感動との出会いをもとめて・・、白いあごひげおじさん(もう、完全なじじいだな・・)の四国遍路の写真日記です・・
枯雑草の巡礼日記
醍醐寺、修行の寺、仁王門から金堂へ
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京都市の東辺、伏見区の醍醐寺(真言宗醍醐派総本山)。弘法大師の孫弟子、理源大師
により貞観16年(874)、笠取山山上に創建されたと伝える。そこは当時、山岳信仰の盛んな
霊山であったという。後に醍醐山と呼ばれるこの地は、麓より険しい山道を歩いて40分程、
上醍醐と呼ばれ、修験の道場として発展する。そして、山裾にも寺域を拡大し、多くの伽藍が
建てられ、下醍醐として隆盛をみるようになる。戦国の時代には、他の多くの寺と同様荒廃
するが、歴史上著名な豊臣秀吉の「醍醐の花見」以降、再興され、今に見るような広大な
寺域と多くの堂宇を有する大寺となった。
醍醐寺(下醍醐)の正面、比較的小さな総門を経て、しばらく参道を辿ると、通称仁王門と
呼ばれる西大門がある。慶長10年(1605)の再建。仁王は平安後期(1134)の造立で、
独特の表情を有する。(写真1~3)
西大門より更に参道を進むと、左手に金堂(国宝)の大伽藍が望まれる。慶長4年(1599)
紀州湯浅の満願寺より移築されたもの。12世紀後半の建物と言われるが、移築時に大改造
が加えられたようで、桃山時代風の華麗な屋根が目を引く。寺の本尊である薬師如来(三尊)
を安置する。(写真4~6)
金堂の向いに、清瀧宮本殿(重文、1517年の再建。上醍醐にある宮の分身)がある。空海が
唐より勧請した密教の守護神を祀るという。当時の仏教と神社の関係を物語る。典型的な流造
だが、極彩色の梁柱が美しい。(写真7、8)
(この寺は、仏教を学ぶ若い僧が多く集まる寺だという。広い寺の境内、或いは周囲を歩いて
いると修行の僧であろう、緊張した表情の若者によく出会う。
私が四国遍路でお参りするあるお堂の堂主も、この寺で修行された方と聞いた。厳しい言葉
と優しい表情と・・そんなものを、この地で身に付けられたのであろうかと、ふと思ったりした。)
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東寺、この壮大な真言密教の本山
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京都市南区九条町に在るこの著名な寺。正式名はかなり長大なものだそうだが、通称は東寺、或いは
教王護国寺と呼ばれる。延暦15年(796)の創建と伝えるが、その後、弘仁14年(823)弘法大師
空海が嵯峨天皇からこの寺を賜り、真言密教の根本道場とするとともに、国家鎮護の寺としての性格
を併せ持つこととなる。このことが後に、王を教えると記す、別名教王護国寺と呼ばれるようになる所以
であろう。
広大な境内に多くの伽藍を有する。主要なものでも、金堂(国宝)、講堂(重文)、五重塔(国宝)、
御影堂(国宝)、灌頂院(重文)、南大門(重文)などを数える。
金堂は慶長8年(1603)の再建。入母屋造、一重裳階(もこし)付き。建築様式は和様に大仏様を
併用。(大仏様の特徴である、柱に直接差し込まれた挿肘木を有する。この時代の建物としては珍しい)
極めて壮大な建物で、広大な内部空間に薬師三尊像を安置する。
講堂は延徳3年(1491)の再建。単層入母屋造、純和様。朱塗りの柱列が美しい。内部には、この寺で
最も著名なものであろう、五仏(重文)、五大菩薩(国宝)、五大明王(国宝)、梵天帝釈天・四天王(国宝)
などを安置する。これらの仏は立体曼陀羅を構成していると言われるが、空海が、この空間で何を説き
たかったかについては、諸説あり、定説に至らない。
五重塔は寛永21年(1644)の再建。高さ54.8m、木造塔としては日本一の高さ。塔全体が黒く、
五重塔特有の空に向かってとき放されたような開放感には欠けるように思える。一方、多くの塔の
ように上層にゆくに従って小さくなる度合が少ない形状が、この塔に荘重な雰囲気を与えているようだ。
1~5枚目:五重塔。6~8枚目:金堂。9枚目:講堂。
(新幹線で新大阪駅に向かうと、京都駅を出てすぐ左手に見えるのが東寺の五重塔ですね。
京都駅ビルが新しくなって、壁のように市内の景色を遮るようになって、列車から古都の面影が
伺えるのは、この塔ぐらいになってしまいました。
昨年の暮も押し詰まった21日、「終い弘法」(21日は弘法大師の月命日なのです)に、四国遍路の
仲間が東寺に集まりました。年の終わりの弘法の日ですから、それはすごい人出でしたよ。
そんななかで、御影堂で納経させていただき、金堂の立体曼陀羅や五重塔をあわただしく見て
