昭和少年漂流記

破壊、建設、発展と、大きく揺れ動いた昭和という時代。大きな波の中を漂流した少年たちの、いくつかの物語。

第二章:1969年:京都新聞北山橋東詰販売所   とっちゃんの宵山 ⑭

2010年12月20日 | 日記

7月に入って間もない夕方、夕刊を配り終わって販売所に戻ると、とっちゃんがいない。おやつも手つかずだ。奇妙に穏やかで静かだが、なぜか心許ない。

「とっちゃんは?」。桑原君に尋ねると、彼が顔を横に振ると同時に“おっちゃん”が「帰ったんちゃうか~~?なんか落ち着かへんかったなあ。お菓子かて、食べてへんやろ~。よっぽどのことがあるんやろな~~」と笑った。

少し毒気を含んだ言い方に、僕はとりあえず北山通りに出てみた。首を巡らせてみると、とっちゃんの姿が見えた。北山橋の欄干に両手で捕まり、大きく身体を乗り出している。表情ははっきりとしないが、その身体には真剣さが滲み出ている。

「とっちゃん、見つけました」と“おっちゃん”に一言告げて、僕は駆けだした。橋のたもと辺りからは「とっちゃ~~ん」と呼びながら、手を振った。2度呼んだが、とっちゃんは振り向かず、体勢を変えることもなかった。

「何してんの?」。息を弾ませながらとっちゃんの隣で欄干に掴まると、とっちゃんが上気した顔を向けてきた。目に真剣な色はあるが、頬は緩んでいる。

「見てみいな、ガキガキ。きれいなネエチャンやで~~」

言われて欄干から身を乗り出すと、浴衣姿の若い女性が橋の下に3~4人、小さな輪になっている。落ち始めた日の光に赤く染まった色とりどりの浴衣は、溌剌として艶めかしい。とっちゃんが目を細めているのは、鴨川の水面のきらめきのせいではなさそうだ。

「とっちゃん!危ないやんか。…もうええやろ。行こう」

さらに身を乗り出すとっちゃんに注意をすると、橋の下の浴衣姿が動いた。くるりと上を向いた顔が一瞬にして、微笑みから訝しげな表情に変わる。

僕は慌てて顔を引っ込めたが、とっちゃんは違った。「こっち向いたでえ。なあ、ガキガキ~、見てみい。きれいなネエチャンやで~~」と、僕に声を掛けながら彼女たちを指差す。

堪らず肘を引っ張り欄干から引き剥がすと、とっちゃんは「なにすんねんな」と不満そうに口を尖らせ、未練がましく欄干に手を伸ばした。

「もうええから!帰ろう」と、僕は肘を引く手に力を込めた。やるせない気分が腹から込み上げてきていた。少し粘って、とっちゃんは渋々付いてきた。

数歩進むと、とっちゃんは突然駄々っ子のように立ち止まった。

「“おっさん”、おらんようなってん」「なに?どないしたん?」「銭湯に来いひんねん」「みんな?」「銭湯の“おっちゃん”も、もう来いひんやろなあ、言うてたわ」。

きっと工事が終わったのだろう。北山通り北側のビル工事だったのかもしれない。そう言えばここ一週間、大型トラックが行き交う姿を目にしていない。

「とっちゃん、それで元気なかったんちゃう?」。立ち止まったとっちゃんの胸の内を想い、僕は肩に手を回した。ささやかな心の拠り所を失い、19歳の少年の好奇心が噴出したのかもしれない。欄干にしがみつこうとした、その力の強さの分だけ、彼は寂しさも抱え込んでいるのだろう。……と、僕は思った。

「別に。……“おっさん”もええ加減、ええ加減やったからなあ。話聞いたらんとあかんし、おかしいなあ思うてもびっくりしたらなあかんし……。わし苦労してたんや」

肩に回された手をちらりと見た後、あっけらかんと言い放ったとっちゃんの言葉に、僕は膝から折れてしまいそうだった。

「せやけど、何か言いたいことあるんちゃうの?」

駄々っ子のように立ち止まったのには訳がある。僕はそう思わないではいられない。きっと、何かが起きている。とっちゃんの中に起きているはずの、その無自覚な変化の何であるかを知る手がかりだけでも掴みたい。僕はそう思った。少しばかり意地になっていた。

歩み始めようとしたとっちゃんが、また立ち止まる。肘を引いても動かない。

「言いたいことあるんやったら、言い?言うてくれんと、わからへんがな。怒らへんし。な!」肩に回した手に力を込めると、とっちゃんの顔が下から見上げてきた。いつものとっちゃんだが、表情はこれまで見たことのないものだった。

 

*月曜日と金曜日に、更新する予定です。つづきをお楽しみに~~。

 

もう2つ、ブログ書いています。

1.60sFACTORYプロデューサー日記(脳出血のこと、リハビリのこと、マーケティングのこと、ペットのこと等あれこれ日記)

2.60sFACTORY活動日記(オーセンティックなアメリカントラッドのモノ   作りや着こなし等々のお話)


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