kasaruの今日も有り難う

僧侶歴46年。講演依頼受付中
サルコイドーシス・バセドウ病の旦那
岡山へ就職長男23歳
アペール症候群次男19歳

どうすることも・・・

2009-06-29 | Weblog
いつもと変わらぬ何気ない会話、時々ジョークで笑いに包まれ、和やかな時間。

でも時折訪れる沈黙に・・・押しつぶされそうに。。。

何を話せば良いのか?普通の会話は出来ても、これからの展望を語るには余りにも無謀で、

それでも来年5月に末息子の結婚式に気持ちを馳せることで、

何とか生きる希望を見出していいるという、その言葉にこちらが救われる思いだった。

「毎日くり返される日常の中で、朝目覚めることに生きる実感を味わっている」とYさん。

改めてこの命が当たり前に存在していないことを実感した。

体中に感じる違和感を拭うことが難しく、腫れて行く足、膨らむお腹、

そして、ヒグラシの声が一日中耳の後で聞こえるような耳鳴り。。。

それでもジッとしていることが出来ずに、

訪れた私たちに朝貰ったというキュウリの浅漬けを出してくれた。

人は何時か誰もが必ず別れる定め。

それを頭では理解出来ても、目の前に迫る終着駅に向かうこの時間の中で、

期待を抱くことが艱難な状態で、毎日少しずつ壊れていく自分を受け入れるのは・・・

私には耐えられるだろうか?

訪問して2時間が過ぎ、後ろ髪を引かれる思いで立ち、帰る支度の中、

暫く二人きりで話していたYさんと母、

いよいよの瞬間に二人の目から大粒の涙が溢れ、抑えることの出来ない悲しみを、

声を殺して別れを惜しんでいる姿に、「帰ろう」と声をかけることは出来なかった。

暫くkasaru一家は、車で時間を潰し、改めて迎えに。。。



子どもたちは何を感じたのだろうか?

改めて聞くことは今しない。

少し時が経ち、落ち着いた頃に命について語り合いたいと思う。

重い気持ち・・・

2009-06-27 | Weblog
以前伝えたYさんの残りの命の時間がカウントダウンに入りました。

母の義妹。70にはまだまだ数年あります。

「4人の子どもたちは、夫々素敵な家庭を持ち安心だけど、

お父さんを残して行くのが心残り」と

見舞いに行く度に、電話をする度にそういって母に頼んでいます。

今の医学の力を持ってしてはこれ以上することがないと、

入院治療していた病院を離れ、今は住み慣れた家に戻って来ています。

いわゆる治療の副作用の為、フサフサだった髪もほとんど抜け落ちたとのこと、

気に掛けて電話する母の「何処か行きたいところは?

何か食べたいものは?言い残すことは?」の問いに、

思い残すことはないと、只「お父さんを頼む」との一点だけ。

自分自身でもどうにも出来ない身体を、ましてや回りのものはどうすることも出来ず、

何とか心穏やかに過ごしてほしいと遠地から祈ることしか出来ません。

ヒトの命の永さは誰にも分かりません。

世の中に病気になるヒト、ならないヒトがいる中で、

病気になることは不公平なことなのでしょうか?

不運なことなのでしょうか?

何だかわからなくなりました。

例えば私が不意に湧いた内なる病魔と戦う時が来たときに、

自分の人生をもがいて、苦しんで、恨んで、呪って、

それでも行き着くところまでは生きなければならない定めを、

受け入れることの出来るのか?

想像することは・・・・容易ではありません。

明日、和子ちゃんも同行して一家でお見舞いに行ってきます。

Yさんはヒトに会うことさえ煩わしいようですが、

明日は無理を押しても、かおるやさとるには有り難うのことばを

身に染みて感じてほしいと部活を休んで連れて行きます。 

ヒトの一生を間近で見る機会の少なくなった今、

お見舞いも、葬儀も命の尊さを知るには絶対に立ち会うべきだと

考えています。

明日、どんな顔をして合えば良いのか、まだ準備は出来ていません。

凛とした生き方に憧れ、私の人生の帰路には心の支えとなってくれたYさん。

命 続く限り 「有り難う」を言い続けます。




誰もが必ず終りのある人生。

私は「有り難う」とありったけの声を上げて逝きたいと思います。


マイケル・ジャクソンと知事

2009-06-26 | Weblog
また 音楽界 いや それ以上の大きな世界の人物がこの世を去った。

突然の訃報は世界中に激震が走り、マイケルを深く知らない世代の人たちにも、

亡くなったことがどういうことなのか、知らせることとなった。

多くの重圧の中で生き抜いた人生だったろうと推測するが、

それでも国境を超え、人種を超え、性別を超え・・・

多くの人々に影響を与えたマイケルのような人はそうはいない。

誰もが一度は耳にしていた音楽も、実はそんなに多くはない。

それまでの常識や認識を変えるパフォーマンスでいつも人々を驚かせ、

何かと話題が事欠かなかったが、

実際今世界各国で活躍する多くのアーティストたちに、

大きな影響を与えたことは間違いない。

一石を投じるということは常に評価は一定ではなく、

本意ではない流れに翻弄される結果となり、自身が迷うことになるが、

それでも自分のポリシーを貫く力がなければ生きることは難しい。

スーパースター故の孤独や苦しみがあったとはいえ、

これだけの人々に影響を与え続けたマイケルに敬意を表したい。

日本も今 宮崎県知事が多分自身の進退を掛けて色々発言していると思うが、

やり方は別として国を変えたいという心意気は間違っていない気がする。

しかし、発言や時期の見極めが難しい政治の世界に一石を投じる結果とはなっているが、

関連した大の大人が右往左往している様子を大々的に映し出すのは余り関心は出来ない。

回りに群がり、持ち上げ、手放す人の波をかいくぐりどう進むのか、

人気にあるうちに国に進むのか?任期のあるうちは足下を固めるのか、

芸能人出身の政治家としてではなく、

宮崎県という一国の主としての手腕が問われている。

この先、マイケルと同じ道を辿らなければ良いのだが・・・

自身の発言や行動が与える影響力を知ることも上に立つ者としての大事な役目だと思う。


マイケル・ジャクソン。

歴史に残る人物の最後の目に映ったものは何だったのか。。。


心静かに祈りたい。