昭和少年漂流記

破壊、建設、発展と、大きく揺れ動いた昭和という時代。大きな波の中を漂流した少年たちの、いくつかの物語。

第二章:1969年:京都新聞北山橋東詰販売所   とっちゃんの宵山 ⑦

2010年11月22日 | 日記

一度将棋に付き合ったために、とっちゃんは毎日のように「ガキガキ~~。将棋せえへんか~~?」と誘ってくるようになった。その度に「とっちゃん、自分の王様隠すんやもん。それ止めるんやったら、してあげてもええけどなあ」と言ってみるのだが、それには反応せず「ええやないか~~。一回だけ。一回だけ!な!」と拝むように繰り返した。

根負けし、「一回だけやで~」といつもの部屋に上がると、必ず3回は相手をさせられた。

僕は頭を切り替え、とっちゃんの駒を全て取り切ることで終わるようにしていたが、さすがに3回取り切るのには、少々時間を要した。

大沢さんは、「僕もな、その方法が一番や思うんよ。結構面倒くさいけどな」と慰めるように言ってくれたが、その裏に“君が相手するようになってくれて、ほんま、助かったわ”という安堵があるように感じた。

僕が相手をしてくれる唯一の仲間だと思ったのか、とっちゃんの“将棋せえへんか~~?”は執拗で、次第に逃げることが難しくなっていった。配達が終わった爽快感を感じる間もなく襲い掛かるおねだりに、僕は苛立つようになった。下から見上げる粘っこい目つき、絡みつくような誘い方、その度に吐き出されるおかきとタバコが入り混じった臭い……。

“おっちゃん”と“おばちゃん”の「すまんな~~。我慢したってな~」という言葉がなかったら、怒鳴っていたかもしれなかった。

 

ところが、ある日を境にとっちゃんの“将棋せえへんか~~?”攻撃はピタッと止んだ。新しい興味対象が出現したからだった。

山下君だった。5月の終わりの夕方、小さなバッグ一つで販売所に現れた山下君は、そのまま住み込みの配達員となった。

“おっちゃん”とのやり取りを階段に重なるように座って聞いていた3人は、全員その話に興味を持ったが、ひと際刺激されたのはとっちゃんの好奇心だった。

「家出ちゃうやろな~?何か事情があるんやったら、教えといてもらわんとな。何かあったら困るさかいな」。“おっちゃん”は、山下君の着の身着のままのいでたちと小さなバッグに不信感を隠さなかった。“危険なこともあった”“お金が盗まれたこともあった”といった話をいつも聞かされていた僕たち3人は、小さく頷きながら山下君の答えを待った。

「あの~~~、自衛隊にいたんですけど、逃げてきたんです」というのが、山下君の答えだった。“自衛隊から自衛隊員が逃げてきた”という事実に驚き、僕たちは顔を見合わせた。とっちゃんの目は輝いていた。

「自衛隊から逃げてきた?って……」と“おっちゃん”は一瞬絶句した。学生運動を“働きもせんと、何を暴れてるんやろうなあ、学生はんたち。日本の将来、心配やなあ”と僕たちに気遣いの目を向けながら批判していた“おっちゃん”の頭は混乱しているようだった。

「自衛隊員だった、って……」と呟きながら、下から上へ上から下へねめまわす“おっちゃん”の目線に山下君は、首の後ろで折れていたジャケットの襟を慌てて直した。

「逃げた、というか、まあ、あの~~、正式に除隊してなくて。それで出てきたもんで……」と山下君の説明が始まった。時には聞き取れないほど小さくなる声、たどたどしい語り口、困ったような曖昧な笑顔に、気の弱さがはっきりと表れていた。

岐阜県出身の山下君は、19歳。高校を出てすぐ、自衛隊に入隊。半年を過ぎる頃には、最初は戸惑っていた厳しい訓練や演習にも慣れ、それとなく仲間もできたように思い始めていた。

ところが、天皇パチンコ襲撃事件で明けた翌1969年。東大安田講堂事件が機動隊の学生排除によって終了した頃から、身辺が少し騒々しくなっていった。山下君は、何が何かもわからないまま、日々の小さな議論の中に巻き込まれていった。

5月に入った頃、仲間の一人がこっそり耳打ちした。「今度の休み、新宿西口広場に行ってくる。内緒だぞ」。危険な匂いのする秘密の共有だった。嫌なことが起きそうな予感がした。しかし彼は、ほどなく除隊した。山下君は安堵した。が、確実に何かが起きている、しかも、山下君自身がそのことと無縁ではいられない、ことを痛感した。

山下君は、勉強することにした。彼はまず、よく耳にする“資本論”を読んでみよう、と思った。

隊内の図書館で借りた。一晩横に置き何度もチャレンジしたが、ページをめくるには至らなかった。翌日午後、諦めて返却した。誰が何のために読む本なのか、見当もつかなかった。

次の日の夕方、教官の部屋に呼ばれた。初めてだった。高校時代のことをあれこれしつこく訊かれた。友人関係に関しては、話す度にメモを取られた。

「“資本論”、なぜ読もうと思った?読んでどうだった?」と笑顔で問われ、山下君は突然怖くなった。もう後戻りできそうにない、と思った。

さらに次の日も呼び出され、山下君は決心した。「逃げよう!」。

 

*月曜日と金曜日に、更新する予定です。つづきをお楽しみに~~。

 

もう2つ、ブログ書いています。

1.60sFACTORYプロデューサー日記(脳出血のこと、リハビリのこと、マーケティングのこと、ペットのこと等あれこれ日記)

2.60sFACTORY活動日記(オーセンティックなアメリカントラッドのモノ作りや着こなし等々のお話)

コメントを投稿