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北方領土の歴史

2016年02月11日 | 時事
島尻北方相「歯舞」読めず 11月に視察したばかり 元島民ら「残念」「勉強を」
確かに北海道の地名は普通に読み難いですけど、担当大臣が読めないのは困りますな。

北方領土とは択捉、国後、色丹、歯舞群島のことですが、予備知識のない小学生に読ませれば、おそらく1つとして正解できる子はいないでしょう。そもそも北海道自体が明治になって日本に組み込まれた地であり、江戸時代には一応松前藩の支配地域とされていたものの、大半はアイヌ民族の住む蝦夷地という認識でした。記紀の日本創生の話には日本のことを大八島と読んでいますが、当然その8つの大きな島の中に、北海道は含まれていません。つまり北海道はここ2~300年の間に新しく日本になったため、その地名や言葉は外国語に当て字を振るようにして日本語となり、その結果読みにくいものが多いのですね。これは沖縄でも同じことが言えるでしょう。まあ、北海道の遺跡は本土に残る縄文遺跡と同じものですし、江戸時代にはアイヌ民族の協力を得て伊能忠敬らも北方領土の地図を残していますから、アイヌ民族は古代の日本人と祖先を同じくし、途中には当然対立もあったものの、長年に渡り交流も深め、近世から近代に遷る課程で日本に編入された土地と言えるでしょう。人的交流も盛んに行われたため、現代では北海道に行っても当然人種や文化等に何ら違和感をもつことはありませんし、その地名の不思議さが際立つのみとなっています。そのアイヌ民族の暮らしていた北方領土も、当然ながら我が国固有の領土となるわけです。

実は、ロシア側も北方領土については「古来より我が国固有の領土」というような主張はしていません。根拠は一つ、「戦争に勝ったから支配権を得た」ということです。しかしこの辺りの歴史を詳しく調べてみれば、日本がポツダム宣言を受け入れた8月15日以降にソ連の北方領土侵攻が行われており、まさに戦後のどさくさに紛れてもぎ取ったというのが真実なのです。竹島もそうですけど、日本が無抵抗である時期を巧妙についた作戦であり、国際法に照らしてみても不当に実効支配された日本が返還要求をし続けることは無理からぬ話ですな。
ただし、先にも述べた通り北海道自体がここ2~300年の歴史しかなく、北方領土も奪われて早70年が経過してしまっています。そもそも「国」の定義とはあってないようなものですし、領土も土地に名前が書いてあるわけではありませんから、人が住み、その人が「ここは○○国だ」と認識し、周りがそれに異を唱えない状態を便宜上「国」としているだけの話です。国の歴史はそういう状態の中で逆説的に刻まれていくものでしょう。もし何百年か後に振り返り後世の人が「この時代は○○が治めていた」と判断するとしたら、この70年間は間違いなくロシアということになってしまうでしょうね。戦後70年談話の時にも述べましたが、70年とは世界の人間の平均寿命であり、人類史の一区切りとなるには十分な期間です。いつまでも戦後賠償を!と叫んでいる人を非現実的で嘆かわしく思うのと同じ立場で、北方領土70年についても何らかの区切りを入れるべきでしょう。過去には交渉努力によって「2島返還」まで呑むという約束も取り付けているわけですし、欲張って3島あるいは面積二等分という話も出ていましたが、金目で解決することも含め、早急な解決を望みたいものです。

それには大臣にしっかり勉強してもらわないと・・・任期が終わるのを待つだけの税金泥棒では困りますな。

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