鴨着く島

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安倍晋三著『美しい国へ』を再読①

2022-07-20 20:00:32 | 日本の時事風景
7月8日に不慮の死を遂げた安倍元首相は2006年(平成18年)に『美しい国へ』を書き、文春文庫として出版している。

5年ほど前に一度読んだのだが、今回の事態を受け、再読してみた。

出版したのは2006年の7月であったが、その9月にポスト小泉をめぐる自民党総裁選で勝利し、第1次安倍内閣が発足した(52歳の首相就任は戦後最年少)。

しかし翌2007年の7月に行われた参議院選で自民党は大敗し、安倍氏は9月に健康問題(過敏性大腸炎)により辞任し、代わって福田康夫内閣が1年、次に麻生太郎内閣が1年続いたあと、野党の民主党が内閣を組織することになった。

民主党最初の首相は1955年の保守合同の時の民主党総裁だった鳩山一郎の息子の鳩山由紀夫であった。半世紀後の因縁を感じさせる親子の民主党内閣であったが、沖縄の辺野古基地問題をめぐり「最低でも沖縄県外、可能なら国外」という表明により、保守からのブーイングを浴びて辞任した。

次の菅直人内閣の時にあの「東日本大震災」(2011.3.11)が発生し、対応の不手際によって辞任し、野田佳彦内閣となった。翌2012年の12月の党首討論で野田氏は衆院解散を安倍氏に約束するというこれまでにない事態になり、解散後は自民党の圧勝となり、政権は再び自民党の手に移り、安倍晋三が返り咲いた。

その後、1昨年(2019年)の9月に辞任するまで3次の組閣を行い、通産の総理就任期間が3188日という戦後最長の記録を打ちたてたのは、記憶に新しい。

この『美しい国へ』は2006年7月に出版している本であるから、当然のことだが2006年の9月に初めて首相に就任する直前までのことが書かれている。

タイトルの「美しい国へ」というのは川端康成がノーベル文学賞を受賞し、スウェーデンで講演した時の「美しい日本の私」を下敷きにしたタイトルだろうと漠然と思っていたのだが、川端のその講演には全く触れられておらず、今回それは間違いだと知った。

本の中で「美しい国へ」という項目はなく、また小見出しもないのである。で、どうしてそう名付けたのかは憶測でしかないが、本書本文の最後に書かれている次の文章から採ったのだろうか。

<わたしたちの国日本は、美しい自然に恵まれた、長い歴史と独自の文化を持つ国だ。そして、まだまだ大いなる可能性を秘めている。この可能性を引き出すことができるのは、わたしたちの勇気と英知と努力だと思う。日本人であることを卑下するより、誇りに思い、未来を切り拓くために汗を流すべきではないだろうか。
 日本の欠点を語ることに生きがいを求めるのではなく、日本の明日のために何をなすべきかを語り合おうではないか。>

この文章の最初の一文から「美しい国へ」を抽出したのかと思われる。

以下にこの書が構成する7つの章立てに従って、安倍氏の残した記録と信念の一部を抜き出し、コメントを加えてみたい。

(※書いている途中でニュースを見たら、コロナ感染者数が15万人を超えたという。驚くべき数字だ。
鹿児島県も2700人を超え、つい一昨日の最高記録1700人を1000人も超えてしまった。
我が鹿屋市も220人だという。これは先日の102人だったかの100人超えをはるかに上回る数値だ。
明日から夏休みに入るので、帰省客や旅行客の増加は間違いないことであるから、いったいどこまで増えるやら・・・!)

安倍晋三著『美しい国へ』を再読①・・・終わり