昭和少年漂流記

破壊、建設、発展と、大きく揺れ動いた昭和という時代。大きな波の中を漂流した少年たちの、いくつかの物語。

第二章:1969年:京都新聞北山橋東詰販売所   とっちゃんの宵山 ⑫

2010年12月13日 | 日記

脱衣所に出るとすぐ、僕たち一人ひとりにコーラが手渡された。“白髪”を中心に小さな輪ができた。“白髪”の倒産劇の続きを聞いていると、桑原君と“長髪”が出てきて輪に加わった。“ぽっこり”が目配せをすると、“白髪” は話を中断。「まあ、倒産は経験せんほうがええ、ちゅうこっちゃ」と立ち上がった。

僕に近付き耳打ちするように、「弱いもんを助けよう思うたら、とことんやらんとあかんで。弱いもんは、とことん甘えて来よんでえ~」と言った。なぜ僕に?と目を向けると、顔を大沢さんに逸らし、「自分が傷つく覚悟がいるわなあ」と言葉を添えた。

大沢さんは、「そうですね。僕もそう思います」と2~3度頷いた。とっちゃんは、コーラのゲップにむせていた。

帰って行く4人を番台まで見送り、コーラのお礼を言って頭を下げた。立ち止まった“筋肉”が脇腹を突っつき、「兄ちゃん、気い付けや~~」と言ってニヤリとした。

 

翌日、晴れ上がった空には真夏の太陽があった。朝刊を配り終わり、玄関脇の水道で洗ったTシャツを絞っていると、とっちゃんが覗き込んできた。

「ガキガキ、なんか悩んでへんかあ?」「え?なんで?」

「出る時、顔に書いてあったで」「……別に、悩みないけどなあ。……今日は暑うてたまらんなあ、思うてるけど。そんなもんやで」

「ほんま?なら、ええけど」

薄ら笑いの顔が引っ込んだ。僕は濡れたTシャツを肩から掛け、ゆっくりと後を追うように中へ入って行った。とっちゃんの勘のよさに驚いていた。

銭湯での小一時間は、確かに僕たちには大いなる刺激だった。販売所に帰ってきた僕たちは、満たされていない空腹感を補うように、大沢さんの部屋で話し合った。それぞれの印象の断片を掻き集め、耳にした言葉をつなぎ合わせ、4人の“おっさん”のなんたるかを論議した。

午後7時を回る頃には、舞台を定食屋に移動。揃って90円定食を注文し、話を続けた。その頃には、話題の中心は、3人がそれぞれに抱える問題意識や希望へと移っていた。初めての食事会であり、やっとできた本格的な自己紹介のようでもあった。山下君を除いて、のことではあったが。

大沢さんは「弱い立場の人を助けたい」と繰り返した。僕は「人の役に立ちたい」と言っては、「方法論は?」「どうやって?」「どんな人の?」と質問攻めにあった。

桑原君は「世の中を変えたい」と意気込み、大沢さんが失笑するとさらに勢い込んだ。「僕たちは、建設には遅過ぎ、破壊には早過ぎた世代なんや。どちらを選ぶか、どちらに付くか、で立場がえらい変わると思うねん。でも、選ばんとあかんねん」と、力説した。

少し閉口気味に聞いていた大沢さんは、桑原君がトイレに立った隙に、「“長髪”の影響ちゃうかなあ。あんな過激な男やったかあ?」と小首を傾げ、残っていた定食を残らず掻きこんだ。帰ろうか、という合図だった。

その夜僕は、長い間天井を見つめていた。言葉や想念が天井の木目や小さな穴を錯綜しながら駆け巡った。しかし、眠れないかなあ、と思い始めて間もなく、深い眠りに入っていた。最後に残っていたのは、半年前に始まっていた淡い恋の終わりの予感だけだった。

 

*月曜日と金曜日に、更新する予定です。つづきをお楽しみに~~。

 

もう2つ、ブログ書いています。

1.60sFACTORYプロデューサー日記(脳出血のこと、リハビリのこと、マーケティングのこと、ペットのこと等あれこれ日記)

2.60sFACTORY活動日記(オーセンティックなアメリカントラッドのモノ作りや着こなし等々のお話)


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