月と歩いた。

月の満ち欠けのように、毎日ぼちぼちと歩く私。
明日はもう少し、先へ。

イバラの道が開けた

2017-09-10 | 仕事
引っ込み思案ではいけないと、日本酒の勉強会に参加するため、東京へ行って来た。

まずは80種類の日本酒をブラインドでテイスティング。
「香り・味・バランス」の3項目を1~5点でそれぞれ評価していく。
本気のきき酒なので一切飲み込まない。「ハキ」と呼ばれるバケツのようなものに吐いていく。

一度に何百種類もきくという先生もいるが、私みたいなひよっこがまともに評価できるのは50種類くらいまでだなと実感。
五感をフル活動させるので、神経も使うし、本当に疲れる。
結局、2時間かかった。

その後、集計をしている間に、東京農大の准教授による講義を受けた。
日本酒のアミノ酸に関する話がほとんどで、なかなか面白かった。久しぶりに化学式を見て、ずっと眠っていた脳が活性化した感じ。

講義の後は、先ほどのブラインドテイスティングの結果発表と懇親会。
懇親会会場には、ブラインドにしていた瓶が出されて銘柄もわかるようになっており、それぞれの成分表もつけて置かれていた。
それをまた自分の評価と照らし合わせながら再テイスティング。

みんなの評価が高かった入賞酒と自分の点数がほとんど合致していたのでホッとした。
たまにしか本気のきき酒はやらないけど、やっぱりバカ舌ではないらしい。

この3ヶ月くらいの間に、30~100種類くらいの日本酒を一度にきき酒する機会が何度かあった。
やっぱりたまにはこういうことをしないといけないなと思う。
飲み屋であーだ、こーだと、酒の分析をするのは嫌いなのだけど(楽しくないから)、それとは別に、きき酒の勉強も続けていかないといけないなと思った。
疲れるけど、五感がパッと目覚めるのを感じて気持ちはいい。

今回もとてもいい機会だったが、やっぱり引っ込み思案はそのままで・・・。
懇親会で200名近くいる中、自分は何もできず、ポツンと。
取材班の人がいたので、完全にひとりぼっちではなかったが、少しも社交的に振る舞うことはできなかった。
行く前は「名刺30枚で足りるかな?」と思っていたのだが、結果的に10枚も使わなかった・・・。
同じライターさんは知り合いも多く、いつも誰かに声をかけられている状態。
私は仕方なく、ひたすら再テイスティングに励んだ。
ああ、こんなときも、お酒だけは私にやさしいのね、と思った。

良い意味でガツガツできる人を羨ましく思う。
広い会場の中で、お酒を一人でテイスティングしながら、みんなが談笑しているのを見ていた。
小学生の頃を思い出した。
授業中に答えがわかっているのに、先生が「誰かわかる人?」と聞いているのに、どうしても手が挙げられない。
自意識過剰。失敗と怒られることがとにかく怖くて仕方がなかった。

だからいつも芸人のレイザーラモンRGを見ていて、こういう人になりたかった!と思う。大好きだ。
あんなにすべっているのに「あるある」を歌い続けられる・・・。あんな人になりたかった。
とにかく心臓の強い人に憧れる。自分らしく生きられる人に憧れる。

日本酒社交界にデビューはできなかったが、多少はいいこともあった。
ある蔵元さんと名刺交換できて(それも同行していたクライアントにお願いしてついてきてもらって)、そのとき、嬉しいことを言われたのだ。
私の名前を見て「A酒店の通信でコラム書いている方ですよね?」と。
私は1年半ほど、Aさんのところの通信でコラムを書かせてもらっていた。「そうです」と言うと「あれいいですよね」と褒めていただいた。
実は、この前にも2つの蔵元さんから同じことを言われていたのだ。
でも、Aさんのところが3号店を出す予定でバタバタしていてお金もないということもあって、一旦コラムも休載になったところだった。

この勉強会に行く前は、ほとんど無償でやっていたコラムだったし、そんなにガツガツとやらなくていいかなと思っていたので、休載のお知らせをもらったときも、わかりましたー!と、普通に対応していた。
でも、勉強会の帰りの電車で、Aさんにメールしている自分がいた。
今日を含めて3蔵の人からコラムのことを言われたこと。無償でもいいので、ご迷惑でなければまた書かせてもらいたいということ。

すぐに返信が来て、ぜひお願いしますとのことだった。
やったぞ、かおり!という気分だった。
社交界デビューはできなかったし、いつもの私なら落ち込んで手がつけられないような状態になっていたと思うけど、なぜかこの日はそうはならなかった。

私なりの一歩だ。
そう思えた。

日本酒のことに逃げずに向き合っていこうと、そう思える自分がいた。
蔵元、酒販店、料飲店、日本酒業界の人・・・総勢200名近くこの業界のプロフェッショナルばかりが集まる会に参加して、皆が本気で日本酒に向き合っている姿を見て、私も本気でやりたいと、今さらながらそう思えたのだ。
これまではずっと逃げていた。本気でやるのが怖くて(どうせ皆より劣っているから)、自分に逃げ道を作って来たけれど、やっぱり私は日本酒という文化を、伝統産業を、後世にしっかりと伝えていくことに関わりたいと思った。
でも、日本酒を造ることもできないし、同じライターのIさんみたいに講師をやることもできない。
結局私ができることは「書くこと」だけなんだ。
書くことで、日本酒業界をどうしても応援していきたい!そう思って、もうそのことから逃げないぞと思って、Aさんにもメールしたのだった。

いつもいつも私が人生の節目で言うことだけど、自分の心が動けば、周りがそれを必ず助けてくれるようになっている。
これはとても不思議な話なんだけど・・・。
自分が勇気を持って一歩踏み出したり、覚悟をしたりしたとき・・・つまりは、自分が自分というものを超える努力をしようと思ったときには、必ず神様は私に力を貸してくださるのだ。

昨晩遅く、私の尊敬するY師匠からメール。
「Dスポーツで日本酒のこと書いてみない?」

Y師匠は、私が書いている日本酒の雑誌の編集を担当されている方で、もともとはK新聞にいて、そこからフリーになって自らも現場で取材して書き続けている人だ。大学でマスコミ論等の講師などもされている。私が最も尊敬する師匠。
最近、師匠はDスポーツ新聞社のネット記事も書かれていて、それは読ませてもらっていたのだけど、そこに日本酒のことを書いてみないかというお誘いだった。Dスポーツに紹介してくれるとのこと。

そのメールを見た瞬間、ぞくっとした。
ほら、また始まったよ、と思った。
いつもそうなんだ。私が本気になってがんばろうと思ったら、神様はちゃんと道を用意してくれる。それがイバラの道であっても。
その道はどんなに進むことが怖くても、絶対に進まなければならない。

引っ込み思案でも、何もその場でできなくてもいいんだ。
今回はその場に頑張って行くことが、私のチャレンジだった。
人と比べても仕方がない。自分なりの小さな一歩を踏み出せるかどうか、それが一番大切なことだと思っている。
それができて、新たな覚悟ができたら、神様はいつだってご褒美をくれるのだ。

この勉強会が直接もたらしてくれたことではないが、ここに行ったことで刺激を受けたら、日本酒のことを書く媒体がたった3日のうちに2箇所もできた。
46歳になって頑張るのは大変だけど、でも、また頑張ろう、自分を超えようと思っている。
だって、これからが恩返しだ。
私にいつも優しいお酒が、ちゃんと日本国民の生活に届くまで、私は書き続けたい。