鴨着く島

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広島平和記念式典2020

2020-08-07 12:30:33 | 専守防衛力を有する永世中立国
上天気の8月6日、75年前の広島もそうだった。

午前8時15分、テニアン島から飛来したB29爆撃機は、広島市(人口35万)中心部の太田川にかかる「相生橋」をめがけて「リトルボーイ」(ウラン型原子爆弾)を投下した。

落下直前にさく裂した原爆は、瞬く間に広島の街を灰燼に帰せしめた。落下地点周辺では閃光とともに6000度という超高熱が発生し、瞬時に体が燃え尽きて蒸発した人もあった。

コンクリートの建物の壁で、そのような死に方をした人の「人の影」が刻印されたものがあり、弔うべき遺骨も残らなかった。

蒸発を免れた人でもバラバラになったり、真っ黒焦げになったり、悲惨極まりない状況が無数にあった。

アメリカでは長い間公式見解として、この人口密集地への狂気の原爆投下を「日本の降伏を早め、米軍人たちの無用の犠牲をなくするために使用したのであり、正当である」と言ってきた。

しかし、核兵器禁止条約が国連で受理され、参加国が増えるにつれたアメリカでも「原爆は使うべきではなかった」という論調が多くなってきた。

結構なことである。それにつけても日本政府はこの核兵器禁止条約を批准しようとしない。

「アメリカの核の傘が必要だから」という認識からだが、いったい日本人は自国に2発もの人類史上例を見ない残虐な原爆さく裂の被害者でありながら、なぜアメリカに追従するのだろう――と多くの批准国はそう思っているはずだ。

批准しようとしない核保有大国の人間でも、日本の「核の傘」論には首をかしげる人が多かろう。いつまでアメリカの言いなりになっているのか、と。


折しも、夜のNHKで「NHKスペシャル 証言と映像でつづる原爆投下全記録」という番組があったので視聴したが、一発目の「リトルボーイ」が爆撃機エノラゲイに積み込まれる様子と、二発目の「ファットマン」(プルトニウム型原爆)が爆撃機ボックスカーに積み込まれる様子が映されていた。

さらに機体から投下し、目標にたがわず爆発してキノコ雲が上がっていく様子もそれぞれ映し出されていた。

アメリカが戦時国際法に違反する「非軍事施設への攻撃」を無視して市中のど真ん中に投下したのは、トルーマンは「広島は軍事拠点だったから」との認識だったし、また投下の指揮に当たった軍人は「日本人は誰もが戦闘員だったから」ということらしい。

子供達や女たちでも学校や地域での「軍事教練」で竹やりを振りかざしたりしているので、非戦闘員ではない――というのが彼ら原爆投下責任者の言い分である。

あきれた話である。仮に米軍が上陸してきて、米軍に対して竹やりで攻撃してきたというのならその屁理屈もある意味通るが、この場合、単なる正当化のこじつけだ。

もっとも米軍の指導層では「死んだ日本人は良い日本人だ・・・」と日本人殺しを容認していたから、この見解もありなのだろう。それほど白人以外の有色人種を見下していたのだ(今日でもアメリカで黒人への差別勘定は極めて根強いのは、今度の警官による黒人殺しに見る通り)。

百歩譲って、原爆は純粋に軍事施設を狙って落とすべきだったのだ。広島ではなく海軍軍港のある呉へ、長崎ではなく同じく軍港のある佐世保へ。これだけでも十分に日本への降伏勧告になったし、あとあと原爆使用の正当化をこじつける必要もなかった。

いずれにしても危険な放射能を発生するような大量殺戮兵器を、軍事拠点でも何でもない町のど真ん中に落としたのは、アメリカの永遠に続く汚点(業)である。

こんなアメリカに忖度して「日米同盟のさらなる強化」などと言っている日本政府は当然「核兵器禁止条約」を批准しないだろう。

アメリカ政府が「惨状ばかり展示している原爆資料館は閉鎖してくれ」「平和祈念式典も止めてくれ」と言ってきたら今の日本政府はそれに従うのか?

いつまでたったら「不戦の誓い」を体現するべき日本独自の外交に移行しないのだろうか?

「永世中立宣言」が日本の今後の最大の政策だ。世界はそれを待っている。

昨日(8月6日)は朝の広島祈念式典を見、8時15分の黙とうをしてから姶良市に初盆の家族を訪ねた。その途中、7か月ぶりに霧島神宮を参拝。天孫初代のニニギノミコトを祭る。朱塗りの美しい拝殿・本殿などは江戸時代の正徳年間(1711~1716年)のもの。重要文化財。日本の安全と世界の平和を祈る。