鴨着く島

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安倍首相が歴代最長を超える

2020-08-28 09:17:27 | 日本の時事風景
安倍晋三首相が明治以降の議会制度の中で就任した歴代首相中、就任期間2799日で歴代最長になった。

明治以降に総理大臣になったのは60名余りで、代数では98代目。戦後75年では56代の総理大臣を輩出してきたが、戦前戦後を通じて最も長い。

戦後に限れば、大叔父の佐藤栄作首相の2798日が最長だったが8月24日付でこの記録を破った。

佐藤首相は母方の祖父だった岸信介首相の実弟で、両兄弟は出来がよく共に東京帝国大学から官僚の道に進んだ。

祖父の岸信介は満州帝国の官僚を経て戦時の東条英機内閣に商工大臣として入閣しているので、「太平洋戦争を引き起こした一味」の一人として東京裁判では「戦犯」に挙げられている。

安倍首相は祖父の戦犯云々については何も言っていないが、岸信介が首相の時の「日米安保改定」(1960年)で、それまでの米軍駐留がほとんど「占領軍」(治外法権が適用されていた)に近かったのを、改めさせた—―という功績を語ったことがある。

しかし「日米地位協定」とセットで考えると、駐留米軍は今でも十分に治外法権的である。大局から見るとそれほどの功績とは思えない。

それに比べると大叔父の佐藤首相の方は、「非核三原則」「沖縄返還」という2大功績がある。

非核三原則は核兵器を「持たず、作らず、持ち込ませず」というものだが、これが評価され、日本人で初めてノーベル平和賞を貰っている。ただし「持ち込ませず」はアメリカとの密約があり、なし崩しになってしまっているのだが―。

それでも唯一の原爆被爆国である日本が、その落とし主であるアメリカへ「お返しに核攻撃してやる」と今の北朝鮮のようにはならず、よく隠忍自重して「敵愾心も核も決して持たないぞ」と宣言したことが、国際的に(つまりノーベル賞選定委員会に)大きな評価を得たのは確かで、今日につながる「平和大国日本」の一里程であったと思う。

ただ「非核三原則」はその頃中国が核実験に成功して核保有国になったので、危機感を覚えた佐藤首相がアメリカに対して「核の傘」(オタクの核で守ってくださいよ)に依存できたればこそであった。アメリカとしても日本が核保有に動いてもらっては困るので、ウィンウインの関係だったわけである(また、これがあるから安倍首相は今でも核兵器禁止条約に消極的なのだ)。

自分としてはそれよりも「沖縄施政権返還」の方を佐藤首相の大きな功績だったと思っている。「核抜きせず」は残念だが、何よりも「軍政」が万事に優先されていた沖縄が本土並みの固有文化と教育に復帰したのがよかった。(本土並みになったと言っても米軍の駐留は引き継がれた。米軍基地問題は日米安保ある限り続く。)

さて、翻って安倍首相のこれまでの功績は何か。

「異次元の金融緩和」という鳴り物入りのアベノミクスは、結局せっかくばらまかれた金は何とかファンドや高所得者のタンス預金に消えて市中には出回らず、それによる物価の上昇は起こらず、経済の活性化には寄与しなかったし、地方創生の掛け声も肝心の地方には行き届かず、かえって「東京一極集中」に拍車をかけたような塩梅である。

今度の「新型コロナウイルス禍」でも、今年度中の東京オリンピックの開催にこだわって対策が後手後手に回り、官邸と小池都知事との微妙な駆け引きのために東京都政と国政にちぐはぐさが目立ってしまった。

「GO TO トラベル」でも第二次感染のピークに向かおうとしている最中に「東京発着を除外してゴー」というおめでたい東京外しをしたが、大くの識者が言う「まだ早過ぎる、もう少し感染の状況を見極めてから。そもそも8月からではなかったのか?」を無視した結果が今のような収拾のつかない感染状況を迎えている。

前にも言ったが、あの緊急事態宣言では思い切って「東京のロックダウン」まで踏み込めばよかったのだ。結局、政府の中枢も東京にあるのでそれは見送ったのだろうが、あと一歩のところだったのに残念である。

今や安倍政権はレイムダックだ。新型コロナ禍が収まらなければ、次の首相が誰でも同じような難局が待つだろうが・・・。

自分として安倍首相に期待したのが外交であった。

あの泡沫候補と言われていたアメリカのトランプが大統領になるや、外務官僚を叱咤し、世界で真っ先に自らトランプタワー詣でをして娘のイバンカに感激されたのは記憶に新しいが、たしかにあの積極性はこれまでの首相にはなかったものだ。

趣味が同じゴルフということもあって、その後も各サミットなどでは「シンゾー・ドナルド」と言い合う仲になったが、肝心の外交懸案である「北朝鮮拉致家族問題」はトランプに先を越されて指をくわえたままだ。

一度は金正恩が「日本の首相はなぜ(トランプのように)直接会いに来ないんだ?」という疑問(叱咤)を投げかけてきたこともあったが、それには答えずじまいで、結局は金正恩に匙を投げられている。(核がらみなので、例の「核の傘」論法により、アメリカに忖度して静観するしかなかったのだろう。情けなや!)

もう一つ特筆に値するのが対ロシア外交である。安倍首相はおそらく世界でも突出してロシアのプーチンに会っている。サミットや国際会議での会談を含めて30回は下らないはずだ。しかも一度は地元山口県に会見の場を設けて招待しているほどである。

1956年の日ソ共同宣言を踏まえた上で領土問題を解決し、さらに平和条約を締結したいのが安倍首相の意向であるが、向こうには「日米安保がある限り無理だ。もし返還した北方領土に米軍基地を置かれたら元も子もない」という根本命題がある。

「日米の強固な関係をより一層深め」とはアメリカのトランプや高官と会見した時のおそらく外務省サイドの決まり文句だが、これをことごとに繰り返して止まない安倍首相は、プーチンからはもう見透かされている。上述の金正恩からも、そして中国共産党政府からも。

悲しいかな、これが現状である。

戦後の岸信介ー佐藤栄作ー安倍晋三と続く「長州家族閥」は戦後の政治史で大きな足跡を残し、また残しつつあるが、前の二者はいずれも「日米安保」そのものに深く関わった。しかし安倍晋三首相は日米安保を既定の動かざる「不易」のものとして、当然視している。

安倍さんには憲法9条の改定より「ポスト日米安保」つまり日米軍事同盟を廃した後に9条をどうするか(国防軍を明記するか)、またそれを踏まえた上で、東アジアの平和について思いを巡らしてもらいたかったが、もう無理だろうか。