道されるのは外部被爆のことばか
りで肝心の「内部被爆」の怖さを出そうとしない。



将来に渡って生じる内部被爆の怖さは、30歳と50歳過ぎでは50
倍以上も違うと云うから4ヶ月も過ぎてもこの状態では、数年
後からの子供の健康を考えると身震いしてくる。


一日だけでも線量の多い場所では子供には危険とされる。

もう、日本全国少なからず汚染されています。



内部被曝によるリスクは食べた量に比例して増えますから、た
とえ少量あっても若い人ほど体内残留し、放射能を出し続ける
という事になります。


ある学者は、「たとえ少しずつでもたくさんの人が食べること
によって社会全体の公衆被曝線量が増える」と言います。


食べられた量だけ社会、環境全体のリスクが増大します。



これは人間の遺伝子を傷つけ、将来に渡って子孫を苦しめる可
能性が高くなります。


チェルノブイリでは150キロ以上離れていた被爆量が少ないと
言われた場所でも心臓に穴が開いて生まれたり、水頭症、小頭
症、知的障害などの子供が多く生まれているそうです。



ほとんどが放射能による染色体異常による「先天的障害」の
子供達です。

ある市立病院では「生まれてくる健常者は15%~20%ほど
しかいません」という。


また、表に出ない「死産」や「流産」も多いというが、貧し
い国だけに統計上、正確な数字がまだわからないらしい。



これからの内部被爆の推移は学者でもわからない問題に入って
行きますから、チェルノブイリに学ぶしかありません。



福島の保護者らでつくる市民団体「子どもたちを放射能から
守る福島ネットワーク」が6月30日に発表した福島市内の6
~16歳の男女10人全員の尿からセシウムが検出された。

しかし、原子力安全委員長や文科大臣は「低い値だから心配
ない」と・・・・。


数年後、子供たちに異常が起きたとしたら「犯罪者」です。

自分の立場を擁護するだけしか能がないんですね。
まったくふざけている。


セシウム以外に他の放射線の内部被爆もこれから出てくると
したら5年後、10年後、20年後、日本の子供達、若者達に責
任が取れるのか?


日本中がパニックになる可能性もあります。


ある学者は「尿として出た線量の150倍ほどが体内にある可
能性が高い」という。


広島、長崎、チェルノブイリ、スリーマイル島などは「瞬間
爆発」での急激な内部被爆と外部被爆でしたが、福島の場合
は何ヶ月もの「ジワジワ被爆」です。


これが「内部被爆」として怖いんです。


何とか、最悪の状態を想定しながら、今からでも体内被曝量
を減らす事を考えて行くしかありません。




土壌汚染レベルが高い地域ほど、体内被爆量も高い。



ロシア、イタリア、スェーデンなどでは20年経っても、乾燥
キノコ類、ハーブ、ナッツ類、山菜などからセシウムが出て
いるそうです。


野菜の洗剤での洗浄をする(北里大学)、セシウムは水に溶け
るので流水で30%、ぬるま湯で70%が取れるという。


また、重曹水で良く洗ったり、あく抜きを充分にする(立命館
大学)、小松菜を茹でて水洗いするとストロンチウム50%、セ
シウム80%除去出来るという。



医師・肥田舜太郎氏は、こう警告する。

「先日、福島の5歳の子供に紫斑が出たという相談を受けました。

被曝による症状は、まず下痢から始まり、次に口内炎などの症
状が現れます。

それから鼻血が出るようになり、身体に紫斑が出始める。この

子供さんも被曝の初期症状であるのは間違いない。広島・長崎

の被爆者と同じ順序で症状が進行しています。」


幼児や子供さんのいるご家庭は、普段からの様子をしっかり見
守って、小さな異常でも早めに病院で検査をして下さい。



〈ふきのとう通信より〉






いたずらに不安をあおるものではありません。

ただ あまりにも日本人は無知でありすぎる。

自ら学ばずに言われるがままに行動する傾向は強く、

無関心か言ってもしょうがないと

やりもしないうちから諦める。

そして 声を上げる人の方が可笑しいような

そんな空気を造り上げて行く・・・

身を守る本当の戦いはこれからなのだということ、

日本の未来を真剣に考える時なのだと思います。


私が出来る事。。。

今 人生の岐路に立っています。



それでも生きている

2011-07-15 | 


嬉しいことがあって、悲しいことがあって、

悔しいことがあって・・・それでも私たちは生きています。

そう!生かされています。

3月11日以降 当たり前の日常が消えた毎日に、

追い討ちをかけるような世の中の動きにあっても、

歩みを止めるわけにはいかないこの一瞬に、

私は何をするべきなのか?

