芸能人の親という「親の七光り」ならぬ「子の?光」に
世の中へ露見される事態となり、
本人はもちろん関係各位まで色々な影響が出始めている様子。
この問題は今に始まった話ではない。
以前よりこの問題は他人事としてではなくきちんと一人一人が考え、
向き合わなければならない問題の一つであったはず。
論じるには難しい問題でもあるが・・・
この問題にいち早く取り組み何とかしたいと願っていた一人に、
私の友人四国は高松の喝破道場の野田大燈さんが居る。
そうサッカー岡田監督とも昵懇(じっこん)の方だ。
その野田さんは昔から命がけで私財をなげうって、
引きこもりなどという言葉が一人歩きする前から青少年の育成に寝食を費やしてきた。
現在も精力的に問題を抱える家族に大きな懐を広げ、日夜奮闘している。
その野田さんと20年前の話。
生活保護受給の問題を僧侶の研修会の時に討論したことがある。
(現在 本当に生活保護なくして生活出来ない人については論じない)
「なぜ引きこもりの対策にそんなに力を入れるのか?」聞いた時、
引きこもりというのは隠れた病気を抱えている人が居ることもあるが、
家族がきちんと向き合ってこなかった結果が多い、
お金を与えるのが愛情?
物を買い与えるのが愛情?
大人の言いなりにするのが愛情?
自主性に任せるのが愛情?
親の感情を優先するのが当たり前?
ご飯さえ食べさせておけば扶養?
そんな自らの教育の間違いに気づかず、
親になる努力を怠った結果、子どもを甘やかすこと、
何もかも押さえつけてしまうこと、
一番は大事な会話を怠ったことの結果、
子ども自身が自分に向き合う機会を失い、自分を甘やかすことを何とも思わなくなった人たちが増えることになり、
病気や怪我をしていないにもかかわらず、家から出ないで過ごし、
自分の都合だけで生きている人が増えることになるというのだ。
働けるにもかかわらず自分の都合で働かず、親が居たり、
財があるうちは問題ないが、生活に困窮したというだけで生活保護受給を申請し、
受け取るということは「アリとキリギリス」と同じではないのか?!
確かに世の中は平等ではない。色んな絡みの中で生きているが、
一生懸命働き、自分の生活もギリギリの中で国を支える人たちの血税を、
いとも簡単に生活困窮という名の元で渡されることへ
何の違和感も持たない方がおかしいと思うのは私だけだろうか?!
家族の収入で家族を食べさせることに何も言うことはない。
ましてや幾つになったから働いていきなさい。なんていうことも変である。
世の中には働かなくても食べていける人が居ることは知っている。
だからといって社会の一員であることを自覚せず、
要求だけは国民であることを主張するというのは虫がよすぎる?
確かに『明日は我が身』一概に批判することは出来ないが、
将来働く意欲を持つ機会を失った人を作り出さないためにも、
早い時期に何とか引きこもりという檻から抜け出し、
学ぶ・就労する意味と意義、そして充実感を持ってもらえば、
生活保護受給せずとも生きていける道が見つけ出せるのではないか。。
税金の無駄使いはこれだけではないが、
それでも税金で賄われていることは確かである。
地域の生活保護受給する場合は自治体によってもまちまちだそうだが、
ならば受給の申請を地域の納税者に計ってみることもありかもしれない・・・
直ぐに今の自分に降り掛からない問題は
きちんと向き合うことを怠る傾向にあるが、世界の飢餓や戦争を考えると同じように
日本国の未来も真剣に考えなくてはならないとおもう。
世の中へ露見される事態となり、
本人はもちろん関係各位まで色々な影響が出始めている様子。
この問題は今に始まった話ではない。
以前よりこの問題は他人事としてではなくきちんと一人一人が考え、
向き合わなければならない問題の一つであったはず。
論じるには難しい問題でもあるが・・・
この問題にいち早く取り組み何とかしたいと願っていた一人に、
私の友人四国は高松の喝破道場の野田大燈さんが居る。
そうサッカー岡田監督とも昵懇(じっこん)の方だ。
その野田さんは昔から命がけで私財をなげうって、
引きこもりなどという言葉が一人歩きする前から青少年の育成に寝食を費やしてきた。
現在も精力的に問題を抱える家族に大きな懐を広げ、日夜奮闘している。
その野田さんと20年前の話。
生活保護受給の問題を僧侶の研修会の時に討論したことがある。
(現在 本当に生活保護なくして生活出来ない人については論じない)
「なぜ引きこもりの対策にそんなに力を入れるのか?」聞いた時、
引きこもりというのは隠れた病気を抱えている人が居ることもあるが、
家族がきちんと向き合ってこなかった結果が多い、
お金を与えるのが愛情?
物を買い与えるのが愛情?
大人の言いなりにするのが愛情?
自主性に任せるのが愛情?
親の感情を優先するのが当たり前?
ご飯さえ食べさせておけば扶養?
そんな自らの教育の間違いに気づかず、
親になる努力を怠った結果、子どもを甘やかすこと、
何もかも押さえつけてしまうこと、
一番は大事な会話を怠ったことの結果、
子ども自身が自分に向き合う機会を失い、自分を甘やかすことを何とも思わなくなった人たちが増えることになり、
病気や怪我をしていないにもかかわらず、家から出ないで過ごし、
自分の都合だけで生きている人が増えることになるというのだ。
働けるにもかかわらず自分の都合で働かず、親が居たり、
財があるうちは問題ないが、生活に困窮したというだけで生活保護受給を申請し、
受け取るということは「アリとキリギリス」と同じではないのか?!
確かに世の中は平等ではない。色んな絡みの中で生きているが、
一生懸命働き、自分の生活もギリギリの中で国を支える人たちの血税を、
いとも簡単に生活困窮という名の元で渡されることへ
何の違和感も持たない方がおかしいと思うのは私だけだろうか?!
家族の収入で家族を食べさせることに何も言うことはない。
ましてや幾つになったから働いていきなさい。なんていうことも変である。
世の中には働かなくても食べていける人が居ることは知っている。
だからといって社会の一員であることを自覚せず、
要求だけは国民であることを主張するというのは虫がよすぎる?
確かに『明日は我が身』一概に批判することは出来ないが、
将来働く意欲を持つ機会を失った人を作り出さないためにも、
早い時期に何とか引きこもりという檻から抜け出し、
学ぶ・就労する意味と意義、そして充実感を持ってもらえば、
生活保護受給せずとも生きていける道が見つけ出せるのではないか。。
税金の無駄使いはこれだけではないが、
それでも税金で賄われていることは確かである。
地域の生活保護受給する場合は自治体によってもまちまちだそうだが、
ならば受給の申請を地域の納税者に計ってみることもありかもしれない・・・
直ぐに今の自分に降り掛からない問題は
きちんと向き合うことを怠る傾向にあるが、世界の飢餓や戦争を考えると同じように
日本国の未来も真剣に考えなくてはならないとおもう。