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王朝交代?

2013年02月11日 | 時事
王朝交代あった? 継体天皇 担がれた傍系の王族
本日の朝日新聞に載っていた記事です。

内容は「万世一系とされる天皇家に、実は王朝交代があったのでは」というもので、26代継体天皇の特集でした。この天皇は、その前の25代武烈天皇の崩御の際に後継者がいなかったので、第15代応神天皇の5世の孫にあたる、いわば「遠縁の親戚」が即位したという珍しい事例であり、記事の結論としては「5世も前に溯った親族に移ったのは、もう王朝交代とみなされるのではないか」というものでした。
自分の知る限り、実は天皇の王朝交代説は今回紹介された崇神・仁徳・継体説以外にも2つ存在しています。1つは前述にも出た15代応神天皇です。仁徳同一人物説もありますが、実在が濃厚な最古の天皇であり、真に大和朝廷を統一した人物であるといえるでしょう。応神以降は活躍の記録もぐっと詳しくなりますが、裏を返せばその前代までの情報は名前と伝説じみたものが多く後は不詳、つまり残したくない過去が少なからずあったのではないか、というものです。もう一つは40代天武天皇で、38代天智天皇の崩御の際、自動的に天皇になるはずの39代弘文天皇(大友の皇子)を討って天皇になったことから、王朝交代説があります。何しろ神代の時代からの天皇の系譜をまとめた「日本書紀」を書かせた張本人ですから、都合よく系譜を弄るのも容易だったでしょうしね。天皇の名は「諡号」と言って、後の学者が名付けるものですから、あえて名前に「継ぐ」という字や、初代神武天皇の「神」や「武」の字があったりするのも、何らかの示唆ではないかといわれています。まあ、どの説も「言われてみればそう考えることもできる」というだけで、推測の域を出ていませんけどね。

こうしてみると、朝日新聞はこの中で一番血生臭くない説を取り上げたようですが、問題はその時期、つまり今日あえてこの話題を投じている事にあります。
言うまでもなく今日は建国記念の日、つまり、初代神武天皇がこの国を建てたことを祝う日です。何故そんな昔のことが日にちまで分かるかというと、紀元前660年の旧正月(新月の日)ということから計算し、2月11日とされているそうです。その日から125代今上天皇に至るまでの2673年間、一度も男系が途切れることなく続いている、世界唯一の国が日本なのです。そんな日に、脈絡もなく「天皇家に王朝交代があった!」なんて特集を組む朝日新聞に、悪意がないといえるでしょうか。「成人の日」にはいくら叩かれようともそれなりのコラムを寄せるのに、この日に限っては「建国記念の日」について全くどこにも触れていないのも不気味ですな。

まあ、そんな日に王朝交代説の残りを書き走っている自分も同罪ですが(笑)