何をしたいのか?自問自答を繰り返しています。

目の前に繰り広げられる生活、

思いとは裏腹に過ぎていく時間、

何と無力なのでしょうか。。。。



夕べ 祖母(父の母)の容態が悪化したとの知らせを受けました。

新潟は糸魚川市(旧 能生町)で100歳を過ぎて施設にいます。

先日は父と母がお見舞いに行ってきた時には、

まだ 会話も出来るようでしたが、

まさに寿命 与えられた命の灯火を最後まで燃え尽きさせようとしています。


私の環境は特殊で、人とのお別れが特別ではない生活をしています。

そのことに麻痺しているわけではありません。

最近はお別れの最初のお経を頂くとき

自然に涙が込み上げてきて感謝の気持ちで一杯になります。


なぜ感謝かというと、

今目の前の方がいなければ、こうして出会うことのなかった

人との出会いに愛おしさを感じ

有り難いという気持ちが自然に湧いてくるのです。

何だか涙腺が緩みっぱなしなのかもしれませんが・・・・



今回のなでしこジャパンの快進撃にも

気がつけば涙を流し感動しています。

だって ここまでの努力が報われる瞬間って

美しいですよね。

涙無くしては応援できません。


毎日 朝起きられて、色んなことを考えられて 夜寝て

生きるのに理由も理屈もいりません。

今生きていてる、生かされている事実があれば

とりあえず最高なのだと。。。


流れる時間の中で複雑に絡み合う生き様

今 この瞬間に神も仏も信じられない思いがあっても、

自分を信じて、自分を愛おしんで

前へ進んでいければ良いですね。


どんな出来事があっても

それでも生きているんですから・・・







東京ビッグサイト

2011-07-07 | 
本日 運転手 まっちゃん

助手席 私、後部座席に和子ちゃんとかおる。

東京デザイン作品展へ

只今、8:00 これから有明へ

私はジャンルに問わられず、色んな事に興味があり

その興味の探究には労力を惜しまないようにしています。


【百聞は一見に如かず】画面や紙面だけでの情報には

少々偏りがあり、色んな人に出会う機会が多い

私の人生においては、実際に見て、触れて

得られる情報は大変有難く、また人生を豊かなものにしてくれます。


本日の展示会はオフイス、文具、雑貨など

商談専門のですので、活気ある一日になりそうです。


本当は3日間通わなければ見きれない展示会

今日一日でどれだけ見られるか・・・

報告は後ほど

生きることは、

2011-05-12 | 

生かされているということ。

人はいつか必ず愛する人と別れます。

これはいつもこのブログで記している事です。

その別れが来る時までどう生きるのか、

どう生きたいのか、

それをまっすぐに見つめ考える事が

生きるということだと思っています。


そして3月11日の惨劇を聞くにつけ

改めて生かされた命が此処に在ることに気づかされています。


昨日は『ひとりじゃない!「絆:kizuna」プロジェクト』

チーム「オールJAPAN」

ボランティアの一人として

米国NPOフォーチュネイト・ブレッシング財団の

心理学博士のセミナーを受けに行ってきました。

その前に支援物資「リブレフラワー」を

宮城まで届けて下さる方に渡す役目もあったので、

大崎、品川と一日がかりの上京でした。


このボランティアチームは

代表挨拶文より

「現在、まだ正確な災害遺児の人数は把握されていませんが、

4月1日より厚労省が職員を現地派遣して、

実態把握の調査をしています。

おそらく1,000人を超えるかもしれません。

この「絆」プロジェクトは、親を亡くした子どもたちを

民間の力で社会的に支援していこうという考えです。

私たちは「震災遺児」ではなく、

未来に夢と希望を抱く児童=「未来児」と呼びます。

まさに理念は、「子どもたちの未来に夢と希望を抱ける環境づくり」です。

もちろん、金銭・物資での支援・専門職・経験者の派遣なども行いますが、

まず「子どもたちの心のケア」応援してくれる大人たちが

存在しているという安心感づくりだと思っています。

子どもたちがこれから「我慢して自己犠牲」を

考える環境にしないことも重要だと考えています。」

以上のような考えのもと多くの方の力を必要としているもので、

その思いに賛同した私は

私の持っている力を微力ながら手伝えればと登録、

5月19日には12日から18日まで

米国NPOフォーチュネイト・ブレッシング財団の方々と

被災地で子どもたちの環境の現状把握に行ってきた報告会がありますが、

その前に行われたセミナーでありました。

そこは品川 有名なホテルのレストランの個室を借り切っての講義

ネイティブな英語での講義は同時通訳があったとはいえ、

30人ほど集まった皆さんの中で日本語以外に精通している方数名と

時差が生じ、笑うタイミングがズレるという

少々生粋の日本ん人である事を後悔・・・した時間でもありました。


この財団は世界の子どもたちの支援を主に、

チリ地震など世界で起こっている惨事の後

現地に赴き子どもたちの心のケアを

体を動かすプログラムを通して活動されています。


昨日の参加者は殆どが女性で、

中には被災地でのボランティアを既に行っている人もいて、

熱気に溢れていた数時間でした。

セミナーが主でしたので、出席者同士の

コミニュケーションを取る時間はありませんでしたが、

中にはこの場で久しぶりの対面をする人たちもいて、

なかなか興味深いセミナーでした。

19日は200名という全体の登録者向けの報告会なので、

今回出会った人たちとまた会えるかどうかわかりませんが、

今から楽しみにしています。




寺の仕事、学校の役員、家族の一員・・・

幾つもの時間を過ごすことが出来ているのも

まっちゃんやかおる、さとる・・・そして多くの命のお陰です。

命ある時に誰かの役に立つ自分が居ること、

こんな仕合わせなことはありません。


出来る人が 出来ることを。。。


生かされている命に感謝して・・・・