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夫婦同姓合憲

2015年12月17日 | 時事
夫婦同姓規定は合憲=再婚禁止100日超は違憲―民法改正へ、最高裁初判断
至極まともな判断だと思うのは自分が男だからでしょうか?

現行の法律上は「結婚したら夫もしくは妻の姓を名乗る」つまりどちらかに統一せよとだけ書かれていて、そこに男女差はありません。例えば子ども女の子しかいない家庭は婿をとって家を継ぐことができますし、その場合は妻の姓を名乗りますからね。妻が男性側の姓を名乗ることが多いことは否定しませんが、それは日本の慣習的なものなので法律の不備ではないでしょう。統一されることで帰属意識が高まり、共により良い家庭を築いていく決意ができると言う意味で、日本の風土に合っているのではないかと思っています。
これを「世界に対して遅れている」というような論調もありますけど、必ずしも世界が正しく日本が悪いということはありません。文化や伝統に裏打ちされた技術・精神などは十分に世界最先端にあるとさえ思っています。何でも「みんなもやってるから」という子どものような理屈でなく、死刑制度然り、18歳選挙権然り、1つずつちゃんと考えることは必要でしょう。

教員をやっていると、同僚が結婚して姓が変わり、○○先生と別の名前で呼ぶのに違和感を覚えることがあります。子ども達もしばらくは間違えて呼んだりもしますが(笑)まあすぐに慣れますし、「結婚したから姓が変わったのだよ」という最も身近な学習材料として日本の文化について話すこともできるわけです。また、そういうのが煩わしいと思う人は転勤まで旧姓で通し、新しい学校から別の名前で呼んでもらうということもあります。何も絶対に変えて呼ばないといけないということはなく、「通称」として仕事上旧姓で呼ぶことも認められているわけで、通常の生活では特に不便はないのかなと思っています。
もちろん長年使っていた姓が変わるというのは一大事ですし、短くない期間中違和感を覚えるのも当然でしょう。しかし人生を通して見た場合、例えば30代で結婚しても平均寿命までは明らかに後で名乗る姓の方が長くなるわけです。何十年と連れ添って、それでも相手の姓でいることが苦痛だと感じるのなら、それは姓ではなく相手か自分の人間性の方に問題があるわけなので、離婚して元の姓に戻すという選択肢もなしではありません。そういう場合でも手続き等はしっかりと取り決めがなされているわけですから、同じ姓が違憲という見方はやはりおかしいと思うわけです。

再婚禁止問題については、民法ができた頃には存在していなかったDNA検査などが今はあるので、誰の子か分からないから念のため・・・という必要はもうないでしょう。こういう技術や時代の変化によって変わる部分は変えて当然だと思いますが、そもそもこれら両方に貫かれている本質的な理念は、家庭をもつことによって生じる新しい命が両親の軋轢によって不利益を被らないようにと言う切なる願いにあるわけです。日本は家族の中でお互いを呼ぶ時は子ども中心、しかも一番下の子中心に呼びます。言い方だけ国際化し「パパママ」と呼ぶようになっても、自分の妻を「ママ」と呼んでるうちはやはり日本文化なのです。それだけ子どもを大切にしている国であり、そういう風土の下で作られた独特な法律であると言えるのかもしれません。

子どもにとって両親の姓が違うということがどれだけ不安を生じさせるか。本当の親じゃないという疑念も微塵も生じさせてはいけない。民法が守ろうとしているのは両親の手前勝手な自由ではなく、子どもの尊厳なのではないでしょうか。