昭和少年漂流記

破壊、建設、発展と、大きく揺れ動いた昭和という時代。大きな波の中を漂流した少年たちの、いくつかの物語。

第二章:1969年:京都新聞北山橋東詰販売所   とっちゃんの宵山 ③

2010年11月08日 | 日記

1969年4月7日。僕は、19歳の新聞配達少年になった。自堕落な生活が身に付いてしまっている僕の心配はただ一つ。起床時間だった。しかし、それをもっと心配してくれたのは、下宿のおばあさんだった。

お蔭で僕は、初日から遅刻という失敗をすることもなく、カズさんの指導を受けることになった。スタート地点まで新聞を自転車で運び、ポストの形態とサイズに合わせて3種類の新聞の折り方を使い分けながら、ずっと走って約1時間。配達が終わる頃には、春の朝の冷気に身震いしていた身体から、汗が湯気となって立ち上った。爽快だった。

カズさんの予言通り、一週間後には配達先を憶え、次のポストに合わせて自然に新聞を折ることができるようになっていた。

 

配達が終わり販売所に戻ると、いつもの場所に座って待ち受けているとっちゃんの「ガキガキ~~、お疲れ~~」に迎えられた。とっちゃんは、販売所のおばさんが毎朝用意してくれているお盆一杯のお菓子を抱きかかえるようにしていた。

僕に一歩遅れて帰ってくるのが、桑原君。それから、大沢さん。二人とも、販売所2階の住込みだった。桑原君は、大阪出身の同い年。大学受験を目指していた。大沢さんは、東北出身の26歳。司法試験浪人で、4回連続一次試験で落ちていた。

そして、最後に勢いよくスーパーカブを唸らせて帰ってくるのが、カズさんだ。住宅開発著しい北山通り北側から松ヶ崎あたりまでをフォローしているとのことだった。

カズさんは帰ってくると必ず同じ台詞を言った。「とっちゃん、お菓子独り占めしたらあかんやろ」。

ガラス戸が開いた瞬間に、もう腰を浮かせているとっちゃんは、それに対して決まってこう言った。「誰も欲しい言わへんねんもん。いつでも分けたるでえ、わし」。

その後、横に置いた専用の巨大湯呑のお茶をひょっとこ口で一口すすり、「ガキガキ~、グワグワ~、オオさん~、食べるか~?」とお盆を差し出した。

しかし、その直前、とっちゃんがお盆の中のキスチョコを全部ポケットにねじ込むのを目の当たりにしている三人は、必ず苦笑いの目を合わせるのだった。

おっちゃんに内緒で学生運動の端っこに加わり、デモや座り込みに時々参加している桑原君は、そんなとっちゃんを「いろんなこと教えたらんとなあ。あれじゃあ、人間として恥ずかしいで」と言い、大沢さんは、「一緒に遊んであげたらええんやないの?遊びながら、まず人付き合いのルールをやね~」と最年長者らしいアドバイスをしたりしていた。

そんな周りの想いなどに眼中にないとっちゃんは、毎朝好きなお菓子を食べ切り、タバコを1本吸い終わると「おばはんがうるさいし、帰るわ~」と帰っていった。

とっちゃんが帰った後、残った三人は、新聞配達の疲れが一気に全身を覆ったかのように、しばし気だるい沈黙に陥った。そして、とっちゃんのいない階段に座り、とっちゃんの食べ残したお菓子を食べた。

 

*月曜日と金曜日に、更新する予定です。つづきをお楽しみに~~。

 

もう2つ、ブログ書いています。

1.60sFACTORYプロデューサー日記(脳出血のこと、リハビリのこと、マーケティングのこと、ペットのこと等あれこれ日記)

2.60sFACTORY活動日記(オーセンティックなアメリカントラッドのモノ作りや着こなし等々のお話)


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