昭和少年漂流記

破壊、建設、発展と、大きく揺れ動いた昭和という時代。大きな波の中を漂流した少年たちの、いくつかの物語。

第二章:1969年:京都新聞北山橋東詰販売所   とっちゃんの宵山 ⑤

2010年11月15日 | 日記

「おっさん、言うてたわ」と語り始めるとっちゃんは、顎を上げ得意そうで、一つ賢くなった自信さえ感じさせた、と大沢さんは言った。

「おかんとわしは、ドーシなんや。ドーシ言うのは、友達より強いらしいんやなあ。ほんでな、甘えたらあかんのやて、ドーシは。タイトーなんらしいわ。これは、おかんのもの。これは、わしのもの。いうのもあったらあかんねんて。せやから、おかんがお金使うてもしゃあないんらしいわ。おっさんに“とっちゃんかて、小さい頃からずっとおかんのお金使うてたんやろ?”言われたら、“そらそやなあ”思うしなあ」。

ドーシは同志、タイトーは対等。“おっさん”には確かな思想背景があるようだ、というのが大沢さんの感想だった。私的所有権など意味がない、と“おっさん”は言いたかったのかもしれない。

「ほんでな。銀行は盗人ばっかりやから、気いつけなあかん言うてたわ。汗かいてるわしの方が偉いねんて」。と、タバコに火を点けるとっちゃんの誇らしげな上目遣いに、“おっちゃん”は慌てて「そらそや!とっちゃんは偉いでえ。真面目に働いてるもんなあ」と調子を合わせた。しかし、余分な一言も添えた。

「とっちゃんの言うことはようわかる。せやけど、これから給料どないすんの?おかんに渡すんか?」。

とっちゃんは、火を点けたタバコを一度大きく吸い込み、音がするほど勢いよく口から抜いた。

「そら、できん!タイトーなんやで!おかんが使ってまうがな。タイトーちゃうやろお。もうちゃ~んと考えてあんねんて!」と、タバコを挟んだ人差し指でこめかみをとんとんと叩いて見せた。“おっちゃん”はそこで引き下がった。「そうか~~。せやったらええわ」。

“おっちゃん”、カズさん、大沢さんの3人は、安堵した。とっちゃんの中でどう整理されたのかはっきりとはしなかったが、悲しい事件の余韻は収まったようだった。“おっさん”のおかげだった。ただ、とっちゃんの表情に小さな驕りが生まれてきているのを、大沢さんはも逃さなかった。

2日後、とっちゃんは“おかん”のことを“おばはん”と呼ぶようになった。聞きとがめた“おっちゃん”が、「とっちゃん!おかんのことそんな風に言うたらあかんがな!」と叱ったが、「なんでえ。おばはんはおばはんやからええやないか」と口をとがらせただけだった。

その頃から配達後のお菓子への執着が強まった、というのが大沢さんの印象だった。“おっさん”から私的所有権の無意味さを教わったのは、母親との間のことに限定されているようだ、という分析だった。

ずっと謎なのは、給料をどこにどういう風に保管しているのか、ということと、“おっさん”の正体だった。

時々発せられる「“おっさん”が言うてたけどなあ」という言葉についで出てくる話も多岐にわたるようになっていたが、それは左翼思想のものだということが明らかになっていた。

ある日、声を潜めるように聞いてきた言葉に、僕は驚いた。

「ガキガキ~。お前もサクシュされてるんやで。気いつけなあかんで」。

「そうかなあ。そんなことない思うけどなあ」と応えると、とっちゃんは「ガキガキも、まだまだやなあ」と言って、グヒグヒと笑った。

 

*月曜日と金曜日に、更新する予定です。つづきをお楽しみに~~。

 

もう2つ、ブログ書いています。

1.60sFACTORYプロデューサー日記(脳出血のこと、リハビリのこと、マーケティングのこと、ペットのこと等あれこれ日記)

2.60sFACTORY活動日記(オーセンティックなアメリカントラッドのモノ作りや着こなし等々のお話)


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