感動との出会いをもとめて・・、白いあごひげおじさん(もう、完全なじじいだな・・)の四国遍路の写真日記です・・
枯雑草の巡礼日記
萩の街で(2)






夏の日の炎天のもと、
萩の街、見て歩きの後半は、町屋を中心に。
こんな日でも、旧い格子戸の店の中の、
土間は、少しひんやりとしている。
蔵の中の千両箱や生活道具を見る。
洒落た萩焼きを売る店がやたらと多い。
暑さに堪りかねて、橋本川の遊覧船に乗る。
川風が涼しい。やはりこれに限る。
船頭さんに問われて、「広島から」と言うと、
広島との縁をひとくさり。毛利家の故地は、
ご存知、広島なのだ。
船頭の顔に似合わぬ美声の「男なら・・」
を聞きながら、澄んだ川面を眺めていた。
(余計ながら、民謡「男なら」の一節をどうぞ。
「男なら お槍かついで お仲間となって ついて行きたや 下関
国の大事と 聞くからは 女ながらも 武士の妻
まさかのときには しめ襷 神功皇后さんの 雄々しい姿が
亀鑑じゃないかいな オーシャリ シャーリ」 )
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萩の街で(1)






山口県の日本海に面した萩の街。
関ケ原の戦いに敗れた、毛利輝元が、
萩に移封され、城を築いたことに始まる。
徳川幕府に対する怨念が、
260年の後、倒幕の先陣をきらせたと
言われる。
その間、蓄えられた人々の力の行方を、
見るような、街並みが、今も残されている。
夏の日の炎天に、汗を拭きながら・・。
その1は、武家の家を中心の見て歩き。
(土塀に続いて、周布家長屋門、繁沢家長屋門、益田家物見矢倉、
菊屋家住宅の座敷、田中義一別邸。田中義一は、陸軍軍人で
昭和2年、第26代内閣総理大臣を務めた人。
ボランティアで別邸の世話をする婦人、「山口出身の総理、安部さんで
8人目です」と言う。やはり、多いのだ。因みに7人は、伊藤博文、
山県有朋、桂太郎、寺内正毅、田中義一、岸信介、佐藤栄作、だそうだ。)
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木曽路宿場印象(2)







ここには、
さわやかな日陰と、
清涼な水がある。
格子戸に懸けられた花籠、
店先の、細かな木細工や、
踊る人形の姿が、
懐かしさと楽しさを誘う。
豊かな時が流れていそうに、
思わせる。
中仙道、妻籠宿での想いです。
(江戸時代、中仙道の宿場として栄えた妻籠宿。
住人は「売らない、貸さない、壊さない」の3原則により、その街並み
を今に伝えてきたという。苦労が偲ばれる。しかし、そのお陰で、
この豊かな、懐かしい時間を、我々は体験できるのです。)
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木曽路宿場印象(1)







ここには、
さわやかな日陰と、
清涼な水がある。
白壁に落ちる木陰、
本陣の土間の陽だまり、
その奥の光る板床。
活気ある声が、
飛び交ったであろう。
豊かな時間があったであろう。
木曽路の宿場で想う。
(江戸時代、京と江戸を結ぶ中仙道、その木曽路の宿場、妻籠、馬籠
が今に残されています。馬籠宿は、島崎藤村の出生地として有名。
落ち着いた妻籠宿にくらべ、やや観光化の印象が強いのですが、
石畳の道や、白壁や、店先の佇まいから、当時の活気と豊かな時間が
偲ばれます。)
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