kasaruの今日も有り難う

僧侶歴46年。講演依頼受付中
サルコイドーシス・バセドウ病の旦那
岡山へ就職長男23歳
アペール症候群次男19歳

愛する

2006-02-13 | Weblog
 僕は 愛する人を守る為に産まれてきた。

 時に理不尽な思いで取った 非合法な手段も

 愛する人を守るが故。

 いつの時代も 愛することの 行為は

 己の解釈にのみの判断で進む・・・

 本当に愛する人の仕合わせの為なのか?

 愛する人の笑顔は 本物だろうか?

 愛すること意外に その人を守る手立てはないのか・・・

 歪んだ愛の行方は 誰にもわからない。

 信じたものの為に 壊されていく心は

 愛の重さには入らない・・・

 殺意の刃は 愛の裏返しなのか?

 消えていく 幾つもの命に 愛は満たされているのだろうか?




世の中の不条理な命の奪い合いに 心悲しく・・・
人の人としての心を 考えさせられます。

法事とは・・・

2006-02-13 | Weblog

昨日は 住職が千葉へ葬儀の為

私が法事を・・・

当家の都合で早朝8時30分から。。。

92才の方の43回忌と22才の方の50回忌

お参りされる方も 80近くの高齢夫妻+60代の息子さん

読経前に挨拶をすると「いつまで法事はするもんだ?」との話。

皆さんは 身近な方をはじめ、御先祖様の法事を

どのように受け止めておいででしょうか?

亡くなった方を供養する。。。当たり前とは言い切りませんが、

やはり勤めていただきたいもの。

通夜、葬儀並びに告別式はもちろん、その後の

初七日から始まる 定期的な法事はやはり自分が

生きていく上でも大事なものだと思います。

直接跡取りじゃないから、嫁いだから、まだ亡くしていないから、

そんな理由で 法事をしないという方は結構いらっしゃいます。

本来は自分ひとりで生きてきたわけではないので、必ず御先祖様が

どの人にもいるわけです。

直接・間接自分にとっては供養すべき方が必ずいるという

存在を認識して欲しいと思います。

特に嫁いで来ている(婿でも同じ)実家の先祖の供養は、

跡取りの役目とばかりに 声がかからなければ、

手を合わせる機会を持たない!というのも例外ではなく、

跡取り以外は 口を出すものじゃないような風潮もあり、

また イザ法事でも、忙しいという理由で(仕事・学校)

次世代の家族は来ない 年配者の仕事として先攻しています。

何の為の法事か?意味の分からないお経に時間と浄財を取られ、

親戚・近所の摩擦を疎ましくおもい・・・良い意味での法事は

なりを潜めています。

本来の法事は 亡き人を通して 佛(神)の教えに出会い、

自分の命に感謝して、生きとし生けるものを慈しむ。そんな

意味が大きくあるのです。

亡き人がいなければ、自分の命が無かったことを 

もう少し重く受け止めるべき行為が身近には法事という形に

なって欲しいと願うのです。

何回忌まで?と言われたその方には 命の続く限り

手を合わせる気持ちを持ち続けて欲しいと話しました。

キチンと命と向き合う大切さを怠った、我々僧侶の

恥ずべき問題なのですが・・・

皆さんも 年忌法要関係なく 手を合わせ 法に合わせていただく

機会をわざわざ作ってください。

そこから 自分の命の出発があると思うのです。

私でよろしければ 何処にでも伺います。

宗派を超えて手を合わせることに感謝する。

そんな時間を一緒に過ごさせてください。

皆さん 法事をしましょう!!