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第一章:親父への旅 癌との共生へ。 ②
(2010年10月22日 | 日記)
それから僕はほとんど毎月帰省し、制癌剤注入のために入院している親父に会いに行った... -
第一章:親父への旅 最愛の人との再会 ①
(2010年10月23日 | 日記)
一か月後。初夏の日差しが爽やかな日曜日。僕は益田市の外れにある料亭の玄関の軒先で... -
第一章:親父への旅 最愛の人との再会 ②
(2010年10月24日 | 日記)
親父と彼女ミツルさんは、すぐに一緒に暮らし始めた。間もなく、ミツルさんは養老院を... -
第一章:親父への旅 最愛の人との再会 ③
(2010年10月25日 | 日記)
ミツルさんの子宮癌は、末期だった。しばらく続いていた微熱を風邪と思い、風邪薬を飲... -
第一章:親父への旅 最愛の人との再会 ④
(2010年10月26日 | 日記)
9月15日。午前10時からの法事に、僕は20分遅れで駆けつけた。医光寺の若い住職... -
第一章:親父への旅 旅の終わり
(2010年10月27日 | 日記)
親父は、翌年平成14(2002)年の春、GW突入直前の4月28日に亡くなった。8... -
第二章:1969年:京都新聞北山橋東詰販売所 とっちゃんの宵山 ①
(2010年11月01日 | 日記)
玄関ガラス扉を開けて正面、2階へと続く階段の下から3段目に、とっちゃんは大股開き... -
第二章:1969年:京都新聞北山橋東詰販売所 とっちゃんの宵山 ②
(2010年11月05日 | 日記)
僕の注意を逸らしながら、簡単な面接終了。「住み込み?通い?どっちでも好きなように... -
第二章:1969年:京都新聞北山橋東詰販売所 とっちゃんの宵山 ③
(2010年11月08日 | 日記)
1969年4月7日。僕は、19歳の新聞配達少年になった。自堕落な生活が身に付いて... -
第二章:1969年:京都新聞北山橋東詰販売所 とっちゃんの宵山 ④
(2010年11月12日 | 日記)
お菓子を食べる合間に、“おっさん”から聞いたという... -
第二章:1969年:京都新聞北山橋東詰販売所 とっちゃんの宵山 ⑤
(2010年11月15日 | 日記)
「おっさん、言うてたわ」と語り始めるとっちゃんは、顎を上げ得意そうで、一つ賢くな... -
第二章:1969年:京都新聞北山橋東詰販売所 とっちゃんの宵山 ⑥
(2010年11月19日 | 日記)
左翼思想の持ち主と我々3人の間で決まった... -
第二章:1969年:京都新聞北山橋東詰販売所 とっちゃんの宵山 ⑦
(2010年11月22日 | 日記)
一度将棋に付き合ったために、とっちゃんは毎日のように「ガキガキ~~。将棋せえへん... -
第二章:1969年:京都新聞北山橋東詰販売所 とっちゃんの宵山 ⑧
(2010年11月26日 | 日記)
「このままにはでけへんやろ。住み込みしてもらうのはかまへんけど... -
第二章:1969年:京都新聞北山橋東詰販売所 とっちゃんの宵山 ⑨
(2010年11月29日 | 日記)
何度か、仕事終わりにみんなで銭湯、というパターンに持ち込もうとしたが、失敗した。... -
第二章:1969年:京都新聞北山橋東詰販売所 とっちゃんの宵山 ⑩
(2010年12月03日 | 日記)
丸刈り頭が白髪交じりの50代と思しき“おっさ... -
第二章:1969年:京都新聞北山橋東詰販売所 とっちゃんの宵山 ⑪
(2010年12月06日 | 日記)
大沢さんが「みんな、学生ではありません」と応えると、... -
第二章:1969年:京都新聞北山橋東詰販売所 とっちゃんの宵山 ⑫
(2010年12月13日 | 日記)
脱衣所に出るとすぐ、僕たち一人ひとりにコーラが手渡された。... -
第二章:1969年:京都新聞北山橋東詰販売所 とっちゃんの宵山 ⑬
(2010年12月17日 | 日記)
いつものように配達が終わり、いつものようにお菓子が出され、いつものようにとっちゃ... -
第二章:1969年:京都新聞北山橋東詰販売所 とっちゃんの宵山 ⑭
(2010年12月20日 | 日記)
7月に入って間もない夕方、夕刊を配り終わって販売所に戻ると、とっちゃんがいない。...