回りました。そして、仁和寺や・・、翌日は東山の方まで、暮れの京都を歩いてみました。
おっと、またちょっと前の写真で御免。)
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鞆の街に潜んで、安国寺釈迦堂
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海と山とに挟まれた鞆(現、福山市)の街の建て込んだ家並の間の狭い道を辿ると瑞雲山
安国寺(臨済宗)の門前に至る。
ここは、足利尊氏により全国に置かれた安国寺の一つで、備後の安国寺とも呼ばれる。
今に残る釈迦堂も室町時代中期(1400年頃)の建立と考えられていた。ところが、釈迦堂
に安置される阿弥陀三尊(阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩)の像内から文永11年(1274)
の造立の銘が発見されたことから、俄に時代が遡り、釈迦堂もまた安国寺と改名される以前
の金宝寺の仏殿であったと考えられるようになった。
堂々とした屋根、格子戸、波形欄間など禅宗様の色濃いお堂。背後に閼伽棚(あかだな
:法具入れ)を有する。釈迦堂、阿弥陀三尊それに開山法燈国師像、ともに国重文指定。
(寺の入口には、「留守をしています。入場料は賽銭箱に・・」の掲示。靴を脱ぎ、釈迦堂に
お参り。薄暗い中、仏の金箔と白い眼の残光、荘厳な堂内です。
お堂の裏には、大正9年(1920)焼失したという本堂の礎石と、やや荒れた枯山水の庭園
があります。名残りの紅葉の傍に潜む石地蔵が寂しい風情です。
家並に遮られて見えないけれど、青い海は目と鼻の先。漂う潮の香を感じながら、何やら
少し虚しく、寺を後にしました。)
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南禅寺、三門の上から今年を振り返れたら・・
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京都市左京区の南禅寺。京都五山や鎌倉五山の上に置かれる格の高い臨済宗のお寺だ
そうです。
国宝の方丈など、たくさんの見どころがあるのですが、南禅寺といえば、五間三戸(中央3間
が出入り口)の二重門、この巨大な門の方がお馴染みじゃないでしょうか。
歌舞伎の「楼門五三桐」で、石川五右衛門が「絶景かな、絶景かな・・」という名台詞を吐いた
のがこの門の上ということになってるそうだ。歌舞伎など、とんと見たこともねー私でも、五右衛門
のこの台詞どっかで聞いたことあるなー。
でも、実際の三門は、五右衛門の死後30年以上経った寛永5年(1628)の建築。京都三大門
の一つに数えられるそうです。
門の上に上がってみると、さすがに「絶景かな・・」納得させられますな。
この近くには、琵琶湖から引かれたきれいな水が、勢いよく迸っていて・・、東山慈照寺(銀閣寺)
までの「哲学の道」の出発点でもあるのです。春の日なら、ここを歩くのもまた良きかな・・
でしょうな。
今日で、一応今年のブログの貼り納めとしたいと思います。
この一年、詰らない写真ばかり貼ってきました・・、今日もまた特に。
来年は少し反省して・・(うそだ! 変わりっこねー)と思ってますが。
ま、とにかく来年もよろしくお願いいたします。
皆様よいお年を。
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華麗なる平安の別邸、宇治平等院(その2)
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鳳凰堂が、通常の寺院とは異なった印象を与える最も大きな要素は、一目瞭然
とも言えますが、中堂の両側に翼のように伸びる翼廊の存在でしょう。
池に映ずる翼廊の姿、廊の間から見える庭園の緑や紅葉、独特の世界を創って
いると感じられます。
それに、中堂の屋根にある二つの鳳凰。阿弥陀堂が鳳凰堂と呼ばれるように
なったのは江戸時代以降と言われます。当然この屋根の鳳凰が名付け親です
よね。この鳳凰、金銅製で高さ2.3mあります。現在、屋根にあるものは複製で、
本物は宝物館「鳳翔館」に展示されています。近くで見ると相当の迫力です。
10円硬貨に鳳凰堂がデザインされているのは、誰でも知ってますね。
でも意外に気付かないのは、一万円札のデザイン。あまり、しげしげ見る機会も
ない(私だけかな・・)のですが、裏面の左側、これが鳳凰堂の屋根の鳳凰なん
だそうですよ。ご存知でした?。
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